
目取真俊さんのブログで紹介されたニコニコ動画について若者に話すと、「あれ!以前はニコニコ動画をくさしていたのになー」と言った彼は、「そう言えば大手メディアは政府報道中心で、警戒を始めているね。ネットにも規制が始まっているよ、ヤバイ日本だね」と言った。若者たちは敏感に動向を察している!
「だから中国語も英語もアクセスして世界のメディアを取り込まないとだめなのよ」
「XXさんみたいに英語でネット情報をみんな得ているわけではないから大政翼賛的な新聞・テレビに大勢の日本人は愚民のように騙されるわけだ!未だに新聞・テレビを信じているパーセントが高い日本は愚かだよ。ヨーロッパと比べてごらん!」とのことのようだ。
ウィキピーディアでも日本語と中国語と英語とではその中身にかなり違いがあることを事例をあげて話すと納得してくれた。日本でも恐ろしい透明な民主主義という名の全体主義が始まっているのか?しかし今朝の佐藤優さんの新報エッセイを読むと、氏がもう追い詰められているように見えた。最後は素敵な日米同盟の強化を暗示しているのだから、氏は自らのことばに窮している。二枚舌はもう通用しなくなっているのだろうか?なぜか気の毒な人に思えてきた。久米島出身のお母様だとの事だがーー。
沖縄の人間も氏が中央で発言している事や、ネットの論評も読んでいる。結局はどの立ち位置か、という事だと思うが、メア発言に対して敏感にその差別構造を嗅ぎ取ったアメリカ人学生の感性も感じられないのである。常に国民国家に足を置く者の鷹の目線の発言にうんざりしてきている。その辺が、チョムスキーなどと雲泥の差がある。チョムスキーなどはイラク戦争介入以前からアメリカの軍事帝国主義の構造を指摘し、その膨大な機構との闘いをやっている。佐藤さんなどは国の体制維持のために先導的兵士の役割を担っているのかもしれない。まぁある種のエピゴーネンなのだとしたら残念である。その氏を某大学学長は「佐藤さんはいい方ですね」とお話するのである。そう、日本国家に追随する「いい方」すぎて、未来の展望を感じさせないのである。
国民国家の犯罪性(矛盾)を諸に生きている沖縄島なのである。その中でタヌキやキツネになり県政を運営している保守陣営の在りようも可愛げがあったりなかったりだが、軟体動物のように身をかわすその演技も「あらおかし」である。かといって日本国家の様態が隠蔽国家になりつつある様子をみると、国そのものも哀れに見えてくる。
しかし原発という「諸刃の刃」の現代の利便性を生き生かされている現況の中で、破壊と再生が常にそこにあるのだとウチアタイせざるをえない。
世界を崩壊に導くことができる原発!
人類はどこに向かおうとしているのだろうか?
宇宙ソーラーエネルギーの開発など、去年工学部の学生がパワーポイントで発表していた中身が思い出される。
若者とは昨今よく話すようになった。時にXXさん馬鹿だねのことばもやってくるが、「神は死んだね。神とは何だろう?」の問いを発する。
おそらく「究極的な真・善・美を追求する精神性そのもの」かもしれない、がわたしの今の答えだ。そうかな?が彼の反応。神はいないよ。世界の宗教者たちは互いに相手の宗教を否定し、抹殺もいとわない雰囲気だよね。人間の観念が生み出した宗教に呪縛されて生きる。人間は救いようがないのかもしれないね。
それでも真実のありかを追求し、より新しい発見に人間はまた向かう。果てのない探究を続ける。それは単に欲望ではない何かではないのかしら?やはり究極的な真実なり愛なり美なり善なりを求めているのは確かなのよ。より新しいものを開発し、よりベターなモノを創り続ける。その欲望・パッションは消えない。
落ち込みの春から脱せねばーーー!追い詰められたモグラを生きている!
<写真は春の琉球松>
「だから中国語も英語もアクセスして世界のメディアを取り込まないとだめなのよ」
「XXさんみたいに英語でネット情報をみんな得ているわけではないから大政翼賛的な新聞・テレビに大勢の日本人は愚民のように騙されるわけだ!未だに新聞・テレビを信じているパーセントが高い日本は愚かだよ。ヨーロッパと比べてごらん!」とのことのようだ。
ウィキピーディアでも日本語と中国語と英語とではその中身にかなり違いがあることを事例をあげて話すと納得してくれた。日本でも恐ろしい透明な民主主義という名の全体主義が始まっているのか?しかし今朝の佐藤優さんの新報エッセイを読むと、氏がもう追い詰められているように見えた。最後は素敵な日米同盟の強化を暗示しているのだから、氏は自らのことばに窮している。二枚舌はもう通用しなくなっているのだろうか?なぜか気の毒な人に思えてきた。久米島出身のお母様だとの事だがーー。
沖縄の人間も氏が中央で発言している事や、ネットの論評も読んでいる。結局はどの立ち位置か、という事だと思うが、メア発言に対して敏感にその差別構造を嗅ぎ取ったアメリカ人学生の感性も感じられないのである。常に国民国家に足を置く者の鷹の目線の発言にうんざりしてきている。その辺が、チョムスキーなどと雲泥の差がある。チョムスキーなどはイラク戦争介入以前からアメリカの軍事帝国主義の構造を指摘し、その膨大な機構との闘いをやっている。佐藤さんなどは国の体制維持のために先導的兵士の役割を担っているのかもしれない。まぁある種のエピゴーネンなのだとしたら残念である。その氏を某大学学長は「佐藤さんはいい方ですね」とお話するのである。そう、日本国家に追随する「いい方」すぎて、未来の展望を感じさせないのである。
国民国家の犯罪性(矛盾)を諸に生きている沖縄島なのである。その中でタヌキやキツネになり県政を運営している保守陣営の在りようも可愛げがあったりなかったりだが、軟体動物のように身をかわすその演技も「あらおかし」である。かといって日本国家の様態が隠蔽国家になりつつある様子をみると、国そのものも哀れに見えてくる。
しかし原発という「諸刃の刃」の現代の利便性を生き生かされている現況の中で、破壊と再生が常にそこにあるのだとウチアタイせざるをえない。
世界を崩壊に導くことができる原発!
人類はどこに向かおうとしているのだろうか?
宇宙ソーラーエネルギーの開発など、去年工学部の学生がパワーポイントで発表していた中身が思い出される。
若者とは昨今よく話すようになった。時にXXさん馬鹿だねのことばもやってくるが、「神は死んだね。神とは何だろう?」の問いを発する。
おそらく「究極的な真・善・美を追求する精神性そのもの」かもしれない、がわたしの今の答えだ。そうかな?が彼の反応。神はいないよ。世界の宗教者たちは互いに相手の宗教を否定し、抹殺もいとわない雰囲気だよね。人間の観念が生み出した宗教に呪縛されて生きる。人間は救いようがないのかもしれないね。
それでも真実のありかを追求し、より新しい発見に人間はまた向かう。果てのない探究を続ける。それは単に欲望ではない何かではないのかしら?やはり究極的な真実なり愛なり美なり善なりを求めているのは確かなのよ。より新しいものを開発し、よりベターなモノを創り続ける。その欲望・パッションは消えない。
落ち込みの春から脱せねばーーー!追い詰められたモグラを生きている!
<写真は春の琉球松>