鳥取の思い出
もうね、性器ビンラディンとか
桃で宿便すっきりとか下品なことばっかり
かいてるとね、人格破綻者に思われてる方も
おられようもんですが
今日はそんな下ネタいっさい無い
下ネタ希望の方はまた明日以降に
期待してほしい
今日は鳥取のおもひで
師匠のブログで鳥取紀行が書かれてるのに
触発されたわけですわ
鳥取は母方のおじいさんの実家があったところ
実家では大山の白バラ牛乳の代理店なんかやってたような
記憶が・・
もう40年も前の話だよ
毎年、鳥取へ海水浴に連れて行ってもらってたな
一番の思い出は
昔ブログにも書いた母方の叔父さんの森田さん夫婦と
うちの家族で行った時の話
森田さんはおかんの妹、たかちゃんと結婚したひと
その妹、たかちゃんは、若くして息子二人を残し
他界した話は、過去ブログ参照
40年前は高速道路なんて無かった
親父と森田さんの車で、お盆の渋滞のなか
国道を夜道、鳥取へ
夜に出て、朝がた着きます強行軍
朝、車の中で目を覚ますと
目の前には・・海が・・青い海・・
夏の日差しがまぶしい中、国道を走ります
右手には見え隠れする海岸、青い海の色が目を刺します
左手には、濃い緑の畑が・・
畑は、西瓜畑だったり、タバコ畑でした
昼前に鳥取市内へ入り
おじいさんの実家へ
おじいさんの弟さんが迎えてくれます
テーブルの上には
山のように盛ってある琵琶。
貪り食うわし・・
挨拶もそこそこに海岸へ
そこは浦富海岸と呼ばれている海岸でした
白い砂浜が広がり、遠浅の海。
右手には岩場が広がり磯遊びも出来ます。
民宿にて一休みし、海岸へ・・
森田さんとわしは磯へ向かいます
磯は、2mから3mくらいの水深ですが
透明な水で底が透き通るように見えます
底には真っ黒のウニがそこかしこに転がってます
底が砂地のところはコバルトブルーに輝いてました
日本海です
波は結構高いです
小学生のわしは怖かった
森田さんが飛び込みます
もぐっては、ウニや貝を採って浮き上がってきます
紫ウニです
長い栗のイガのような触手が動いています
森田さんがそのウニを割って
中のオレンジ色の部分をとって
食べてみろと言います
恐る恐る食うと・・
なんともいえない甘い磯の香りが口の中に広がります
遊びつかれて
民宿へ戻ると、おじいさんの弟さんが
遊びに来ました
いまから、大山へ連れて行ってやる
いきなりそういうと
ワゴン車に乗せられ
ものすごいスピードで大山まで連れて行ってもらいました
途中日本で一番大きな池、湖山池を経由し
大山へ
大山は、年に1度の祭りのようでした
旅の疲れと、海水浴の疲れで半分寝ていた
子供の頭のなかに、暗い山道を飾るちょうちんの列は
それは、幻想的な雰囲気でした
次の日も海水浴に興じ
宿に戻ると
またおじいさんの弟さんがきて
今日は鳥取のしゃんしゃん祭りだ。見に行くぞと
鳥取市内へ向かい千代川のふもとへ
きれいな傘を持った人々が列を成し、踊りに興じます
それはそれは美しい光景です
祭りらしい祭りなんか見たことの無かった
わしにはもう夢のような世界です
踊りがひと段落すると
川原では、大花火大会が・・
花火もすごい大きなものです
それが間近で見れました
もう火の粉をかぶるくらいに
次の日には大阪へ帰ります
鳥取最後の夜を彩る花火・・
昼過ぎには鳥取を出ます
炎天下、国道を走ります
焼けたアスファルト
空には盛り上がる入道雲
青い空、どこまでも青い空突き抜ける空に
対照的な真っ白の入道雲
一瞬目の前に
ザーという音とともに大きな雨粒が
空は晴れているのに
目の前の道路は左右に真っ二つ
右は大雨、左は快晴・・
雨の境目が見れます
馬の背を分けるというにわか雨を目の当たりにしました
鳥取を去るわたしの涙雨か・・
そんな、鳥取行きは小学生の間続けられました
中学校になると、反抗期が始まり
だんだん行かなくなり始め
何時のころか
おじいさんの弟さんも亡くなり
森田さんの奥さんであるたかちゃんも亡くなり
親戚づきあいも
疎遠になってきました。
わし自身、高校、大学、就職、結婚と
月日が流れます
しかし、鳥取の思い出は
わしの胸の中で
いまでも
光輝いてます
又、いつかは行きます
絶対。鳥取へ
もうね、性器ビンラディンとか
桃で宿便すっきりとか下品なことばっかり
かいてるとね、人格破綻者に思われてる方も
おられようもんですが
今日はそんな下ネタいっさい無い
下ネタ希望の方はまた明日以降に
期待してほしい
今日は鳥取のおもひで
師匠のブログで鳥取紀行が書かれてるのに
触発されたわけですわ
鳥取は母方のおじいさんの実家があったところ
実家では大山の白バラ牛乳の代理店なんかやってたような
記憶が・・
もう40年も前の話だよ
毎年、鳥取へ海水浴に連れて行ってもらってたな
一番の思い出は
昔ブログにも書いた母方の叔父さんの森田さん夫婦と
うちの家族で行った時の話
森田さんはおかんの妹、たかちゃんと結婚したひと
その妹、たかちゃんは、若くして息子二人を残し
他界した話は、過去ブログ参照
40年前は高速道路なんて無かった
親父と森田さんの車で、お盆の渋滞のなか
国道を夜道、鳥取へ
夜に出て、朝がた着きます強行軍
朝、車の中で目を覚ますと
目の前には・・海が・・青い海・・
夏の日差しがまぶしい中、国道を走ります
右手には見え隠れする海岸、青い海の色が目を刺します
左手には、濃い緑の畑が・・
畑は、西瓜畑だったり、タバコ畑でした
昼前に鳥取市内へ入り
おじいさんの実家へ
おじいさんの弟さんが迎えてくれます
テーブルの上には
山のように盛ってある琵琶。
貪り食うわし・・
挨拶もそこそこに海岸へ
そこは浦富海岸と呼ばれている海岸でした
白い砂浜が広がり、遠浅の海。
右手には岩場が広がり磯遊びも出来ます。
民宿にて一休みし、海岸へ・・
森田さんとわしは磯へ向かいます
磯は、2mから3mくらいの水深ですが
透明な水で底が透き通るように見えます
底には真っ黒のウニがそこかしこに転がってます
底が砂地のところはコバルトブルーに輝いてました
日本海です
波は結構高いです
小学生のわしは怖かった
森田さんが飛び込みます
もぐっては、ウニや貝を採って浮き上がってきます
紫ウニです
長い栗のイガのような触手が動いています
森田さんがそのウニを割って
中のオレンジ色の部分をとって
食べてみろと言います
恐る恐る食うと・・
なんともいえない甘い磯の香りが口の中に広がります
遊びつかれて
民宿へ戻ると、おじいさんの弟さんが
遊びに来ました
いまから、大山へ連れて行ってやる
いきなりそういうと
ワゴン車に乗せられ
ものすごいスピードで大山まで連れて行ってもらいました
途中日本で一番大きな池、湖山池を経由し
大山へ
大山は、年に1度の祭りのようでした
旅の疲れと、海水浴の疲れで半分寝ていた
子供の頭のなかに、暗い山道を飾るちょうちんの列は
それは、幻想的な雰囲気でした
次の日も海水浴に興じ
宿に戻ると
またおじいさんの弟さんがきて
今日は鳥取のしゃんしゃん祭りだ。見に行くぞと
鳥取市内へ向かい千代川のふもとへ
きれいな傘を持った人々が列を成し、踊りに興じます
それはそれは美しい光景です
祭りらしい祭りなんか見たことの無かった
わしにはもう夢のような世界です
踊りがひと段落すると
川原では、大花火大会が・・
花火もすごい大きなものです
それが間近で見れました
もう火の粉をかぶるくらいに
次の日には大阪へ帰ります
鳥取最後の夜を彩る花火・・
昼過ぎには鳥取を出ます
炎天下、国道を走ります
焼けたアスファルト
空には盛り上がる入道雲
青い空、どこまでも青い空突き抜ける空に
対照的な真っ白の入道雲
一瞬目の前に
ザーという音とともに大きな雨粒が
空は晴れているのに
目の前の道路は左右に真っ二つ
右は大雨、左は快晴・・
雨の境目が見れます
馬の背を分けるというにわか雨を目の当たりにしました
鳥取を去るわたしの涙雨か・・
そんな、鳥取行きは小学生の間続けられました
中学校になると、反抗期が始まり
だんだん行かなくなり始め
何時のころか
おじいさんの弟さんも亡くなり
森田さんの奥さんであるたかちゃんも亡くなり
親戚づきあいも
疎遠になってきました。
わし自身、高校、大学、就職、結婚と
月日が流れます
しかし、鳥取の思い出は
わしの胸の中で
いまでも
光輝いてます
又、いつかは行きます
絶対。鳥取へ