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朝から、というより午後からずーと家の内外の掃除で日が暮れる日、「むらさきのスカートの女」を昨日半分ほと読んで、今日は22時ごろまで読む時間がなかった。やっと読み終えてネット批評を見るといい論考がけっこう出ているー。
今村夏子さんの名前もわかりいいのだが、小説の「むらさきのスカートの女」も平易で読みやすく、ぐいぐい引いていく物語の流れなので、こんな平易の文体なり表現の物語が「芥川賞受賞作品」なのか、と訝しく思いながら読んでいた。賞の発表があった時から題名が気になっていて読んでみたいと思っていたのが、時たま大学の帰りに寄ったスーパーのレジの横のスタンドに一冊あったのが良かった。
わたし「黄色いカーディガンの女」の視点から語られる物語は面白く、実際ホテルの清掃業の仕事をしていた作者奈夏子さんの経験あってのリアリティーと観察眼、日常を丁寧に描くとシュールになる、と身近にいる詩人が常日頃話していることばのとおりだと思ったりした。それと今年、英語講読演習の授業で普通、学生たちにそれぞれの専門分野の学術論文を読ませて、その要約とコメントを書かせ、さらにパワーポイントで発表させる授業をしているのだが、二編の論文の課題に付け加えて今年は、英語に翻訳された村田沙耶香の『コンビニ人間』 Convenience Store Woman や多和田葉子の『献灯使』The Emissaryを課題にしたので、小説が身近にあったのも事実だ。
どちらかと言うと今村夏子の「むらきのスカートの女』は村田沙耶香の「コンビ二人間」の匂いがした。村田さんも実際にコンビニで働いてきた経験が土台になっている。実際の体験・経験は手堅いという印象だ。またどこかシュールめいているのも類似する。ホテルの掃除のお仕事の現場がなるほどと興味深かった。ホテルを利用する時、時に遭遇する掃除のおばさんたちが、内から鍵をかけて中の物をつまみ食いしたり飲んだり、時にベッドの上で寝ることもあること、それは、あっても不思議ではないのだけれど、どの職場にもある手抜き・息抜きかもしれないが、そうした日常の隙間にある時間が、かろうじてルーティーンを持続させるエネルギーになっているかもしれない、しかしどこでもきちんとしたシステムが貫かれているのは事実なのだ。
かつどこでも人間社会なのでさまざまなドラマの進行形なのだと思うと、今村さんがとても日常のリアリティーに+ストーカーする女「黄色いカーディガンの女」からストーカーされる「むらさきのスカートの女」を語る物語を紡いだ才覚は奇抜というより他ない。一人身の女性の現況が、おいつめられている状況が浮かびあがってきた。
「むらさきの女が職場になじんで「普通の女」に変貌するのと裏腹に、徐々に「危ない女」に近づいていく「わたし」。ホラーか、はたまた恋愛小説か。ラスト近くで判明する「わたし」のダメ人間ぶりとその境遇が衝撃的だ。」斎藤美奈子https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2019080200071.html?page=1と書かれた評があった。ただ「むらさきのスカートの女」が危ない女なのか、は疑問だ。物語の推移の中で学校のバザーにホテルのタオルなどを出したのが「黄色いカーディガンの女」であることが推測できるゆえに、危ない女はどちらかというと「黄色いカーディガンの女」の語り手の女だと言えそうだ。
むらさきのスカートの女や黄色いカーディガンの女という個人の特定は面白い。わたし自身「白いワイシャツの君」とか「目の澄んだ男」とか、「あいさつしない女」とか、「凡庸な顔をした男」「夫の悪口を言う女」とか、書いたりしていて、小説のタイトルが気になったのかもしれない。「日常を丁寧に描くとシュールになる」のことばが脳裏で響いている。