つまりポジショナリティー《政治的権力的位置》をスルー《無視、責任逃れを)して、左翼の殉国美談(現代の捨石思想)を称えているという二点が主な批判です。
かなり長い細かい批評がなされていますね。三上監督は昨今の高江や辺野古のドキュメンンタリー映画監督として注目度の高い監督です。生粋の沖縄の人間ではなく日本本土から沖縄の華の或るテレビのキャスターとして赴任してきた女性ですね。投稿された野村さんの論評を読んだのですが、ポジショナリティーの点で、沖縄に住む、日本本土出身の知識人層に突きつけた問いとも云えそうです。つまり政治的権力的位置《立場・立ち居地》を意識しての発言であり、政治的アクトであり、論文であり社会へのコミットメントであるのか、が問われていますね。
あくまで沖縄を植民地として処遇する中で、メリットを得ている大和《日本》の知識人の立場(罪悪感、宗主国の人間として無意識・意識的自覚があるかどうか)を問うていますね。沖縄を日本の植民地として定義するならば、その植民地から甘い、うまい汁を吸っている多くの知識人層が沖縄内にはびこっていることへの批判でもあるかと受け取りました。
それから殉国美談は左翼にとっての捨石沖縄の美しい物語を作る側の人間ということでしょうか?日本の防波堤(最後の戦いの砦)と言ってしまったのですね。基地は本土にお引取りくださいの考えが貫かれていますね。
基地はアメリカ本国へお引取りくださいとも異なります。安保を99%が容認しているのならば、その安保の抑止の要である米軍基地(?)を99%本土でお引き取りくださいの論調である。
野村さんのこの論調からすると、三上さんはうまく沖縄をターゲットにして監督としてドキュメントを撮っている女性で沖縄の味方のようで、沖縄のために撮っているフィルムだが、それを自らの責任を回避しながら偽って、フェイクで沖縄の主体を装っているとでもいいたいのかもしれませんね。フェイクで沖縄のために何かをやってあげているという正義の使者のヒロインやヒーローを演じて自己満足している方々が『多い』の指摘にもなるのでしょうか?そうしたエスニシティーの問題はますます表象に出てくるのでしょうね。誰が描いたのか、誰が書いたのか、誰が演じたのか、などなどー。
野村さんの論評をここに紹介できないので、できれば読まれてほしい。立ち位置がどこにあるか、は常に問われていますね。三上さんは沖縄を収奪している日本人なんです、を、野村さんは強調されたかったのかー。しかし彼女は素敵な日本人女性ですね。
沖縄出身ではない方々が県の文化関係組織でも重要な位置をしめている事例もありますね。エスニシティーが問われています。このような批判は沖縄の自決権の主張とも絡んでいるのかもしれませんね。戦前の沖縄の行政府を担った人々、学校の教員等、圧倒的に多府県から来た方々でした。
マイノリティー沖縄が経験してきた近代から現代にいたる道筋ですね。内国植民地と大城立裕さんははっきり書かれていますね。フランスにとってのアルジェリアのような関係?イギリスにとってのアイルランドの位置?独立国家になっていった国々と内国植民地のままの沖縄でしょうか?宗主国の人間にとっては優位性と共に居心地がいいということでしょうか?んんん、似たパラダイムは世界に多いようです。マレーシアのマレー人と中国人やインド人の関係なども考えさせられます。
近代沖縄、徹底して日本人化していった中で、させられた中で、本来の琉球文化の価値を見直したのは内部からそして外部から両方ありましたね。壊れる国家組織がありその時の損失、傷の大きさがありますねー。収奪する側のメリットとデメリットがあります。文化の総体も含めて考えざるをえませんね。政治運動そのものもまた植民地構図で分析されるわけです。
当事者であるか否かは大きいのかもしれませんね。
ただ野村さんの指摘がすべて正解ともいえないようです。沖縄と日本の構図が支配と被支配の二項対立であり巨大な権力としてのアメリカが問題にされていません。昨今の考えは、沖縄はある面戦後70年の日本の縮図であり、沖縄は27年間アメリカの占領を受けたが、本質的に日本そのものがアメリカの植民地、属国であるという認識があります。日本が沖縄を切り捨て都合がいいように振舞ってきたのも事実です。そしてその日本の経済の発展のおこぼれをいただいて沖縄経済も復帰後よくなっていったという経緯もあります。日本の最貧困県でありつづけます。日本に併合されて日本人としての国家アイデンティティーを得て沖縄は発展してきたのだろうか?はい、物質的にも亜流日本人として発展してきて、戦時中から戦後へと修羅でした。戦後はアメリカ世を体験し、そして復帰後の現在は明らかな二重支配の中に囚われています。豊かな日本そのものがアメリカの囚われの中の経済発展を遂げた事実があります。原発問題にしても、安保にしても、アメリカの核の傘の下での復興でした。70年の真実がむき出しになってきています。
沖縄が犠牲に供されたのは事実ですが、一皮向けば日本の麗しい戦後民主主義の欺瞞があふれています。或る面片肺の独立国家であったことがわかったのです。そうした状況の中で沖縄が求めざるをえない方向性とは、自立的未来であり、アジアの同じコミュニティーとしてのベクトルでもあります。
三上さんが沖縄の闘いが日本の民主主義の砦とする思考性も其の点、理解できます。辺野古資金に多くの日本本土の人々が献金されている理由は沖縄の立場への共感であり共に変えて行きたいという心情の表れとも言えます。戦後70年の仮面を剥ぎ取って沖縄とつながり共に真の民主主義国家を築き上げたいという思いにも取れます。ですから一概に植民地の宗主国の人間=三上さんという名指しはどうかとも思えます。
野村さんの分析するパラダイムとは異なる視点を取ると、その構図はまた異なって見えてきます。三上さんのがんばりは応援しましょう。沖縄に突きつけられた現実を広くドキュメンタリーで広報したエネルギーは本物ですね。《続きます)
一次情報はチェーンメールで添付で送られてきたと記憶しているのですが、その文書が探せるのか~。書かれたのは野村浩也さんです。氏に直接お尋ねしてもいいのではないでしょうか。ご本も出版されています。