『わが夜学生』を99%読み終えたのは去年の暮で、著者に長めの所感を書き送りたいと思いつつ、そのままにしていた。「母なるものの力こそ生の源泉であり、詩の源泉でもあると思うようになっている」と書かれた栞に感銘を受け、絵葉書に母親として頑張りたいと送ったと記憶している。
まず冒頭の「大阪弁―たくらみの言葉」に感銘をうけた。
大阪弁の奥深さを、笑いの底にあるもの、ご自分の父親のことを含めて、直に短歌をご紹介されていて、身にしみてくるような~、「この世を生きている間はせめておもしろおかしく暮らしたい」が、「大阪弁の核心にひそむ思想ではないだろうか」と締めくくった少し長いエッセイを味わい深く読んだ。
東京の仙人のような老人との比較もなるほどと感じさせた。軽妙に聞こえる大阪弁に秘められたもの~、ユーモアや笑いの中にペーソスが込められて、とても人間味に溢れている。クールさ(形を装う)は冷たさでもあり、東京との違いにも見える。
たくさんの口語(地域語)のある「うちなーぐち」はどうなのだろうと考えさせられた。多様な地域の言葉を持つ沖縄の人々が集ってそれぞれの出身のことばで話しだすと、戦前までの差別構造が、くっきり浮かび上がってくるのかもしれない。
夜学生についてのエッセイや詩は以前『地球の水辺』を読んで感極まった。母を求めて求めて得られず自殺した夜学生の物語など、在日朝鮮人の母親と息子の離別の悲しみが痛く心に突き刺さってきた。思えば母を求める子と子を求める母の物語があった。夜学に通う若者たちのそれぞれの人生の哀感が込められていた。
散文詩とエッセイ、当時の教え子のその後の人生を含めて、読ませた。戦後日本の歴史とその変貌も反映されている。人と人の出会いの不思議とその縁によって形作られていくものがじわりと文面から伝わってきた。
『平家物語』の研究者として書かれた論考やエッセイ、詩を残したままだ。平家物語をしっかり読んでから読みたいと思いつつ、まだ読めていない。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」は有名で、平清盛と白拍子の物語が記憶に残っているが、源氏に破れる平家の滅びゆく物語に、紐解く前に痛みの予兆ゆえか、以前テレビで見た平家物語、またアニメ映画で終わっている。平家物語をしっかり読まなければと~。
ところで自筆年譜を細かく読んでハットさせられた。あの世に旅立った身近にいた詩人との出会いや交流について細かく書かれている。詩人伊倉紘平との出会いは故人にとって非常な幸いだったに違いない。普通の感覚からずれて、常日頃から人付き合いがよくない様子で、選考委員の一人として毎年東京や沖縄で出会うことのできた僥倖は、例えようもないものだったのだ。
詩人として詩作を全うできたことは、故人にとって幸いだった。宮古島の島魂のような人生に見えた。その分、家族にはきついところも多で~。琉球・沖縄の複雑な歴史、その負の部分が普遍化されていった点、リズム感のある詩篇に込められたものは、永遠に生きていくのだと思えたが~。
「母なるものの力こそ生の源泉であり、詩の源泉である」と詩人は書いている。そのメッセージは力になった。この異風な世情の中でも、子供がしっかり地に足をつけて自らの人生に立ち向かい、幸せになってほしい、と願う親は多いに違いない。
家族が社会そのものが分断されて久しいこの異風な時の中で、この一冊は多くのものを与えてくれる。生きる力を与えてくれる。