久しぶりに今帰仁城を歩いた。夜桜の背後の「クボウ御嶽」の写真を何枚か撮る。それを紹介したい!
現代版組踊は平田太一さんのいつものパターンで70人の中高校生が楽しく踊った。お城の城壁を背景にしたステージはスケールがよく闇の中から登場人物たちが登場する様など絵になった。中高校生の観客が目についた。
物語の筋書きは新作組踊とも異なり、それでいて従来の沖縄芝居の要素を一部残しているのがなるほでで、ヒーローとしての本部平原の葛藤が一部見せた。しかしシンプルな筋書きで、大筋は史実の流れを組んでいる。新作組踊や沖縄芝居【今帰仁由来記】がそこで上演されたらさらに面白いだろう。宜野座村松田で上演される組踊「本部大主」は、物語そのものも膨らみがあり、はるかに面白い。
おそらく物語の中身としては、この現代ミュージカル・ダンスドラマより、組踊、新作組踊、沖縄芝居の良さの方がはるかにいい。しかし中高校生が踊り跳ねる姿はそれで楽しめた。音楽はシンセサイザーを使った現代音楽とエイサー音楽、また一部民謡と雑踊りが入っていた。それはそれでチャンプルーの良さだが、メインは群舞の現代空手ダンスのような振付!それが壮観だった。つまり群舞のダンスがメインなのである。それで若者が萌(燃)える。新しい時代の感性だが、同じパターンでも飽きさせない何かがあるのだろう。それはエイサーダンスの伝播と同じ味わいなのかもしれない。
<写真は緋寒桜とクボウ御嶽が目玉>
***引用***
~琉球開闢(かいびゃく)神話による国始め~
神話によるとまだ浅瀬でしかなかった琉球にアマミキヨがまず作ったのが七つの御嶽なのである。アマミキヨは七御嶽に続いて天から土や草木を持ってきて琉球の土地を造ったと言われている。
七御嶽
①国頭村辺土の安須森御嶽
②今帰仁村のクボウ御嶽
③南城市知念の斎場御嶽
④南城市玉城の藪薩御嶽
⑤南城市玉城の天つづ雨つぎの御嶽
⑥久高島のクボー御嶽
⑦首里の首里真玉森御嶽
現代版組踊は平田太一さんのいつものパターンで70人の中高校生が楽しく踊った。お城の城壁を背景にしたステージはスケールがよく闇の中から登場人物たちが登場する様など絵になった。中高校生の観客が目についた。
物語の筋書きは新作組踊とも異なり、それでいて従来の沖縄芝居の要素を一部残しているのがなるほでで、ヒーローとしての本部平原の葛藤が一部見せた。しかしシンプルな筋書きで、大筋は史実の流れを組んでいる。新作組踊や沖縄芝居【今帰仁由来記】がそこで上演されたらさらに面白いだろう。宜野座村松田で上演される組踊「本部大主」は、物語そのものも膨らみがあり、はるかに面白い。
おそらく物語の中身としては、この現代ミュージカル・ダンスドラマより、組踊、新作組踊、沖縄芝居の良さの方がはるかにいい。しかし中高校生が踊り跳ねる姿はそれで楽しめた。音楽はシンセサイザーを使った現代音楽とエイサー音楽、また一部民謡と雑踊りが入っていた。それはそれでチャンプルーの良さだが、メインは群舞の現代空手ダンスのような振付!それが壮観だった。つまり群舞のダンスがメインなのである。それで若者が萌(燃)える。新しい時代の感性だが、同じパターンでも飽きさせない何かがあるのだろう。それはエイサーダンスの伝播と同じ味わいなのかもしれない。
<写真は緋寒桜とクボウ御嶽が目玉>
***引用***
~琉球開闢(かいびゃく)神話による国始め~
神話によるとまだ浅瀬でしかなかった琉球にアマミキヨがまず作ったのが七つの御嶽なのである。アマミキヨは七御嶽に続いて天から土や草木を持ってきて琉球の土地を造ったと言われている。
七御嶽
①国頭村辺土の安須森御嶽
②今帰仁村のクボウ御嶽
③南城市知念の斎場御嶽
④南城市玉城の藪薩御嶽
⑤南城市玉城の天つづ雨つぎの御嶽
⑥久高島のクボー御嶽
⑦首里の首里真玉森御嶽