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人間国宝照喜名朝一さんのウチナーグチでのお話に感銘!「うちな-ぐち部会」那覇市文化協会設立大会!

2011-06-06 09:26:02 | グローカルな文化現象
            (真境名由康氏の曾孫に当たる真境名由佳子さん、照喜名朝一さん、宮良信詳さん)

昨日朝10時、那覇市第二市庁舎二階にて「ウチナーグチ部会」設立大会が開催された。会長の宮良信詳先生のお話も流暢なウチナーグチで、(首里・那覇ことば)で「チムウチャーシサーニ」のようなウチナーグチに揺り動かされた。こんな素敵なことばがあるんだ!とーー。

また顧問の照喜名朝一先生のうちなーぐちの語りにも感銘を受けた。氏がすでに平成3年に新聞で気がかりなうちなーぐちについて言及されていたことが、また氏のウチナーグチやウチナーの古典歌三線にかける思いの深さをしみじみと感じさせてくれた。

すでに今から20年も前に氏は「ただ心配なのはウチナーグチが消えかけていること。今という時代は、形にないもの、見えないものが失われている、そんな気がする。紅型や踊りの手振り、言語としてのウチナーグチは残るかもしれないが、歌には詠まれる背景とか、人の心とか今の若い人は分からない。おとぎ話の世界ですよ。ウチナーグチが生きていてはじめて、生きた芸能の発展があるんじゃないかな」とお話されている。「ウチナーグチ設立会」でのお話もその見えない世界の大事さを強調されていた。見えないもの、そこにある価値を大事にするという事柄、またウチナーグチが琉球弧全体を網羅する言語として他の琉球諸語も含むと考える、とお話された。琉球諸語としてすべてを同一に並べることの危険性を感じる。琉球王府時代、そして戦前まで沖縄の主流言語体系の中心にあった首里・那覇ことばさえ危機的状況で、組踊、琉歌、沖縄芝居など、首里那覇ことばが基軸になっている。それらを保持・継承していくことが問われているのである。

だから八重山芸能をやっている方が「うちなーぐち」だから遠く感じるということは、どうも気になる反発である。しまくとぅばは世界にあるのである。照喜名さんもお話されていたように、6琉球諸語に括れないほど多くのそれぞれの島のことばがある。それらを含めてウチナーグチだという認識はユニークだと感じた。琉球弧にしかない言語としてのウチナーグチにそれぞれの異なるしまくとぅばが包摂されるという考えである。そして世界のウウチナーンチュの中にうちなーぐちはある!その辺、学者文化人の平等性の論理の弊害を見据えなければならない。6琉球諸語を横一列に並べるのですか?


(ウチナーグチ部会会長宮良さん、副会長の北村三郎さん、安田辰也さん)

同席されていた『組踊』の人間国宝・宮城能鳳先生もウチナーグチでお話された。教え子たちが芝居の史劇や歌劇に出てウチナーグチが堪能になっていくことは喜ばしいとお話になった。ご本人はウチナーグチであまりお話することはないが、ご自分も流暢にお話ができるようにしたいと宣言された。(氏のお話から「沖縄芝居」がいかにウチナーグチの習得に有益か、という事が明らかではないだろうか!)

論議もあり、例えば沖縄文化とは何かとか、良かった。「しまくとぅば」ではなく「うちなーぐち」で良かった!!!
この部会が応援する「ウチナーグチ万歳」の舞台公演やフォーラムについては後でしっかりUPしたい!今年9月3日に琉球新報ホールで公開フォーラムがある。また9月11日には喜劇「ウチナーグチ万歳」の舞台公演が那覇市民会館大ホールで企画されている!ウチナーの人間が琉球弧の人間が自らの言語をアイデンティティーを取り戻し世界と手を取り合うその推進になったらいいと思う。私は個人的に沖縄芝居や演劇のウチナーグチそのものに危機感を覚えるゆえに参加している。

将来的に似たような世界の地域との比較研究を通して、いかに沖縄芸能・演劇が文化的アイデンティーとして生きていくバックボーンでありえるか、いかに大切かという事を実証的に示したいと考えている。それがわたしなりのこの生まれた故郷(島)への恩返しだと考えている。

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3 コメント

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投稿できたのかわからないのでもう一度しますmm (グリーン)
2012-02-14 21:48:16
詳しい解説ありがとうございます。

私が聞いたのは、しまくとぅばの「しま」は島々のしまではなく、沖縄で言うという意味でのしまだそうです。

沖縄の言葉は単位で少しずつ違うので、総合的な沖縄の、ではなく各の言葉を尊重する意味があってしまくとぅばと言っていたと聞きました。

首里・那覇中心になるのは当然のことだと思いますが、それ以外の田舎言葉の人達にとっては自分のしまの言葉がどうでも良いような、なおざりになっているように感じるかと思いました。

言葉は芸能の為だけでなく、一般の沖縄の人のベースになるものではないかと思います。
ちなみに私は古典を習っていますので芸能の世界では首里・那覇の言葉が中心だということは多少わかっているつもりです。

どうせ使うなら昔から使っている言葉を使った方が良いんじゃないかと思った事、あと「沖縄の口(くち)」という表現が何だかしっくりこないとも言っていましたので、気になり質問しました。

何か考えがズレていますでしょうか・・。
ろくに喋れもしないのにでしゃばりましたが若輩者の一意見としてご容赦下さい。

乱文失礼しました。
大変勉強になりました。ありがとうございました!
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昔はしまくとぅばですか? (なさき)
2012-02-14 06:30:22
しまくとぅば=島のことば、はどこにもある地域語ということだと理解しています。地域語だとすると世界中の多様な地域の言語は全部島ことばになります。

しまくとぅばという言語学的表示があるかどうかも疑問です。わったーしまくとぅばや あんしあらんさーのような感覚で使っていて、それはそれでいいと思います。

世界のしまくとぅばを大事にしましょう!で意味は通りますよね。

あえてウチナーグチを強調するのは沖縄=うちなーの言語という表象で琉球弧の多様なしまくとぅばを束ねることになります。

私自身がウチナー芝居役者(戦後の名優だと思います)真喜志康忠氏とのおつきあいの中でウチナーグチ芝居役者の情熱と絶望を傍で見てきて思ったのは、ウチナーグチが方言としてすぼめられてきた近代以降の歴史があり、その中で必死にウチナーグチによる舞台芸術=芝居を創作・上演してきた歴史を振りかえる時、今ウチナーグチ=独立言語(ユネスコが認定)として沖縄に住む沖縄の人間が認知し文化運動として推進しなければ、しまくとぅばとしての地域語も諸ともなくなるのではないでしょうか?もちろん沖縄の芸能は組踊も含め、琉歌もウチナーグチですよね。六つの琉球諸語がありますが、中央言語は沖縄語です。首里・那覇語が中心で、芝居ことばも首里・那覇ことばの芝居口調です。宮古語、八重山語、与那国語など独自に保存・継承する文化的仕掛けが必要ですし、沖縄語は中央語として組踊や沖縄芝居の存続にも大きな係わりがあります。芸能が文化≪言語≫の記憶装置としても大きな役割を果たしていると言えます。人間国宝の先生があえてウチナーグチにこだわってお話されるのも、歌・三線の歌詞はしまくとぅばというよりウチナーグチだからだと理解しています。私は言語学者ではありません。芸能や演劇、文芸を批評や研究の対象にしています。その観点からの考えです。
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Unknown (グリーン)
2012-02-13 17:26:04
こんにちは通りすがりの者です。
「しまくとぅば」でなくて「うちなーぐち」で良かったというのはどういう意味ででしょうか?
昔はうちなーぐちでなくてしまくとぅばという言葉を使っていたと聞いた事があるものですから疑問に思いました。
良ければ教えて下さい!
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