デジブック 『海上の神域。』
やっと待ちわびた夏休み、一日目に広島まで新幹線の旅。私は九州に行ったことがないので、これが今のところ、日本国内で一番西側への旅である。
以前から行ってみたかった宮島へフェリーで渡り、のんびりと観光を一人で楽しんできた。暑かったけれど…。
一人でのんびりと新幹線でお弁当を食べたり、ぶらぶら気の向くまま歩き回るのは最高。「命の洗濯」という言葉を思い出す。
明日の事があるから早く帰らなきゃとか、ご飯支度しないと、というような現実をたまには、忘れないと。時間を気にしなくて良い、というのが私には一番。
よく、一人では歩けないとか、ご飯一人で食べられないとか、いう人がいるが私は全くそういう事がない。喋る相手がいない、とそういう人は言うのだが、別に喋る必要もない、というか喋らなくてよいので気楽。私は元来そう話好きでもない。常に喋ってるという仕事なので、黙っていてもOKなのはありがたいくらいである。
まだ9日だったのに、もうすでに観光客と鹿でいっぱいの宮島、でも、海に囲まれているせいなのか、「神域の島」なのだけれど神々しいというよりのんびりとしている。
それでも、乗った小舟のガイドさんによれば、生まれるのも死ぬのも島ではダメなんだとか。
「生まれるのは予定わかったら対岸に移動します。死ぬのは…予定できませんからね、死んでもいいんです、でも葬式は島では出せません」
…なかなか面白いガイドさんだった。
海上からの大鳥居バック写真それぞれのカメラで撮ってくれるのだが、60歳は超えていると思われるのに、デジカメ、携帯の写メ、私の渡したスマホ、どれでも撮影ばっちりOK!
船の上でもぶれもしない。プロ!
帰りは広島で大急ぎで平和記念公園と原爆ドームへ。
祈念館をゆっくり見られなかったのが残念だった。広島には外国人観光客の姿が多いのが目につく。京都と同じくらい、いやそれ以上の割合だ。
うちの外人教師たちも必ず、広島へは行く。関西圏から遠くないせいもあるが。
原爆ではないにせよ、人知の届かぬ危険を冒した、と言う点でヒロシマ・ナガサキに「フクシマ」が加わった今、すべての人々に訪れて欲しい場所である。
ライトアップされた原爆ドームを撮影していると、ドーム周りの植木の垣根に散水車で水を遣っている3人の作業員が目についた。みな20代らしき若い男の子だ。
一人はホースをもち、一人は車の後ろにつかまって乗っている。
ホースを持った若者が、ふざけてホースの水をもうひとりの背中に向けて水をかけている。
こんな暑い日にはかえって気持ちいいだろうと思うが作業着はびしょ濡れで大騒ぎである。
私も思わず笑ってしまったが、楽しげに笑っている若者を見ていると、同じように暑かった数十年前の8月6日に、こんなような若い男の子がこの辺りでたくさん、一瞬にして亡くなったり、水を求めて亡くなったりしたのだと言う事実に思いをはせずにはいられなかった。