(秋の雑草に心惹かれる)
ITを制する者は誰か?有権者の動向を緻密に検証して見えてきた駒の打ち方!メディア操作、IT操作を含め、ターゲットを得るための戦略・戦術は興味深い。膨大に金をかけた祝祭的な大統領選は、様々な論点を表に浮上させる国家的(マクロ)の劇場空間のロングランなんだね。それがアメリカ民主主義のドラマなんだと納得。古代ギリシャの民主主義(直接参加型)を思い出すが奴隷と女性などはご法度だった2000年以前に比べると、確かに歴史(人類)は進化してきたのだ。技術と社会の進化、一元化の方向へひたすら歩んでいくのだろうか?そうでもなく、多様性と柔軟性、進化の進度が経済の基盤でもあり、格差・収奪の構造も変わりはないようだ。そして背広族が世界のリーダーであリ続ける。リダーたちを誇りにする母親たち(女性)の姿が見え隠れする。彼らの背後にいる妻たちや愛人たちや母親たち、姿が見えない背広族の背後の存在、は母なる地球のように背後から支える存在であり続けるのだろうか?ジェンダーはどれだけの差異を演じ続けるのだろうか?
http://blogos.com/article/50252/オバマ大統領の再選を勝ち取ったITチームは、どんなメンバーで構成されていたのか?
PLAYerである。劇場の主人公たちの陰の存在、その半分の存在があってなりたつ社会であり世界、その陰と陽の間で子供が生まれ成り立つ再生機能!
主体ではなく客体であり続ける女性の存在。産み育てる自然の仕組、責務、母であることの主体【性】?
産む性は従属する。従属しないジェンダーとは?性を超えた実存、人間の尊厳はどれだけジェンダーの差異を無化できるのだろうか?家族制度の在り様が変化していくのだろう。
自然の役割、自然性ー人工、科学技術
固有ー普遍
特殊ー一般
破壊ー再生(再建)
存在の意味(性)
人間であることー有機物であること
動物であることー無機物であること
地球生態系の一部であること
生きることの意味と幸せ
価値基準
愛情を得ること⇔プライド・自尊心→社会的認知・名誉・ヒエラルキー・ステータス?
【今朝クリスチャンのH先生がいきなり言った。パートナーを見ていると男のプライドが鼻につくのよね、つまり男のメンツを大事にするのよね、と。これはストーカー殺人の話のことだった。以前付き合った女性を数年間突き止め、殺して自分も殺して果てた男の事件である。それほどの妄執なのはなぜか?狂気のような執念は実は捨てられたことへの恨み=リベンジではないかと彼女は自説を話したのだった。そうか、「お前を殺して俺も死ぬ」は男の殺し文句・脅し文句でもある。自尊心の傷が対手に向かうのである。所有欲ではないの?の意見もあった。俺の女、俺の所有する女(性)を手放したくない。愛情ではないのよね。人生の価値と彼女との一体感=愛を求めてそれが拒絶されてすべての幻想が崩れた時、殺す行為に至った。つまり傷を自ら癒すことができず、つまり止揚できなかった男の自我の弱さということになるのかもしれない。それにしてもこんな男の犧牲になった女性が気の毒だ。出会いの陥穽、そこに狂気が潜んでいて、おそらく彼女はそれを察知して他の男性と結婚したのだろう。出会いの罠はどこにもありえる。幻想と無知がなすドラマはどこにも潜んでいるのだから、そして人は出会いの宿命を自らに引き受けていく。彼女への愛が拒絶された時が彼の世界の崩壊の始まりだったのかもしれないけれども、妄執が彼を生かしていた。しかしかつて愛した女性を殺して自ら死ぬ、これほどの我欲はエゴイズムの極地ではないのだろうか?
しかし「執心鐘入」の宿の女に対して女性のストーカーだと言ったコンテンポラリーダンスの演出家がいた。宿の女も男の愛が自由に得られないと察した時、男を殺してあの世までと追いかけたのである。一道である。愛の執念が自我を超えて狂気に至るモメントがありそうだ。数多の男女がいて、出会いの宿命に炎を燃やさざるをえない、限りある命の存在は、死を意識して生きている。するとストーカの男の妄執も決して特別ということではなくなる。
もはや愛というみずみずしい世界ではないものが一緒に押しよせてくるーー。ヤレヤレ、きりがないのでやめよう。関係の絶対性ということばがいつでもこびりつく。
恋や愛は相手を苦しめるものではないはずだけれども、関係性の絶対性は様々なドラマを生み出す。生きている間の恋や愛の不思議な在り様が相手や自らを殺すものではなく、この限りある生にときめき(驚き・感動・至福・発見・悟り)をもたらすものでありたいね。