栗山民也さんが沖縄で若い沖縄の現代演劇人のためにボランティアの形で演出に取り組んでいた時、安奈さんもご一緒のことがありました。栗山さんは、津嘉山正種さん主演作品の演出だけではなく、沖縄の演劇活性化に気配りされ、パッションを向けられていたのですが、常に沖縄に心を寄せている安奈さんの姿も感じられました。残念です。ご冥福をお祈りいたします。
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中川安奈
なかがわ あんな 中川 安奈 |
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本名 | 栗山 安奈 | ||||||||||
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生年月日 | 1965年8月30日 | ||||||||||
没年月日 | 2014年10月17日(満49歳没) | ||||||||||
出生地 | 日本・東京都 | ||||||||||
職業 | 女優 | ||||||||||
ジャンル | 舞台、映画、テレビドラマ | ||||||||||
活動期間 | 1988年 - 2014年 | ||||||||||
配偶者 | 栗山民也(1992年 - 2014年) | ||||||||||
著名な家族 | 中川晴之助(父) 中川一政(父方祖父) 千田是也(母方祖父) |
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事務所 | 岡村本舗 | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
『敦煌』 『炎立つ』第三部 |
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中川 安奈(なかがわ あんな、1965年8月30日 - 2014年10月17日)は、日本の女優。the companyのアソシエイツメンバーである。
東京都出身、岡村本舗所属。
概説
桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒。
1988年、映画「敦煌」でデビュー。
子宮体癌で闘病中だったが、2014年10月17日死去[1][2]。49歳没。
グラビアアイドルの中川杏奈とは別人。
家族
父はテレビ草創期のTBSでドラマを演出、監督した中川晴之助。父方の祖父は洋画家・中川一政。また母方の祖父は俳優、演出家の千田是也である。千田の妻だった祖母はドイツ人なので、クォーター。夫は演出家の栗山民也。いとこに元女優の中川七瀬がいる[3]。
出演
舞台
- アトリエ・センターフォワード第3回公演「ブルー・ウォーター 〜20XX火星編〜」(2010年3月3日-10日、シアター風姿花伝)
- 古川オフィス10回公演「ヴァニティーズ」(2010年10月12日 - 17日、新宿サニーサイドシアター)
- SPACE U 15周年記念公演「ダークファンタジー マクベス2010」(2010年12月22日-25日、新国立劇場小劇場)
- ウンプテンプカンパニー「ベルナルダ・アルバの家」(2011年9月1日 - 4日、シアターΧ)
- 彩の国シェイクスピア・シリーズ第24弾「アントニーとクレオパトラ」(2011年10月1日 - 15日 彩の国さいたま芸術劇場大ホール、10月21日 - 25日 福岡・キャナルシティ劇場、10月28日 - 31日 大阪・シアターBRAVA!、11月24日 - 27日 韓国・LGアートセンター)
- ザ・スズナリ『黄色い月』(2012年)
映画
- 敦煌(1988年・大映)
- Aサインデイズ(1989年・大映)
- ボクが病気になった理由(1990年・アルゴプロジェクト)
- ふたりだけのアイランド(1991年・東映クラシック)
- ゴジラvsキングギドラ(1991年・東宝) - エミー・カノー 役
- キャンプで逢いましょう(1995年・東宝)
- CURE(1997年・松竹)
- ヒロイン!なにわボンバーズ(1998年・大映)
- 下弦の月“ラストクウォーター”(2004年・松竹)
- 楳図かずお恐怖劇場 DEATH MAKE(2005年、太一監督)
- ヘレンケラーを知っていますか(2007年、中山節夫監督)
- シャーリーの好色人生(2009年4月11日公開、佐藤央監督)
- インターミッション(2013年2月23日公開、樋口尚文監督)
- 蒼白者(2013年6月8日公開、常本琢昭監督)
「かじまやーカメおばあの生涯」(栗山民也演出、下島三重子脚本)
「かじまやーカメおばあの生涯」のドレスリハを見た昨夜! 吉田妙子さんとの約束が果たせて良かった!原作の平松幸三 さん や脚本の下島三重子さん、演出の栗山民也さんともお会 いし てお話できた。スタッフは「海の天境」のメンバーで来春ア メリカでもご一緒する方々!
栗山演出の特徴など少しお聞きした。28人の役者と演出と の反省会の後でのドレスリハは時間があったので、楽屋でお しゃべり、しばらく会わなかった沖縄現代劇の若いみなさん 中堅どころとお話などもーー。
下島さんは写真撮影を認めてくださった!感謝!吉田さんを 中心に撮った。彼女は重厚に演じた。予想通り吉田妙子あっ ての芝居だ!彼女の芸の濃さがなければなりたたない。なの に沖縄芝居役者の力量を無視して、彼女もオーディーション で選ばれたと記者会見で強調してと言い切った制作の池原さ んのコンセプトには違和感が起こる。沖縄芝居を馬鹿にしな いで!!中央の偉い演出家やお友達の脚本家が大事ではない のよ。
地元の役者をどれだけ尊重できるのか、その辺が問われてい る。
はじめから主役は決まっていた!メインの役者もそうだがー ー。
その辺のお友達感覚はどうだろうーー。まぁ、それは側にお いても舞台はさすが栗山民也という日本を代表する演出家の 才覚は見事だと感じさせた。栗山さんとのセッションで下島 さんは脚本を8回も書き換えている。修正の手が入っている という事だが、この間の彼女の作品の中では秀作だ!代表作 になるだろう!
原作をなぞっても芝居にはならない、そこに二重、三重の芝 居ならではの構造を仕組んだ。それが面白かった。下島さん らしきヤマトンチューの演出家が来て、おばーのドキュメン トを元に芝居を仕立て、それを町の芝居好きのアマチュアと リハを繰り返す。現実の畑で土地を耕しているカメおばーと ボケているカメおばーの周りの人物と芝居のリハを絡めてい く。その立体的な構図が良かった。複雑、されどそれをうま く見せる演出の手腕!カメおばーがフェンスの側で畑を耕す。 ボケた中で戦時中の物語が語られていく。
轟音と共に現実の佐辺の状況がこれでもかと繰り返される。 戦闘機の轟音の中で繰り返される日常。そして戦争の傷が 生々しくむき出しになっていく。芝居の中でヤマトンチュー とウチナーの対立構図も見え隠れする。ヤマトンチューで 沖縄を描く人間の思念の総体がまた試されるのである。彼 女の台詞の一言一言が沖縄をあぶりだす。痛みが走る。悲 しい歴史と現実に涙腺が弱くなる。そしてかじまやーの席 の滑稽な閉め方も含め、うまいと思う。そしてとてもいい 作品ですね。是非東京にも全国の基地の町でも上演してほ しいです。それは本音である。
実在したカメおばーの映像を背後に吉田妙子扮するカメお ばーが鍬を持つ姿!また舞台上の若き頃のカメ扮する金城 翔子が鍬を持つ。ダブルイメージの鮮やかさ!
その舞台を見ているヤマトンチューの演出家、さらにその 舞台全体を再創造するヤマトンチューの栗山民也がいる!
感動する。しかしどこかで気になるのものがある。人類館 の調教師が実は仮面をかぶったウチナーンチュであったよ うにかじまやーカメおばぁの生涯の演出家は喜屋武ひとみ 25年ヤマトに住んでいるというウチナーンチュである。
そして芝居の中身は町民によるボランティアのお芝居とい う設定である。つまり彼らはアマチュアの町民劇の出演者 という事になるので、彼らの演技はプロの演技ではなく素 の演技でいいというからくりがなされている。
主演のカメおばーは沖縄芝居女優、息子は芸人の藤木勇人、 隣人はボイストレーナーの宮里京子、藤木の妻は自ら劇団 を持つ犬養憲子、また山川医師に沖縄芝居役者普久原明で ある!
リハの中の人物と実在した周りの人物をうまく分けている。 そして絡み合う。複雑だとあの田原さんが唸っていた。彼 も細かい演技指導をだいぶ受けていたようだ。
芝居のからくりの面白さ、されどそれが再現する全体の構成 なりからくりがどうも気になるのは沖縄的ルサンチマンゆえ なのか?
インドの事例だけではなく、収奪という二語が常に付きま とう。沖縄の表象が収奪されているという事はないのか? その舞台表象が誰のものなのか?文化受容、文化解釈として、 沖縄に大きな前進がありえるのか?なぜ沖縄の人間が書いた 脚本ではなく、演出は栗山民也なのか?確かに5年間のボラ ンティア的な栗山氏の御苦労の集大成である。下島三重子と 池原弘美(YYカンパニー)が沖縄の文化向上のために当初 企画したプログラムと理解している。それが実ったという事 でもあろう。そこは素直におめでとうと言いたい!
栗山演出舞台の斬新な感動、それは確かである。新しいセン スに打たれる。そしてかかわったすべての沖縄の演劇人がそ こから何かを学んでさらなる創造へと向かっていけばそれで いいのである!めでたし、めでたしとなぜか終わらない物が 残る!のはなぜか?
吉田さんのカメおばーは代表作になるだろう! 吉田さんは誇りあるおばーである!
印象に残る吉田さんのことばがある。たとえば平松さんのご 本の中の写真で闘う住民の姿がある。「その中には宏英がい ると思って私は演じている」
「宏英の遺影を抱きながら演じたいほどの気持ちで私は演じ ている」、という言葉である。名護宏英氏は今年交通事故で 亡くなられた吉田さんの弟である。
(御母が同じ姉弟は宏英氏で、吉田さんが芸名につけた父側 の兄弟もたくさんおられる。現県会議員の吉田勝廣さんも実弟 のお一人である)
名護宏英氏の「道」も強制的な立ち退きに頑固として闘うお ばーの物語だった。「宏英の魂が「カメおばー」の中に宿っ ている。この話があった時台本を読ませようと思っていた矢 先に逝ってしまったさー」と残念そうなことばだった。
沖縄芝居の役者の存在感の大きさはもっと高く評価されるべき だろう!
今日昼、夜本番の公演がある。明日も二回公演だ!私はまた今夜 本番を見に行く。吉田さんのおばーを見たいために!
是非多くのみなさんに見ていただきたいお芝居である。おばー の気骨ある魂に触れるために!ウチナーンチュの誇りが彼女の 中に満ちている。
サイパンからみなしごを引き取って何人も育てたという懐の 深さにも感動した。その辺は芝居では十分描き切ったように 見えなかったが、戦争の残酷さ、その中でまた女たちが底辺 を彷徨っていて収奪されている構図は、さすが下島さんは 描いている!
下島三重子の作意と栗山民也演出
凝り性だとは思わないけれど、かかわった対象にきちんと 向き合いたいという思いは強い。だから昨夜もまた 「かじまやーカメおばあの生涯」を見に行った。
脚本を読み、オリジナルのドキュメント平松幸三氏の 「沖縄反戦ばあちゃん」-松田カメ口述生活史ー を読んだ。そしてかじまやーである。
平松さんは環境音響学のご専門で「嘉手納の爆音訴訟」で 松田カメさんとお知り合いになられ、個人のライフ・ヒス トリーと裁判所の調書や陳述書が重なるのではないかとい う観点から、中野卓さんの「口述の生活史」のご本から刺 激を受けて、8回にわたるインタビューと事実関連の文献 資料なども参考に書きあげたのがこの書物である、という。
さて平松さんご本人もゲネの夜にお会いした時ご自分のご本 と舞台とは違うけれども、とことばに出されていたが、実際 下島三重子さんの脚本は、松田カメという実在したサイパン 帰りの佐辺に住みつき土地を守り、畠を耕し、嘉手納爆音訴訟 の原告のお一人としてデモにも何回も参加したおばーを 主人公にしているが、松田カメ物語ではない。あくまで架空 の宮里カメの物語である。
カメさんがサイパンに渡ったこと、そこで戦争に会い、3人 の殺された被害者の血を浴びたこと、子宝に恵まれず、夫の 弟の息子を養子に迎え、戦時中親が殺された幼い子供たちの 面倒を見て沖縄島まで引き上げてきたこと、夫は脚を負傷した らしいこと。佐辺に戦後10年目にいち早く引き上げ夫が造っ た家で軍作業員をしながら子育てをし、かつ畠を耕し続けて きたこと、佐辺の海が海産物が豊富だったことなどが、類似 するが、1944年、54年、そして60年代、70年代、 現代(戦後60年たった)と物語は宮里カメ夫婦とその息子 の永仁家族を中心に展開する。
防衛施設庁による佐辺からの強制移住の施策も基地包囲の人間 の鎖の場面まで登場する。その中でカメおばーが闘ってきた 生涯が現在のパースペクティブで照らされいく。
実在のカメおばあは1995年92歳で肺がんで亡くなられて いる。下島さんはカメさんのライフストーリーをたどりながら 沖縄の世相も浮かび上がらせる。そして佐辺で一歩も動かず 嘉手納騒音訴訟に頑張ったおばーの生の声を台詞の中に柔軟に 生かしている。その点で原作「「沖縄の反戦ばあちゃん」は 生きているが、戯曲の構造や中身のユニークな設定はあくまで 下島さんの才能だと言えるだろう。
その脚本では、カメおばあは数え97歳のかじまやーを迎える 年齢という設定である。そしておばあは永遠に自分は40歳と いうボケた観念の中にいるという視点だ。劇の始まりからもう すこし丁寧に見たい。
(1)
まず冒頭の場面は畠の側におかれたラジオからラバウル小唄が 聞こえる中でカメおばーが畠で鍬をもって耕している。カメお ばあも口ずさんでいる。そこへやってきたのが息子の永仁と 山川医師と上原看護婦。冒頭でおばあが少しカニハンリテいる ことが分かる。サイパン時代のことが、ことばに出てそれに 合わせている医師と看護師、そして息子がいる。その滑稽な 場面は重要なイントロで全体のからくりの枠組みの導入部で ある。
記憶が曖昧なおばあの設定は原作にはない。そこへやてきたの が、やまとんちゅーの山本絵里子(40歳)である。カメおば あの事を芝居に書いたのでその台本を持ってきたのである。 「カメさんの一生の記録を読んで」、と山本。それは爆音訴訟 の応援をしている神戸大学の秋山先生が書いた本ということに なる。(実際は平松幸三さんの著書)どうも山本は以前沖縄を テーマに芝居を書いて評判になったけれども、それに対して あんたみたいな人が沖縄をダメにしているという手紙をもらっ たのらしい。その反省もあってのカメおばあの芝居という事が 暗じされる。(山本は下島さん自身の投影か)
居合わせた会話の中でおばあのカジマヤーの祝いの話がでて、台 本の中身について山川医師が問う。「豚先生はでるのか」と。 また守という名前やサイパン、山形、などの劇の進行の中で鍵 になることばが飛び交う。山川医師に「カジマヤー前夜祭にこ の芝居をやらないか、おばあがこっちに戻ってくるかもしれな い」と言わせる。もう筋書きはできたようなものだ。後は前夜 祭に向けて募集した町の芝居好きの面々がやってくる。一つの 架空のお芝居(箱・フィクション)の中のまた一つの芝居(箱) が作られる構図ができる。うまい!と思う。
(2)
場面の転換はテンポのいい手拍子が流れる。固定化された舞台 セット。上部にフェンス。その前に畠。おばあがひねもす耕して いる。生涯学習センターに山本の台本に出演する町民の面々が 台本片手に集合した。1週間後の10月3日である。20人近く が山本の指示にしたがって台本を読む。素人くささがいい、そ の配役から外れる家族が携帯電話や実際の身うちの登場などの 形でリハにからむ。台本はそれでも面白くまずサイパン時代の 様子が流れていく。豚先生がチャモロ人の現地妻を置いて沖縄 に帰れないことや、山形食堂の貝のつくだにがカタツムリだった ことなど、それぞれの募集で集まった面々の会話は笑える。 「イラブとゆうな、ウチナンチューは絶対つけないよ。ウミヘビ と便所紙」、などと沖縄芝居女優というカメ役の清美さんに言わ せたりする。台本とは別にまた演じる面々の台詞も面白い。たと えば、遅れてきた山田が言う。
山田「基地反対決起集会の準備があって、大変さ」
隆「絵里子さん。基地で働いている山田久」
絵里子「えっ?基地で働いていて、基地反対?」
などの台詞がとぼけたように挿入される。配役の紹介の場面だが イントロの重要どころ。
(3)
翌日10月4日、1944年3月山形に引き上げることになった加藤 一家がカメを訪ねてくる台本稽古。
この場面にはかなりの作意が感じられる。対馬丸撃沈事件のパクリ? 山形県出身の家族が一人息子の守をカメさん当時31歳にゆだねる場面。 それは下島さんの創作である。守を残して加藤家は海に果てることにな る。泣かせる場面。山形弁の台詞をうまくこなす役者たち、崎浜と仲程。 山本の演出助手の和樹に下島さんは「なんかデジャブーなんだよね」と 言わしめる。自らの台本に第三者の目線の台詞を入れ込む。所で栗山 演出は沖縄民謡の指示なども無視している。抒情的な民謡の調べはあまり 流れない。(意図的なのか、よく知らないだけなのか?)それから場面の 変換に彼が使ったのが人の拍手の音響であり、それがテンポよく生かされて いる。
下島さんがその後、演出家やその助手のヤマトンチューに言わしめる戦争 被害の台詞は沖縄だけが被害者じゃないのよ、もっと他の地域の事にも 思いを抱いて、というヤマトンチューのメッセージがこめられている。 追撃されて犠牲になった山形出身の家族をあえて登場させるのも彼女の そんな思いの裏返しだという事は推測できる。
また沖縄芝居役者を抜擢したとする若き頃のカメおばーの役割にしても 彼女に沖縄は広島・長崎はわかっても他の地域のことはね、とまた彼女 の本音の声が登場する。だから?どうなの?実態は沖縄が嫌がおうにも 天皇に売り渡されて治外法権の中に置かれている、という実態へのコミ ットなりコメントは下島さんの生の声として出てこない。
場面ごとの分析は次の機会に論考の形で書くとして、気になるところを 書き残しておきたい。
コメディアンの台詞のように不発弾が化け物のようながガメラになって おばあをのせてグアムなどの台詞があったし、また沖縄の基地から戦闘機 が飛び立ってアフガニスタンで50人が死ぬとーーの算数問題があったり した。
おばあの最後の場面のことばが原作からかなり引用されている。 また守の死は全くのフィクションで、あえて山形出身の家族の忘れ形見の 守を抱きながら戦争で守を守れず殺してしまった事が心のしこりになって いるという設定など、そしておばあはぼけていて、ここにもどってくる などの台詞や設定は面白いけれど、おばあの発言がフリ者の発言という 装いにしている。しかも16歳の孫娘に生きていくために吉原で身体を 売らざるを得なかった苦しさへの思いを語らせる。おばーはプリている。 プリ者のことばは、基地の滑走路も爆薬倉庫を作ったも自分だと言わしめる。
つまり沖縄人自らの自己矛盾をあえて語らせる。下島さんは何が言いたいの だろうか?沖縄の理不尽の状況、その中で生きざるをえない、諦観なのか どうしょうもなさをただ描きたいのか?嘉手納訴訟にしても200万円と 引き換えに黙れという、状況に落としこめられる沖縄を見すえている。しかも おばあに語らせる。
ただ黙って畑を耕す。それに重なる金城演じる若き頃のおばあと息子がいる。 「ああ私は何にもわからないで芝居を作っている」と喜屋武ひとみに語らせる 下島がいる。「ほんとの心は?」と問いかける。しかし、吉田妙子の名前を つけられるハイ・ティーンの娘の名前は妙子である。役者が自分の名前の女 の子に呼びかけるその違和感を彼女はセンスしないのだろうか?
身体を売るかのように見える派手な女の子の姿。レイプされた女を擁護するた め米軍に抗議したというおばあがいる。商売でSEXを売る女がレイプされたら 抗議しないのか?その辺のジェンダーに関する問いは理解できる。沖縄そのも のが収奪される女のSEXのイメージは比喩としてもしかし感じられない。
架空のかじまやーの前夜祭、畑にいるおばあに変わって嫁が派手やかな衣装を 身にまとって町長のあいさつにこたえる。この喜劇的場面は面白い。しかし おばあは黙って土を耕す。
反戦カメおばーはもっとウチナー口でしゃっべっても良かった。しかしできな かった限界がヤマトンチューによる脚本と演出家ゆえかどうか?地元の色が薄れ る。それも視線のちがいと見れば面白いのかもしれない。裁判訴訟にしても負 けて勝つことができるかどうか。大和ーがかかわってむしろ悪くなったと、お ばあに言わせたりする。
大和から見たウチナーだろう、といわせる仕組みも自己弁護的に下島さんが台詞 に入れ込む。それはそれで正直なんだろう。ヤマトンチューが見た反戦おばあで あるという事は確かだからーー。
ただおばあは反戦おばあは簡単にプリ者にはならない、と思うのだがーー??
推敲せず打ち込んでいる。ヤマトンチューの下島さんの傑作なんだろう! 吉田妙子はある面やりにくい役柄に従来の芝居を肥やしにして充分にその 役を演じきった。ご苦労様!もっとウチナー口で喋ってほしい!
うちなーの味はどこにあったか?民謡も大和風ではあったーー。
戦後60年以上たってかつ変わらない沖縄の現況がある!それへの違和感 が戦闘機の爆音とともにおばのことばから伝ってくる。
うちなーんちゅとやまとんちゅーの溝は埋まらないわけ?という問いもあ った。国内植民地沖縄への眼差しは全く感じさせなかった。逆に被害者 意識のウチナーンチュに対する疑問が投げられているようにも見えた。 桎梏。箍がはめられたような現実への痛みの声が演出から聞こえてくれば と思う。彼女は嘆いているが、それ以上でも以下でもないようなーー。だから 畑を耕すおばあの声に耳を澄ます?日米のハザマで爆音にさらされ生きる おばあの沈黙!
1時間40分、飽きさせない面白い芝居でした!演技に関してまた言及したい!
実は下島さんはとても寛容な方で写真などUPしていいよ、とおっしゃった。 ドレスリハの時参議院議員の照屋寛徳さんもお見えになっていていっしょに写 真を撮った。後で送ってほしいという事だった。(近いうちに送る予定!) 社民党にはしっかり頑張ってほしい。辺野古はダメ、(嘉手納基地はハブ空港 に!否、そこに国連機能のある組織を持ってくる方がいいかも。ジュネーブの ように)、全ての基地は全部アメリカに引き取ってもらう。もちろん、自衛隊 基地も含め、戦争につながる基地の存在はすべてこの小さな琉球弧から撤去し てもらう!可能な限り無人島を生かす工夫を政治家はすべきだと考える!
軍隊は住民を守らない、この古くて新しいことばは沖縄戦関連書にもよく登場 する。
と脱線ができるのも個人のHPだから、といいなおって、役者の演技について、 (頑張った沖縄の現代演劇をになう演劇人について)少し言及していきたい! 16日はまた「てだこホール」に行った。沖縄を代表する演出家の幸喜さんが 観劇することがメールのやり取りでわかったので、直に彼の感想を聴きたい という思いもあって、寒い中「てだこホール」に向かった。
ニライカナイ・ホールとは違った雰囲気で上から見下ろせる舞台設定はまた全体 が見えて面白かった。幸喜先生は思いの他、この舞台に満足されていて芝居の 作りとしての異化効果などについてお話しされた。また企画した池原さんや北 谷のみなさんの情熱に言及されていた。栗山さんと直接の面識はないという事 や彼の舞台を特に意識してご覧になっているわけでもなかった。「リアリズム 演劇だけど、そのままやれないから、いろいろと工夫したね、だけどおれたち にはやれないなー」の吐露に「やはり身近な現実ですからね」と切り込んで みた。以前沖縄でなぜ前衛劇が誕生しないのか、の話題の中で、現実がシュール だからだよ、と誰かが言った。あまりに当事者性が強いと距離をおいた創作は できにくいよ、ということばが思いだされる。僕たちも60年代にこんな芝居 をやったんだよ。だけど、なかなかそのままにはねーーのことばが響く! 栗山演出でどきっとしたのは、やはり吉田妙子さん演じるカメーおばと前夜祭 のため劇中劇舞台の金城翔子演じるカメが二人とも鍬をかついで耕す場面の 重なりである。その二重の重なり、そして最後に映像に映る実在のカメおばあ の映像の前で鍬を振る吉田さんのカメおばあの姿である。三重にそして五重に 重なる舞台の虚構性の持つ不思議な魅力に圧倒されたのだ!
カメおばあの家族の物語がある。そしてカメおばあの物語を描いた台本があり それを演じる町の人々。舞台で繰り広げられるリハの一部を互いに見つめる 演者の視点があり、それらを見る台本作家・演出家そして助手の視線があり、 またおばあの実在する家族を演じるメンバーの台本世界へのコミットもある。 それらを見る観客がいて、栗山さんという演出家の存在がある。しかも脚本 の作家もまたドキュメントを書いた当人もまた名前を変えて何らかの形で舞 台に登場するのである。
対象への関係性の総体をまた物語にしてしまう。それらの総体と現実との コミットがまた問われる。なるほどの舞台!そこが栗山マジックである! てだこホールから駐車場まで幸喜さんとお話して戻る途中、県教育庁の島元 さんに会った。そこでまた立ち話が弾んだ。彼は東京で「ピカドン・キジム ナー」を見たようだ。この舞台も二度目だという。異化効果の過剰さゆえに 物語が中断されたり断ち切られたりする事には違和感もあったと率直なご感 想である。「吉田さんは凄いね。金城翔子は頑張っていたね」の称賛の声が あった。ほとんどのキャストが二役、三役で演じている。その面白さ、おそ らく面々は多様な役柄を演じる上でだいぶ鍛えられただろう。栗山さんは 場面ごとに細かく演出していたという。
それぞれが個性的な役柄で、またうまくそれらがリハだという様子も含め変 化があり、単調な演技に見えた主役級の金城でさえ、だんだん年にそった役に 見えてきた。田原の重要な役どころも、夫役、役所の公務員役、またー。 と差異が要求されていた。声音のトーンなど、あの大竹しのぶなどにしても 井上ひさしの舞台で見る限り、それほど何役も演じ分けることは難しい状況 をみると、沖縄の役者の力量は悪くはないと感じた。
おそらく、この5年のワークショップにかかわった若者たちは東京サイドの演 出家の動向をよく知っているのだろう。しかし、沖縄は沖縄である。東京をま ねしてもしょうがないと思うので、創作する者として、そこに接点があるなし は、問題ではないだろう。
栗山さんは多忙な人気演出家で2年先まで予定が詰まっていると、聞いた。 セリフの中に批評なり、論争の定義があるのも面白い。
演技だが、場面ごとにそれぞれのブロッキングは明瞭だったようなーー。冒頭の 息子の藤木勇人さんはいつも「さしすせそ」の発音がはっきり聞き取れない方だ けれどもまぁ舞台を通してあまり変わり映えのない息子を演じていた。普久原明 さんは山川先生、豚先生、永仁の兄永喜役と三役をうまく演じのけていた。(沖 縄芝居の中堅どころで、琉球歌劇保存会はもっと彼を大事にしてほしいと思う。 将来的には保持者として芝居を担っていく方だと応援している)。今回のヒット は金城翔子だ。大役である。声音の大きさも歌唱力もある。後は熟成かな_。そ れも期待できる。演出山本絵里子役の喜屋武ひとみ、さすが、声音ははっきりし ていた。役が地味だから演技がしいてうまいという見せ場はない。下島さんの 分身で全体の構成の中で軸になった。宮里美和子役の犬養憲子さんは、ぬぼーう としていて、カメの養子の息子永仁の大阪出身の年上嫁として、意外と存在感 があった。劇中劇とのからみでも、美和子の若い時の役をリハで演じたり、また 終幕でカメおばあの替わりに黄色い紅型衣装を着て町長との応対で場を取り持つ など、コミカルな設定で面白かった。
宮里さおり役の東由希恵は高校生の役をいかにものスレタ様子で演じた。吉田 演じるフリたおばあとの絡みが見せた。その母親宮里美香子役の仲程千秋も秋田 弁のリハの様子といい、またおどおどと娘に振り回される母を印象深く演じて いた。拍手!上原看護師とマリアを演じた仲地末寿々も極端さも含めた所作で 見せた。面白みがあった。安仁屋京子と山城フミ役の宮里京子はいかにも宮里さ んという感じがした。声音もなつかしい。フミと京子役の声音の違いがあまり 感じられなかったのはワタシの耳の悪さか?山城夏子、宮里美和子役の平良直子 は新人か?つっけんどんな感じの夏子はよかった。軍用地息子の比嘉孝彦と宮里 永仁役という浅田武雄はなかなか良かった。主軸の役柄である。彼はOZEでも 頑張っているが、若いながら存在感がある。
山田久、仲村昇一、具志堅を演じた國中正也は意外と脇役に見えて重要な役を演じ分けていた。子役も年齢による差異を見せねばならず、軍雇用員としての演技、また公務員?となかなか見せ場があった。角田義孝、加藤昭三郎、比嘉清人、の三役を演じた崎浜秀彌はさすがの演技だった。安心して見ておれる役者である。彼が 宮里永信を演じたらまた違った味わいだっただろう、と思う。金城由紀子と古堅裕之演じたお笑いコンビも力があった。あまり笑いは取らなかったが結構面白かった。やはり二役三役で鍛えられただろう。樋口耕太郎の三役もなかなかシャープで、徳永樹の子役などの三役、また熱田裕一の演出助手の役や子役なども良かった。他、子役のみなさんや町長の山本長光さん、浜川勇貴さんも脇役ながらしっかり見せ、幸地優子さんは秋山浩子(原作者の女性バージョン)などの役で要所を締めた。
ほとんど二役、三役への挑戦でその点で演出の細やかさを感じさせた。演じた面々はかなりいい演技訓練になったことだろう。短期集中にもかかわらずやってのけたのである!拍手!!
照明・崎浜秀司、音響:富山尚、音楽制作:赤嶺康、音楽録音:鈴木聖子、
舞台美術:比嘉ブラザーズ、舞台監督:猪俣孝之、制作統括:新里英文、
制作:池原弘美、演出助手:田原雅之、小道具:古堅裕之、
ヘアメイク:荒井ゆ子、友寄みずの
主催:北谷町・北谷教育委員会
他もっと丁寧にコメントしたいと思いつつこれで閉めたいと思う。 関係者のみなさま御苦労さま!
異論、反論などもあろうかと思う。遠慮なくメールを送ってほしい!
あまり推敲をしていない点は後ほど読みなおしまた改めたいと思う。
沖縄が日本の国内植民地だという事への厳しい視点を下島さんには分かって ほしい。
日米安保を押しつけられている沖縄、平和憲法の欺瞞をおしつけられている 沖縄、巨大な軍事空港・港湾・演習地を押しつけられている沖縄!やはりす べておかしい!不労所得をもつ大金持ちがいてその子孫がまた精神を身体を 侵されているという事も含め、日本一貧しい県、沖縄である。これ以上、こ の島を蹂躙しないで?!パレスチナとイスラエルの関係の過剰さとは異なる けれど似ているのかもしれない。生かされている。かろうじてーー。かつ加 害の方棒を意図せず担がされている沖縄!でもある!もちろん植民地構造に おいていつでも権力の甘い汁を吸うモノたちはいる。ヤマトの利権とつるん でいるーー。それは見え見えでもあろうか?
反戦平和を主張する教員夫婦が好んで先行投資として軍用地を退職金で買う。 キロロ(?)が軍用地を買ったと聞いた。それも身過ぎ世過ぎ?
なぜか悲しい!ピエロ顔でカチャーシーを踊る。泡盛を飲むーー。
<12.23.09>