
那覇在住が長かったH氏賞受賞者高木敏次さんが1月15日から台湾に移住するとの話を耳にした。詩集『傍らの男』で大勢の中に紛れる個を喪失された現代人間の孤独を(なにもなさ)を描いた氏は、台北(?)でまたどんなことばを紡ぎ出すのだろうか?楽しみである。アジア性など、アジア的なものがことばに滲んできたら面白いけれども、氏は日本語の表現をきわどく追求しているようにも思える。実態としての歴史と文化、通時性や共時性をとっぱらったところの実存のありようそのものかもしれない。今、事実なり真実と思っている事柄がすべて曖昧模糊としたベールに包まれているのらしい現実という膨大な現象の前で、人は何を信じ、何を縁(基軸)に生きざるをえないのだろうか?
実態、手でつかむ真実という虚が形として残されるメディ媒体、本や写真や映像や声や絵画やあらゆるパフォーマティヴな表現、ネット映像やことばなど様々な表出を含め、それらが実態として浮かび上がってくるのだろうか?