鹿児島大学法文学部人文学科ヨーロッパ・アメリカ文化コース主催、南日本新聞後援の「辺境の文化力を考える」ためのシンポジウムに参加するため、鹿児島に何十年ぶりかに飛んできた。学生時代船で鹿児島に来たことはあったが、それ以来だから人口60万人という鹿児島はよくわからない。空港から市内の中央駅までリムジンバスで40分ほどかかった。ホテルは28日深夜に急いで予約した「ホテルクレスティア」である。二泊で1万円ほどで妥当な料金で朝食もついている。ただわからず喫煙可能な部屋にしてしまった。案の定この10階のフロアもエレベーターから降りた途端タバコのにおいで肺が痛くなる。部屋もなぜか換気がONになってもタバコのにおいがする。普段タバコの弊害に苦しんでいる者にとっては最悪である。それでもパソコンでの入力のミスで致し方ない。ホテルカウンターの方に部屋はクリーンでしょうねと念を押したが、タバコの微妙なにおいは消えない。それはまぁ我慢するより他術がない。
さて朝思ったより寒いという感じではない。気温は10℃前後で朝食は毎日同じですけど、とホテルボーイの言い訳じみた弁明。ネットで読みましたよ。別に同じで結構ですと答える。彼らは鹿児島大学までのルートも丁寧に案内してくれた。タバコのニコチンの微妙な粒子がロビーや部屋でやはり飛び回っているという事を除けば、駅に近くていい。
さて朝は中央駅前の市電に乗った。160円で意外に便利だ!空気は冷たいが精神は引き締まる。街の人は特に高校生など道を丁寧に教えてくれた。やさしさが感じられる町でもある。
鹿児島大学工学部の稲盛会館は市電を降りるとすぐ目の前にあった。第二部のパネル「文化力で地域を活性化する!」でお話されていた建築家の安藤剛氏がコメントされていたように、かの有名な安藤という方の設計だというこの会館は中身が不思議に非日常的で、卵の中で安らいでいるような雰囲気。氏は謙虚な方でこの卵から巣立っていくとお話された。氏の事例発表については後で触れたい。
シンポジウムの中身についてご紹介したい。「ああ、なぜこのシンポジウムが沖縄の琉球大学などで開催できないのか」というのが率直な思いだった。なぜ?それをこれから書き留めたい。ケルト文化圏からこられた5人の方々のお話の中身は、すべて沖縄と呼応しあっていたのである。鹿児島大の梁川英俊先生(島唄にこだわっておられる)、日本ケルト学会代表幹事の原聖先生(多言語社会研究会主催者。彼の著書は『ケルトの水脈』ほか数冊)が中心になって取り組まれたと推測できるこのシンポジウムである。鹿児島ではなく沖縄でこそ取り組まれるべきであった。そしてアメリカに襲われアメリカ漬けの研究の落としたものがケルトの中にあったという事実に、沖縄の研究者の眼の曇りを感じてもいた。
梁川先生が書かれたパンフの文面を見てみよう。一部割愛する。「--ケルトとはアイルランド、フランスのブルターニュ、イギリスのウエールズ、コーンウォール、スコットランドなどの地域の総称です。なぜ「ケルト」なのか?それはこれらの地域では紀元前の昔から「ケルト語」に分類される独特なことばが話されてきたからです。つまり国民の大半が英語やフランス語を話す国の中、この地域ではまったく別のことばが話されてきたのです。したがってこれらの諸地域は、各々の国の中でも際立って強いアイデンティティーの自覚と独自の文化意識をもつことで知られています。加えてこの地域は、「ケルト」というその起源の共通性によって、相互に強い連帯感で結ばれてもいるのです。それは国家という枠組みとはまた別の独特な結びつきです。しかもその結びつきによって、欧州においては<辺境>にすぎないこれらの地域は近代国家における「中央ー地方」という単一で従属的な関係とは異なる新しい関係性のなかに置かれることになります。これらの地域がしばしば「ケルト文化圏」と呼ばれるのもおそらくそのためです。
このケルト文化圏では、独自の<文化>は地域活性化における重要なファクターです、----、外国と日本のそれぞれの視点から、8時間にわたって、辺境の文化力を考えるこのシンポジウムーー文化とはそもそも人間の日々の営みそのものの謂いである以上、文化力による地域の活性化とは文字通り地域の人々すべてに関わる問題です。---」
一部省略したが、梁川先生が、鹿児島とケルトを懸命に結び付けていることが、痛く胸に迫ってきた。言語とアイデンティティー、そして文化となるとそぐわない面が感じられ白けてしまうのはなぜか?沖縄の独自の言語感性やアイデンティティーが強烈なのである。危機感もそうだ!
シンポジウムは冒頭で原先生がケルト諸語文化圏についてパワーポイントでまずお話した。
*ウェールズ:人口290万人、ウェールズ語話者58万人、2万平方キロ(四国地方に相当)、炭鉱業、ラグビー、歌の国
*スコットランド:人口500万人、スコットランド語話者150万人、ゲール語話者6万人、炭鉱・北部油田、キルト、バグパイプ
*アイルランド・エール:450万人、7平方キロ、アイルランド語ゲール語能力167万人、常用者484812人、保護地区での常用者36498人、1922年アイルランド自由国の成立
*コーンウォール/ケルノウ:52万人、3500平方キロ、ケルノウ語100人/2000人
*ブルターニュ/ブレイス:ブルターニュ地域圏:310万人、3万4千平方キロ(近畿地方に相当)/歴史的ブルターニュ:430万人、4万平方キロ、ブルターニュ語25万人(全体で350万人)、12000人の二言語学級での学習者
さて5人の方々:
Tangi Louarn(ブルターニュ)、欧州少数言語事務局フランス支部長、著書『フランスにおける地域語と少数言語』『フランス的文化人権の否定』など
Neasa Ni Chinneide(アイルランド)国立民族劇「シアムサ・チーレ」、毎年ダブリンで開催されるアイルランド語文化祭「イムラム」の委員
アイルランド語時事放送担当
Meirion Prys Jones(ウェールズ)「言語多様性推進機構」長、ウェールズ語委員会代表
Davyth Hicks(コーンウォール)理学博士、欧州小数言語事務局長、ロック・ミュージーシャン
Robert Dunbar(スコットランド)スコットランド・ハイランド島しょう大学スカイ島校研究教授、少数言語言語政策の法律分野における世界的先駆者の一人
***
言語と文化とアイデンティティーもそうだが、経済と文化の結びつきも含め、事例は多様で、バイリンガル教育の試みや歴史的経緯など、また音楽や演劇などの活動、それぞれの分野における著名な方々(作家・芸術家)など、また多くのフェスティバルや共同体の取組など、ウチナーーンチュ大会のような祝祭など、多くの類似性が十二分に迫ってきた。詳細を書き留めたいがーー。
ケルトに注目するのは、沖縄の言語と文化の結びつきに対する危機意識の反動でもある。沖縄芝居など、危うさを感じている。沖縄芝居こそがウチナー言語を推進できるばねだと思うが、どう地域で活性化させるか、Revitalizationが鍵概念でもあったシンポジウムである。
沖縄の言語と文化の活性化の参考になる話が多かったゆえに8時間が短く感じられた。それをほどいていくことが今後の課題でもあろうか?
沖縄でこのようなシンポジウムと交流が実現することを念じたい。メディアや県の文化的施策への大きなインパクトがその中にあった。県からだれも参加していなかった。東北から来た方はおられた。沖縄の中学校の教員も参加していた。地域が国を超えて結び合う時代の到来である。
沖縄の自立の参照になる事柄がこの地域には満ちている!
「ケルト文化圏と沖縄の可能性」のような題でどうだろう?国と国を超えた地域間の交流、言語がアイデンティティーの中心だとジョーンズさんは強調したが、沖縄語の現在は限りなく不透明にも思える。言語は民族の呼吸である、されど?魂や感情をのせる言語は、自らの内なる言語は、接ぎ木された日本語では表現できないものが横たわっているーー?
ケルト学会の会員になって是非沖縄でこのような会が持てたらいいなーと思いは膨らんでいった!沖縄県の文化振興会や観光や芸能(演劇)を含め多くの方々と連携しながらできたらと思う。ケルト文化圏の復興の凄さが、少数言語の継承・発展を政治的にも法的にも保障しているEUの取り組みの多様性と豊かさに支えられていることも、もっと相互に認識を深めたい。沖縄県が招聘してアイルランドやウェールズやブルターニュのPerforming Artsと関わる方々が一緒に舞台に立ち、そして、互いに独特な文化・言語の可能性・将来のさらなるビジョンが語り合えたらどんなにいいことか!
沖縄語に危うさを感じるからこそ、ハワイのようにフラダンスしかない地域の言語復興も参考になるが、しかし、ウェールズ語で上演するナショナル・シアターがある地域こそ、沖縄は鏡として照らしあうことができるだろう、というのは現在の推察である。
さて朝思ったより寒いという感じではない。気温は10℃前後で朝食は毎日同じですけど、とホテルボーイの言い訳じみた弁明。ネットで読みましたよ。別に同じで結構ですと答える。彼らは鹿児島大学までのルートも丁寧に案内してくれた。タバコのニコチンの微妙な粒子がロビーや部屋でやはり飛び回っているという事を除けば、駅に近くていい。
さて朝は中央駅前の市電に乗った。160円で意外に便利だ!空気は冷たいが精神は引き締まる。街の人は特に高校生など道を丁寧に教えてくれた。やさしさが感じられる町でもある。
鹿児島大学工学部の稲盛会館は市電を降りるとすぐ目の前にあった。第二部のパネル「文化力で地域を活性化する!」でお話されていた建築家の安藤剛氏がコメントされていたように、かの有名な安藤という方の設計だというこの会館は中身が不思議に非日常的で、卵の中で安らいでいるような雰囲気。氏は謙虚な方でこの卵から巣立っていくとお話された。氏の事例発表については後で触れたい。
シンポジウムの中身についてご紹介したい。「ああ、なぜこのシンポジウムが沖縄の琉球大学などで開催できないのか」というのが率直な思いだった。なぜ?それをこれから書き留めたい。ケルト文化圏からこられた5人の方々のお話の中身は、すべて沖縄と呼応しあっていたのである。鹿児島大の梁川英俊先生(島唄にこだわっておられる)、日本ケルト学会代表幹事の原聖先生(多言語社会研究会主催者。彼の著書は『ケルトの水脈』ほか数冊)が中心になって取り組まれたと推測できるこのシンポジウムである。鹿児島ではなく沖縄でこそ取り組まれるべきであった。そしてアメリカに襲われアメリカ漬けの研究の落としたものがケルトの中にあったという事実に、沖縄の研究者の眼の曇りを感じてもいた。
梁川先生が書かれたパンフの文面を見てみよう。一部割愛する。「--ケルトとはアイルランド、フランスのブルターニュ、イギリスのウエールズ、コーンウォール、スコットランドなどの地域の総称です。なぜ「ケルト」なのか?それはこれらの地域では紀元前の昔から「ケルト語」に分類される独特なことばが話されてきたからです。つまり国民の大半が英語やフランス語を話す国の中、この地域ではまったく別のことばが話されてきたのです。したがってこれらの諸地域は、各々の国の中でも際立って強いアイデンティティーの自覚と独自の文化意識をもつことで知られています。加えてこの地域は、「ケルト」というその起源の共通性によって、相互に強い連帯感で結ばれてもいるのです。それは国家という枠組みとはまた別の独特な結びつきです。しかもその結びつきによって、欧州においては<辺境>にすぎないこれらの地域は近代国家における「中央ー地方」という単一で従属的な関係とは異なる新しい関係性のなかに置かれることになります。これらの地域がしばしば「ケルト文化圏」と呼ばれるのもおそらくそのためです。
このケルト文化圏では、独自の<文化>は地域活性化における重要なファクターです、----、外国と日本のそれぞれの視点から、8時間にわたって、辺境の文化力を考えるこのシンポジウムーー文化とはそもそも人間の日々の営みそのものの謂いである以上、文化力による地域の活性化とは文字通り地域の人々すべてに関わる問題です。---」
一部省略したが、梁川先生が、鹿児島とケルトを懸命に結び付けていることが、痛く胸に迫ってきた。言語とアイデンティティー、そして文化となるとそぐわない面が感じられ白けてしまうのはなぜか?沖縄の独自の言語感性やアイデンティティーが強烈なのである。危機感もそうだ!
シンポジウムは冒頭で原先生がケルト諸語文化圏についてパワーポイントでまずお話した。
*ウェールズ:人口290万人、ウェールズ語話者58万人、2万平方キロ(四国地方に相当)、炭鉱業、ラグビー、歌の国
*スコットランド:人口500万人、スコットランド語話者150万人、ゲール語話者6万人、炭鉱・北部油田、キルト、バグパイプ
*アイルランド・エール:450万人、7平方キロ、アイルランド語ゲール語能力167万人、常用者484812人、保護地区での常用者36498人、1922年アイルランド自由国の成立
*コーンウォール/ケルノウ:52万人、3500平方キロ、ケルノウ語100人/2000人
*ブルターニュ/ブレイス:ブルターニュ地域圏:310万人、3万4千平方キロ(近畿地方に相当)/歴史的ブルターニュ:430万人、4万平方キロ、ブルターニュ語25万人(全体で350万人)、12000人の二言語学級での学習者
さて5人の方々:
Tangi Louarn(ブルターニュ)、欧州少数言語事務局フランス支部長、著書『フランスにおける地域語と少数言語』『フランス的文化人権の否定』など
Neasa Ni Chinneide(アイルランド)国立民族劇「シアムサ・チーレ」、毎年ダブリンで開催されるアイルランド語文化祭「イムラム」の委員
アイルランド語時事放送担当
Meirion Prys Jones(ウェールズ)「言語多様性推進機構」長、ウェールズ語委員会代表
Davyth Hicks(コーンウォール)理学博士、欧州小数言語事務局長、ロック・ミュージーシャン
Robert Dunbar(スコットランド)スコットランド・ハイランド島しょう大学スカイ島校研究教授、少数言語言語政策の法律分野における世界的先駆者の一人
***
言語と文化とアイデンティティーもそうだが、経済と文化の結びつきも含め、事例は多様で、バイリンガル教育の試みや歴史的経緯など、また音楽や演劇などの活動、それぞれの分野における著名な方々(作家・芸術家)など、また多くのフェスティバルや共同体の取組など、ウチナーーンチュ大会のような祝祭など、多くの類似性が十二分に迫ってきた。詳細を書き留めたいがーー。
ケルトに注目するのは、沖縄の言語と文化の結びつきに対する危機意識の反動でもある。沖縄芝居など、危うさを感じている。沖縄芝居こそがウチナー言語を推進できるばねだと思うが、どう地域で活性化させるか、Revitalizationが鍵概念でもあったシンポジウムである。
沖縄の言語と文化の活性化の参考になる話が多かったゆえに8時間が短く感じられた。それをほどいていくことが今後の課題でもあろうか?
沖縄でこのようなシンポジウムと交流が実現することを念じたい。メディアや県の文化的施策への大きなインパクトがその中にあった。県からだれも参加していなかった。東北から来た方はおられた。沖縄の中学校の教員も参加していた。地域が国を超えて結び合う時代の到来である。
沖縄の自立の参照になる事柄がこの地域には満ちている!
「ケルト文化圏と沖縄の可能性」のような題でどうだろう?国と国を超えた地域間の交流、言語がアイデンティティーの中心だとジョーンズさんは強調したが、沖縄語の現在は限りなく不透明にも思える。言語は民族の呼吸である、されど?魂や感情をのせる言語は、自らの内なる言語は、接ぎ木された日本語では表現できないものが横たわっているーー?
ケルト学会の会員になって是非沖縄でこのような会が持てたらいいなーと思いは膨らんでいった!沖縄県の文化振興会や観光や芸能(演劇)を含め多くの方々と連携しながらできたらと思う。ケルト文化圏の復興の凄さが、少数言語の継承・発展を政治的にも法的にも保障しているEUの取り組みの多様性と豊かさに支えられていることも、もっと相互に認識を深めたい。沖縄県が招聘してアイルランドやウェールズやブルターニュのPerforming Artsと関わる方々が一緒に舞台に立ち、そして、互いに独特な文化・言語の可能性・将来のさらなるビジョンが語り合えたらどんなにいいことか!
沖縄語に危うさを感じるからこそ、ハワイのようにフラダンスしかない地域の言語復興も参考になるが、しかし、ウェールズ語で上演するナショナル・シアターがある地域こそ、沖縄は鏡として照らしあうことができるだろう、というのは現在の推察である。