収録された論考の報告書を以前、読んでいたので、あえて紐解こうとは思わなかったが、書籍にするにあたり、あらたなデーターが付け加えられていることがわかった。総論としての監修者のまとめも興味深かった。基本的なことの習得と頭の整理になったのは確かだ。謝!
今取り組んでいる論文のテーマと絡む論考もあり、参考にしたい。参考文献の一部は実際に目を通したいと思った。共感するところと、おや?と疑問をもったところがあり、そのへんは自ら切開していこうと考えている。まだまだ歴史的に通時的に見ても欠けたところがあるのだということは明らかで、その辺は今後埋められていくのだろう。
植民地沖縄であるという事実がまたこの書物から浮かび上がってくる。すると他者は自ずとその取り巻く関係諸国・地域であり、世界である。他者との関係性を希求するまでもなく、すでに他者は存在し、関係性を常に構築せざるをえない存在である。かなたとこなた、こなたとかなたは、連続体であり、人類という普遍的な実存でつながっている。政治的に他者化されてきた地域であり、他者化が内部でも外部でも起こっている多層な層をどう取り組んでいくか、問われている。
しかし一読してみて、全く対象化されていない実存に目を向けているゆえに、陥穽がこぼれてきたのも確かだ。文学と琉球舞踊の対談にしても、共感を覚えるところと、違和感も起こった。歴史認識の曖昧さもあった。これらの論考が現段階における伝統とジェンダーを見る視点の先端だとすると、さらにそこを超えていく論理が生み出されないといけないのだろう、などと思った次第である。実は、これらのことばからこぼれ落ちているところに目を向けたい。
今まとめている論考は"Gender Stratification in Okinawan Performing arts with a Focus on Ikuko Uema's Specific identity"
である。締切が10月30日だから、それまでにはきちんと形にしたい。近世から近代にかけての沖縄の芸能を視野に入れてその構造を捉えてみたのだが、見えないところをどう見るか、厳しい。