今私は、クアラルンプールの景観のいいマンダリン・コートホテルの一三階の部屋で、沖縄の演劇に思いを馳せながらこの表題について書いている。あらゆるパフォーミング・アーツを研究対象とするIFTR/FIRT国際学会の中の「アジア演劇研究会」の会議が16日から三日間こちらで開催されることになり、私も沖縄の演劇について発表する。組踊から沖縄芝居への架け橋になった「親あんま」を中心に、オペラ「マダム・バタフライ」の物語原型を現代劇「カフェ・ライカム」を含めてその類似と違いを紹介し、またそれがアジアの他の国々の表象芸術と結びつけることができるか、論議する予定である。
実は21世紀に入って急速なグローバル化の中でローカル=グローバルだということを強烈に認識させられたのもこの国際学会の場での経験である。世界が直に沖縄と呼応しているのだということを伝えたくてこのような書き出しになった。近代とは何だったのか?西欧列強の他地域の植民地化、日本のアジア共栄圏構想の中のアジア支配と西欧を模倣した植民地化と戦争の世紀の到来、その近代が舞台芸術でも問われている。今日、世界を表象レベルでも席巻するアメリカの存在がある中で、このグローバル化時代だからこそ、文化的エッセンシャリズム(本質主義・実在論)の重要性が浮かび上がっている。沖縄演劇を語る上で近代は大きな意味を持っている。
沖縄演劇を組踊から沖縄芝居、そして現代劇まで網羅して考えているが、沖縄芝居の発生から現代を考える時、明治一二年の「琉球処分」以降に登場した芝居小屋(劇場)、そこで創作された雑踊や沖縄芝居(商業演劇)は、非常に重要である。ここでまず強調したいことは、沖縄芝居の名優で、今年ユネスコが世界無形文化財に指定することになった組踊の保持者・真喜志康忠の『沖縄芝居と共に』の著書の中に脈打っている芝居役者の怨差と情念である。実演家ゆえの人生の哀歓や芝居にかける熱情と、芝居の歴史(背景)が鮮やかに浮かび上がる。そしてそれをしっかり呑み込んで、明治政府による近代の大波を見据えた沖縄芝居の概観を書いたのが比嘉実の『古琉球』の中の「明治沖縄演劇小史」である。芝居役者の証言に論理的フレームを与えている。比嘉は沖縄の近代化の過程で、当時の多くの知識人や一般大衆から蔑視されながらも沖縄社会の中で重要な役割を果たした沖縄芝居と役者をしっかり見据えている。確かに「沖縄芝居(商業演劇)ほど沖縄の民衆に支持された文化運動は他にない」と言える。日本への同化と異化の波は現在まで続く沖縄の枷であるが、沖縄芝居の中にも深い影を落としている。
沖縄演劇を含む沖縄芸能の通史的概観を丁寧にまとめたのが『沖縄芸能史話』である。祭祀芸能からおもろ、琉歌、歌劇、古典音楽、琉球舞踊も含め、戦前の沖縄芸能の重鎮、玉城盛重、渡嘉敷守良、新垣松含、真境名由康、伊良波尹吉、玉城盛儀、島袋光裕を取り上げる。さらに戦後の芝居の動向から一九八○年代の沖縄芝居実験劇場の文化運動まで矢野は見届けている。『琉球芝居物語』は明治・大正・昭和初期まで大和芸能との比較の視点で綴ったエッセイ風の通史。池宮の『琉球文学論』の中の「明治演劇」、歌劇「泊阿嘉」や「奥山の牡丹」についての詳細な研究論稿は、綿密。比嘉の演繹的アプローチに対する帰納的手法から学ぶものは多い。『沖縄演劇の巨匠 渡嘉敷守良の世界』は「近代沖縄演劇の発祥」「舞踊に関する随想録」など貴重な論稿が収録されている。『沖縄演劇の魅力』は作家の視点から沖縄芝居構造の特徴を明かし、新作組踊誕生の根にあるものが見えてくる。『真境名由康人と作品』は、戦前・戦後と組踊・沖縄芝居・琉球舞踊の重鎮だった真境名の証言と作品集だが口立てが多い芝居ゆえに、もはや沖縄の文化財産である。『女だけの「乙姫」奮闘記』は戦前の辻が育んだ豊饒さが女性だけの乙姫劇団を誕生させたこと、その活動、作品そして魅力をまとめた書。『石扇回想録』は戦前・戦後を通した沖縄の傑出した芸能人の回想録。琉球・沖縄史の中で、演劇は文化的アイデンティティーの中軸だと私は考えている。
<IFTR/FIRTのアジア演劇国際会議に参加した2010年3月14-18日、クアラルンプールのホテルで書いて送った原稿>
<上記のエッセイは沖縄タイムスにすでに掲載された文書であり、一部割愛されている。全容は是非、「沖縄タイムス」を読まれてほしい。>
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演劇評論/研究、カンザス大学大学院・国際演劇科修了。今年4月から琉球大で「沖縄近・現代演劇の諸相」(仮)について博論に取り組む。論文に「沖縄のハムレット」「古典・新作組踊の女性たち」ほか。JSTR&IFTR/FIRT会員、APCの会員になり2012年にはアメリカでチームとして沖縄の表象文化についてパネル研究発表をする予定!