(琉球新報11月19日)
頼もしいですね。Native American やチカノアメリカン、つまりマイノリティアメリカン文学研究者の喜納さんが学長に選出された事が感慨深いです。ジェンダー学も研究しています。 森田猛進(琉球大)、瀬名派栄喜(名桜大)、山里勝己(名桜大)の先生方に続いて、琉大の外国文学専攻出身の研究者が学長というのは、稀で、多様性と、広くて深い国際的なビジョンや慧眼が評価されているのでしょうか。
ただ、女性学長はもはや「ガラスの天井」ではないので、それはあまり強調する必要はないかと思います。
来年から琉球大学がどう変革していくのか、楽しみです。
(同じく琉球新報一面!)
前学長は、他府県出身者で、喜納さんの対抗馬の候補は医学部の方々、松下正之さん、大屋祐輔さんで同じく他府県出身。地元沖縄出身は、昨今いませんね。
前学長は、他府県出身者で、喜納さんの対抗馬の候補は医学部の方々、松下正之さん、大屋祐輔さんで同じく他府県出身。地元沖縄出身は、昨今いませんね。
医学部から学長が誕生したのは前々回でした。医学部の利権を人文社会学部や教育学部や他の学部の沖縄出身の方々が嫌がった可能性もあるのでしょうか。しかし医学部からお二人の立候補は、票を割るためだったのだろうか。
ジェンダー差異だけではなく、沖縄出身者(民族意識)と他府県出身者(日本人超越意識)の微妙な無意識的葛藤もあるのかもしれませんね。
戦前の沖縄のように、政財界、教育のエリート層、支配層がほとんど大和人だった時代とは、変わっているはずですが、ウチナーンチュ、ウセーラッティナイビランの精神が知識人層にも流れているのだろうか。
たかが学長選挙かもしれないが、分析したら興味深いデータがでてきそうですね。
しかし、コロナパンデミックの狂想曲の中で、琉球大は、文科省の僕で厚労省からの上位下達を実践でした。副学長の喜納さんも、その幹部でした。
どう総括しているのだろうか。大学は究極の真善美を追究しているだろうか。大きな権力や権威の僕なのか、危ういシステムでもあるようですね。
学問の自由と社会への貢献、叡智による道標になるべき方向性は、絶えず試されています。
女性のハーバード大学学長が辞職を余儀なくされたのは昨今でした。学生たちのガザ、ジェノサイドへのデモの責任が問われていました。
高等教育と研究、真理の探求の場であり続けることの使命は並大抵ではないでしょう。
時勢の政治に屈服させられないスタンスは厳しいですね。しかし、What is the truth?をひたすら追求する使命を背負っています。
ただ全てにskepticalにならざるをえませんね。