たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

母の5月の手紙+入院記録

2016-04-30 23:41:27 | 母の記憶
明日から5月だ。

一昨日からGW休みに入り、ほっと一息。

特に、職場の繁忙期ラストの4月に足を怪我してしまい疲れることこの上ないひと月だった。
・・・しかし、良かったことも。

・・・骨折ではなかった!

最初に行ったところの先生がどうも、いいかげんな事が多かった。ギプスに治療用の穴をあけるのに反対側開けるとか、膝の怪我の方を忘れてるとか…

しまいには、「ギプス2日にとる予定だったけど、外せる看護師さん休みだからね、GW明けに来て」

この先生ギプス外せないの?自分で?しかも2日って自分で指定しといて?

「じゃ、30日、来れますから」
「30日はまだ早い」

・・・たった2日でしょ???

そうなると5週間、ギプス、しかもGW中も?明けの会議もギプス状態? ・・・う~~んそれは。

しかし、他の病院なら医者の意見は違うかもしれない。

で、近所の別の外科へ。

「立方骨骨折・・・って僕長年やってるけど3例しか会った事、ないですよ。しかも、レントゲンだけじゃすぐわかるような場所じゃないです。見るの難しいから」

で、MRI撮る事に決定、所見は「骨折なし、靭帯損傷なし」

つまりは、ひどい「捻挫」。

ヤブ医者め!!!

骨折なんて経験ないから、だまされた…

ギプス外して見てもらうと、いまだ腫れがあって痛みもあり内出血も相当なので、どっちにせよギプス松葉杖は免れられない状態で、しっかり安静にしていたという事でそれはそれで良かったですよ、と慰め顔の先生。

捻挫でギプス、するんだ…それも知らんかった。

「それにしても4週間以上は、歩けなくなるからしない方がいいです」

思い切って転院したおかげで、3週間でギプスを外せることになった!!

痛みと腫れがいまだに取れないので、外出時は取り外しできるギプスつけるか、思いっきり気を付けて歩くかすればよいとの事。
そこかしこにある点字ブロックなんかが怖いのだ。でっぱりに足がのっかると凄く痛い思いをする。ぐらつくからだろう。

言われたとおり、外した直後はびっくりするほど歩けなかった。力入らず、足が地に着かない(大喜びしてるわけではない)。3週間でこれなら5週間ギプスしてたらもっと大変だったろう。


しかしながら、この足ではムリは出来ないので、昨日は向かいの美容室にカットに行き、今日は近くのコンビニにアイスクリーム買いに行き…のみ。

明るい日差しがかえって恨めしい、ということろだ。
こういう風に時間がある時に、郵便物やなんやかんやの書類を整理するのもよいだろう。


そんなことをやっている時に、母の手紙が入った箱を見つけて開けてみた。久しぶりだ。

私のシドニー在住の頃から、以前住んでいた、大東市の住所あてのもの。今住んでいるマンションあてには来ていない。その頃はもう、かなり具合が悪くなっており、亡くなったのは引っ越しのちょうど1年後だったのだ。



「さて風かほる五月なのに病院のベッドの上なんてがっかりです」

これは、大腸癌を患って手術、その次の年の5月だろうと思う。体調が悪くなって入院したことがあった。
私の「明るい日差しがうらめしい」よりもっともっとシリアスなのだ。

「あの薬師寺のお守りですから、御利益もたくさんあるでしょう」とあるが、確かに、病気なのだからと薬師寺でお守りを頂いて、実家に送った記憶がある。

最後に、送ったアスパラで北海道の味を楽しんで、というような言葉で終わっている。そうそう、アスパラを送ってもらい、あまり見事なのでびっくりしたのだ。





このメモは父が取っておいたものだが、この入院時のもの、6月初めにアスパラの事が書いてあり手紙と一致する。推理小説みたいだけど。

シャワーを浴び髪を洗う、とあるが、母の入院記録にはよく書いてある言葉だ。今の私にはこれを書きたい気持ちは良くわかる。

ギプス外してとうとうお風呂に3週間ぶりに浸かれ、膝や足をカバーで覆うことなく、濡れるのも気にせず洗えるのは爽快そのものだったから。

健康は健康でなくなってみないと価値がわからないというのはここよね、と実感。

ひと月経っても痛む足が治るのはいつかわからないけれど、だましだまし、骨折でなかったのを有難いと思って過ごそう。
コメント
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