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何しているのとTwitterは聞いてくる。それで思わず応えてしまう仕掛けにのる。やっと論拠が見えた!暮れから伊波普猷の『古琉球』が気になって読んでいてそして、やっと仮説がつながった。土壇場で何やら新しい視点を提示できそうだと確信した、と言ってもこちらの思い込みではなく、実際、実証...
分厚い芸能関係の辞書を読んでいた。データーが溢れている。そしてプラトンの「饗宴」をスキャンするように読んだ。否、線を引きながらだ。エロスとは何かがテーマだ。そしてその言葉として記録されたものの中に秘められているもの、そこから見えるものをどう読み解き「これだ」と出せるか、ああ時間はないのだ!無限なるもの、無窮の言葉があるのか、イデア、対話の中で語られるロゴス・エロス、ソクラテスとデイオティマの対話、プラトンのセリフ劇、饗宴、超凡な性質、知恵の探求、愛智者、精神的不死ーー、シャノンは書く。「饗宴はアテナイの社会生活、性生活の中心的部分だった。集まった人々はひたすら飲み食い遊び哲学を論じ男と男、男とヘタライタが性的に交わった。ディオティマは神聖娼婦で饗宴の中心にいた。」なるほどである。ポストモダンの視点を反芻しつつ、である。生身の当事者たちの発言(記録されたことば)の臨場感に驚く今日だった!