志情(しなさき)の海へ

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折口信夫は「組踊」をよく理解していなかったのでは?

2010-11-27 08:20:01 | グローカルな文化現象
『執心鐘入縁起』のテキストを読むと、折口はどうも愛人(後の養子)藤井春洋をイメージしてこの作品を書いたことがうかがわれる。終戦後の焼け野が原に戻る玉城朝薫(1684-1734)と譜久原里之子の設定である。しかもその作品の中で「上り口説」を挿入している。作品の中で歌い踊る筋書きである。それもおかしい。朝薫が「上り口説」を作曲しているわけではない。屋嘉比朝寄(1716-1775)が江戸で流行したのを伝えたと称されている。田里朝直(1703-1773)の「万歳敵討」に初めて口説が登場し、しかも踊りの振り付けまである。これは見事!である。

折口信夫が無造作に戦後の痛みを重ねて書いているということがわかる。大和文化への憧れを小国の琉球の貴族の子孫たちは内に秘め、葛藤しながら国に帰っていったのだろう、という憶測である。

法政大の田中優子氏の江戸文化の多くの文献の中で、日本の一般民衆が江戸登りする琉球使節団一行の風変わりな文化衣装に興味シンシンだったことを以前読んだことがある。おそらく大国日本(対小国琉球)の文物に目を見張りその美醜に感性の鋭い琉球の使者たちが多大なカルチャーショックを受けたであろうことが、容易に理解できる。しかしショックは一方向性だけもっているのではない。

常に文化接触は双方性、相互関係性が見られよう。折口のこのイメージはそれはそれで面白いのは面白い。琉球の江戸立ちのメンバーの中にどうも衆道の対象のような美少年も一行に加わっている。さらに琉球の御冠船踊りの中の中軸は若衆だ!中性的なエロスが追及されている。なぜ?あきらかに琉球王府時代の男色がそこから浮かび上がってくるようだ。その辺は折口の好みにあっている。

個人的にセクシュアリティーに関して、同性愛を否定する立場ではない。アメリカの演劇学科など結構ホモやレズの学生も多く、アメリカ演劇作家の大物のテネシー・ウイリアムズも、かなりその作品のほとんどをもっているアルビーにしてもホモセクシャルだった。いっしょにアメリカで「人類館」を上演した大学院の男子学生(調教師役)もhomosexual(ホモシェクシャル)だった。ゆえにsexuality(セクシュアリティ)への偏見から折口の作品に異論をもっているのではない。ホモシェクシュアルの結婚も同意できる。

ただこの「執心鐘入縁起」の作品のコンテキストには問題があるということを指摘したいのである。折口の認識の欠如が見え見えである。この作品を上演する意味は、折口的感性の在り処が分かるということと、折口に迎合する研究者の視点がわかること、折口絶対論はだめですよね。この大和の美的センスをもった折口的視点が「どう琉球の芸能を見据えたのか」がわかるという点か?

これも一つの中央日本からみた沖縄へのオリエンタリズムの一種であると言えよう。それらをうのみにする危険性が常に伴っている。ウチナーンチュ(沖縄人)の感性と相反するものがそこに秘められているのかもしれないーー!

上演は楽しみである!

<写真は多良間の組踊、さて演目は?2010年9月15日撮影>

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