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こけら落としに「狂言」の三番叟はやはり沖縄の感性とは異なる!笛と鼓の音色は違和感がある!

2021-12-15 21:39:42 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他
なぜ琉球・沖縄古来の感性にマッチする音色やリズム、踊りが露払い、清めの祭祀として登場しなかったのだろうか?
 
狂言の笛や鼓の音色は、琉球・沖縄の根にある音色やリズムではない。日本の伝統芸能に乗っ取られた「那覇文化芸術なはーと」の船出である。「唐人相撲」は祝祭的エンターテイメント狂言で、琉球・沖縄の伝統芸能とも親しいが、狂言が「生を寿ぐ伝統芸」とは言え、その音色は日本古来のものであり、琉球古来の色合いとはかなり差異がある。

さて琉球の古来からの色合い、音色とはなんだろうか。手拍子であり、口拍子であり、小太鼓、パーランクーのリズムだろうか。塩屋のウスデークが思い出された。女性たちの群舞が思い出された。神人(女)たちの素朴な踊りが浮かんだ。那覇市文化芸術劇場という、はいからなコンセプトの「なはーと」は、冒頭になぜ「狂言」を持ってきたのだろうか?啓蒙的なスタンスだったのか?中央と地方の融合を意図したのか?ちなみに「かじやでぃふう節」は、祝祭ステージの定番である。

自らの根っこを掘り下げ、そこから泉を掬い取る視点はなかったのだ!日本の伝統芸能を持ってきて、「なはーと劇場」の寿ぎを選択したのである。その選択をした者たちは、どれほど琉球・沖縄の伝統芸能や文化を掘り下げたのだろうか?

「国立劇場おきなわ」が、伝統芸能の天堂として2004年から歴史を編み出しているとしても、その劇場そのものも組踊の原型には遠い作りだ。折衷主義の形で運営されている。原型をどこに求めるか、線引がなされているのだろうけれど、それで良しとする「沖縄のてーげー主義」が試されよう。

三方から観劇できる空間でもない。三間四方でもない舞台だ。組踊にしても琉球史劇にしても、どこかいびつな舞台である。そして「那覇文化芸術劇場なはーと」はどうか。アートから音楽、舞台芸術とチャンプルーに多様なパフォーマンスや音楽、アートが展示され、ライブで公開できる場である。幾重にも創造の表現が可能な劇場だ。ロビーも小劇場も大劇場も、クラシックのオオケストラの演奏から大々的な琉球史劇も、上演できる規模である。従来の那覇市民劇場がそうであったように、市民の様々な表現活動のお披露目の場ということは同じに違いない。

そこに「創造発信拠点」というのが以前と異なるコンセプトだろうか。県外・海外から招聘する鑑賞公演だけでなく、アーティストや市民とともに新たな作品の創造活動を積極的に取り組むことを目指している。新たな作品を生み出すことが人と人の交流や地域の賑わいづくりにつながる、はその通りだろう。沖縄ならではの文化芸術はここから発信とコンセプトに書いている。

それならなぜ、沖縄が生み出したアーティストの作品を冒頭に持ってこなかったのだろうか。県外・海外で活躍している沖縄出身のアーティストではなく、なぜ塩田千春だったのだろうか。なぜ照屋でも幸地でも山城でも大浜でもなく塩田だったのか。

なぜ三番叟で、「ウスデーク」ではなかったのか。なぜ三番叟で「長者の大主」ではなかったのか?劇場を寿ぐために、沖縄の根にある祭祀芸能ではなく、沖縄の過去から現在を問うアーティストの作品ではなく、日本の伝統芸能と塩田だったのか?

コラボレーションの持つ意味性と可能性は理解できる。啓蒙的な視点が感じられるが、その比較観劇はゆったりとした時間の中で可能性が漂っている。しかしオープニングに古来の(?)手拍子や口三味線でもなく、ウスデークでもなく、三線の響きでもなく、笛と鼓だったのか?疑問は残ったままだ。それを選択した方にうかがいたい。なぜ狂言であり、狂言のコラボだったのか?「唐人相撲」はかなり日本のナショナリズムが爆発する祝祭狂言である。狂言のお家芸で、なかには皇帝が日本人に敗れて終わる筋書きもある。日本ナショナリズムがムンムンする祝祭的娯楽作品でもある。かろうじて、今回の作品は皇帝の意志が反映されて終わったが、引き分けの筋書きもある。

狂言役者とのコラボにより、沖縄の若い芸能者が深い学びの場を得たことは良かったと言えよう。狂言の持つ普遍性、アジア的感性もふつふつと湧いていた。そこから次へどのような新たな芸能が芸術が誕生していくのか、劇場の持つコンタクトゾーンの可能性の矢は射たれた。弁証法的にどうアウフヘーベン(止揚)していくのか、見据えたい。


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1 コメント

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沖縄は日本で一番の貧困県です! (nasaki)
2022-01-23 14:13:48
貧困県ゆえに、高い料金で舞台公演を見るのは、懐が痛くなっている現況です。

チケット制で、大人でも5000円、4000円チケットの半額か三分の一を行政が補助する仕組みを作ってほしい。年金など社会保証は下り、一方で生活必需品が値上がり中です。賃金は上がりません。

そうした中で月に4000円の公演を数回見れる階層は限られてきます。

文化の享受を「なはーと」は差別するのでしょうか?

国立劇場おきなわのチケット代金も値上がりしていますが、会員は幾分安いです。会員制を導入できないのですか?市民に還元するための施設だと思うのですが~。

ちなみに貧しいフィリピンの博物館・美術館の入場料は無料でした。2018年の経験ですが~。
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