文化芸術劇場のコンセプトはなるほどです。
1600人収容できる大激場は海底のイメージで、光がきらきら差し込んでいる雰囲気がなかなか良かったです。
「三番叟」は野村萬斎さんのご長男の野村裕基さんの三番叟で若々しかったです。舞台の上にしめ縄が掲げられ、初公開の舞台の清めの舞台に相応しい演目だったはずです。しかし闇の中から表の光に出てくる冒頭のイメージは暗く、すでに以前見た能舞台での『三番叟』やYouTubeで野村萬斎さんが演じている動画を観た目には、劇場そのものが、不具合な気もして、解説が必要ですね。しかし楽劇の美は笛、小鼓、大鼓の音色に惹きつけられていました。しかし、それはやはり古代から日本本土に根付いた色合いで、琉球・沖縄の色合いではないのだと、逆に違和感などが、迫ってきたのも事実です。
闇から光へのイメージは、亜熱帯の沖縄とはまた異なる芸能の根なのか、沖縄の根にあるものは、お能が死をテーマにし、狂言が生を寿ぐものというニュアンスがあるにしても、沖縄の根にはニライカナイ信仰など、貧しい中でもひたすら生と死の融合する世界観が根っこにあるのだろうか、などと考えていた。
「唐人相撲」は、中国の冊封使などの到来で歴史的にゆかりがある沖縄にとって、無意識の中に沖縄芝居の中でも登場する唐人(中国人)の姿は、馴染みがあり面白く鑑賞できたのは事実である。日本人と皇帝の臣下との相撲10番勝負(?)に后や女官も登場させ、それが綱引きの場面も挿入し、さらにシーサーまで登場させ、これらの挿入された琉球・沖縄の芸能は、明るく、観客をわかせた。狂言の形式に琉球・沖縄の芸能をうまくマッチさせ、そこに自然に溶け込ませた嘉数道彦さんや阿嘉修さんなど沖縄の若い芸能家のセンスが光っていた。
琉球芸能に関心をよせ、コラボを大胆に引き受けた野村万作・萬斎親子の懐の深さがあった。この演目の選択は、もちろん、琉球・沖縄の歴史を俯瞰した上で選択されたであろうし、その点、アジア的とも言えるこの演目は、昨今の中国、アメリカ、日本の緊迫する政治性を凌駕する、象徴性を持っているとも言えよう。相撲に強い日本人と唐人との相撲という滑稽な演技は、まさに娯楽そのもので、漫画的でもあり、かつ皇帝が直に対戦する場面も含め、ありえない面白さである。架空のことば唐音(とういん)が音楽のリズムのように流れ、アクロバットで見せる。まさにアクロバットに長けた中国の技芸も見せるこの舞台は、本来「相撲」が清めの儀礼儀式としてあった歴史も踏まえているのだろう。
衣装や小道具はカラフルで赤が祝祭の華やかさを演出していた。
映像でまた振り返って見たい。こんな面白い「唐人相撲」はこの間どこでも上演されたことはないに違いない。中国、日本、琉球・沖縄の3つの文化が融合したのである。
続く。I have to go.