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彼女が9歳の時、那覇港でテープを投げて見送った。あれ以来、彼女の話はよく聞こえてきた。優秀で医者と結婚し、トヨタ会社の社長秘書をしているとか、子供たちが大学を卒業して、離婚、それからニューヨークで暮らしてるいるとか〜。(なんとアメリカに十数年住んだ後、帰る場所はペルーということで、リマの自宅に戻ったとの事だった。)
お母さんと似て、綺麗な女の子だったイメージが記憶に残っているままに、彼女の人生の彩りは、何十年かの再会でも、鮮やかに映った。
明日、明後日ペルーに帰る彼女の日程は詰まっていて、14日の午後が空いていた。おそらくまだ足を踏み入れていないだろうと予測して、セーファ御嶽やカフェクルクマに誘った。セーファ御嶽は、以前そこで撮った女郎蜘蛛の写真と詩篇があったので、何故か久しぶりに心が動いた。
それにしても滑らかに語る彼女の人生物語は、面白く運転中も、歩きながらも尽きる事はなかった。小学3年の時に移住した後、彼女は結婚後にあえて日本語学習にかなりの年月をかけ、日本政府による日本語習得プログラムに応募し、短期と長期で二度神奈川で研修したという。
現在、コンサルタント会社の経営をしながら、ボランティアで日本語も教えているパッションに圧倒された。紫色の服に包まれた女性の物語は、知りたかった祖父母のことや、彼女のお母さまの病室で聞いた言葉の背景がわかって、有意義だった。
政治的な状況が必ずしも穏やかではない国、異文化圏で身過ぎ世過ぎしてきた女性の物語は、一冊にまとめてほしい。すでに書き留めてきたという物語をじっくり読みたいと切に思う。
書きたい事は多々あるが、これから形にしたい。