春の京都、鴨川のしだれ桜をまた見たいと思う間もなく春は通り過ぎていく。一期一会がいかに大切か、時を経て実感する。あの日、あの時、あの場所で、たしかに経験した事柄が薄れていく。日々が過去と現在と未来の定点だということは誰しもわかっていることだろうけれど、ふとただ通り過ぎていて、いつの間にか10年、20年があっという間に飛んでいくことがありえるのだ。
「光陰矢の如し」はそのとおりだと実感するのは年を取った故かもしれないが、不思議と意識はしゃきっとしていたりする。
京都の引接寺で毎年5月に演じられるという念佛狂言「道成寺」が沖縄で観劇できるのは幸いだ。以前京都の西本願寺野外能舞台を観たことがあったが、古都京都は寺社仏閣が多いだけではなくその中に歴史の痕跡を芳醇な有形・無形文化を深くとどめている。
京都の友人に久しぶりに電話したくなった。彼女はすでにこの狂言を観ているだろうか。