今オフィシャルブログは、炎上しているのか、別の意味で中断されているのか判らないが、閲覧できなくなってしまっているようだが、タレントの中川翔子が、大津で起きたいじめ問題について語っているそうだ。
[シネマトゥデイ映画ニュース] の記事からすると、
タレントの中川翔子が大津で起きたいじめ問題について、自身のオフィシャルブログで言及し、いじめで苦しむ子どもたちに向けてメッセージを送った。
2010年に発売された「中川翔子物語~空色デイズ~」では、中学時代のいじめ体験が描かれているとおり、中川自身もいじめに苦しんでいた時期があった。
加害者の3少年が「遊びであり、いじめではなかった」と民事訴訟でいじめを否認する意向を示していることは、16日の報道で明らかになったばかり。
「された側は一生忘れない」、いじめを受けた者の傷の深さをつづった中川は、「遊びのつもりだった、そんなことがまかりとおるなら暴行恐喝など世の中の犯罪も遊びで済まされることになる(中略)。
遊びだったというなら同じ目にあってみろと言いたい」と、怒りを爆発させている。
中川は、学校側の対応に対しても「教師が、学校が、まともな対処をしないと、生徒にとっては学校が世界のすべてになってしまうのだから。
学校が世界のすべてではないのに」と言及し、悔しい思いをにじませた。
「命が失われてからじゃ遅すぎる」。
つらい経験してきたからこそ、壮絶ないじめを苦にして自宅マンションから飛び降り自殺を遂げた13歳の少年に思いが重なる部分があったのだろう。
「まだまだ現在も、言えなくて苦しみ続けている人たちもたくさんいると思う」と、今もなおどこかでいじめに苦しんでいる子どもたちを案じた中川は「絶対に生きる価値がいっぱいいっぱい未来にはある いじめをする下らないやつの人生よりよっぽど幸せな未来が待っているから、(原文ママ)」と、メッセージを送っている。(原文のまま)
発言としては過激であるため、今後大変なことになってしまうのかもしれないし、いろいろな問題も出てしまうかもしれない。
もしかしたら、ブログの内容が削除されてしまうかもしれないし・・・
でも自分としては、気持ちが痛いほどに分かるし、自分としては中川翔子さんが正論を書いていると思うから、同意見をもつ1人として、この記事について書いた。
当たり前のこととして、今回の事件は、すでに「遊びだった」では済まない事態となっている。
「された側は一生忘れない」という中川翔子さんの発言も、自分としては正しいと思う。
学校側の対応に対しても、その通りだと思う。
今自分も、子どもと離れ離れになっている。
学校側が何とかしてくれると思っていたし、しなければならない事だと、学校側は理解しているだろうと思っていた。
学校側に対して、言いたいことは山ほどあったし、目黒区の教育委員会に対しても、言いたいことは山ほどあったのだが、自分は、じっと辛抱して、ひたすら学校の対応を待っていたのだった。
自分勝手な言い分として、小学校などでの食育授業をしている立場上、学校側とは出来ればもめ事をしたくなかったし、目黒区とのもめ事も避けたがった。
そのため、そのことを声を大にして言うことができなかったのだ。
それが子供とって、どんなに落胆と失望となってしまうかも、判り切っていたが・・・
結果として、何もできない学校側に自分たちは失望し、子供は東京からも離れて別の学校へ行くことになった。
このまえ、目黒区の某学校から、食育授業をしてもらえないかという連絡があったが、即答して断った。
学校に失望していること。教育に失望していること。区の対応にして失望していることを伝えて・・・
もう自分は、学校に対して、目黒区に対して、食育授業をすることはない。
もしも自分がまだ、こんなところに協力しているとなったら、子供のプライドはどうなるのだろうか。
たとえ、校長が辞めて、副校長が転校になって、担任も辞めて、クラスも入れ替えがあったとしても、子供が受けた傷は一生消えない。
その傷をつけた学校に対して、協力する気持ちなど、未来永劫、一切ない。
[シネマトゥデイ映画ニュース] の記事からすると、
タレントの中川翔子が大津で起きたいじめ問題について、自身のオフィシャルブログで言及し、いじめで苦しむ子どもたちに向けてメッセージを送った。
2010年に発売された「中川翔子物語~空色デイズ~」では、中学時代のいじめ体験が描かれているとおり、中川自身もいじめに苦しんでいた時期があった。
加害者の3少年が「遊びであり、いじめではなかった」と民事訴訟でいじめを否認する意向を示していることは、16日の報道で明らかになったばかり。
「された側は一生忘れない」、いじめを受けた者の傷の深さをつづった中川は、「遊びのつもりだった、そんなことがまかりとおるなら暴行恐喝など世の中の犯罪も遊びで済まされることになる(中略)。
遊びだったというなら同じ目にあってみろと言いたい」と、怒りを爆発させている。
中川は、学校側の対応に対しても「教師が、学校が、まともな対処をしないと、生徒にとっては学校が世界のすべてになってしまうのだから。
学校が世界のすべてではないのに」と言及し、悔しい思いをにじませた。
「命が失われてからじゃ遅すぎる」。
つらい経験してきたからこそ、壮絶ないじめを苦にして自宅マンションから飛び降り自殺を遂げた13歳の少年に思いが重なる部分があったのだろう。
「まだまだ現在も、言えなくて苦しみ続けている人たちもたくさんいると思う」と、今もなおどこかでいじめに苦しんでいる子どもたちを案じた中川は「絶対に生きる価値がいっぱいいっぱい未来にはある いじめをする下らないやつの人生よりよっぽど幸せな未来が待っているから、(原文ママ)」と、メッセージを送っている。(原文のまま)
発言としては過激であるため、今後大変なことになってしまうのかもしれないし、いろいろな問題も出てしまうかもしれない。
もしかしたら、ブログの内容が削除されてしまうかもしれないし・・・
でも自分としては、気持ちが痛いほどに分かるし、自分としては中川翔子さんが正論を書いていると思うから、同意見をもつ1人として、この記事について書いた。
当たり前のこととして、今回の事件は、すでに「遊びだった」では済まない事態となっている。
「された側は一生忘れない」という中川翔子さんの発言も、自分としては正しいと思う。
学校側の対応に対しても、その通りだと思う。
今自分も、子どもと離れ離れになっている。
学校側が何とかしてくれると思っていたし、しなければならない事だと、学校側は理解しているだろうと思っていた。
学校側に対して、言いたいことは山ほどあったし、目黒区の教育委員会に対しても、言いたいことは山ほどあったのだが、自分は、じっと辛抱して、ひたすら学校の対応を待っていたのだった。
自分勝手な言い分として、小学校などでの食育授業をしている立場上、学校側とは出来ればもめ事をしたくなかったし、目黒区とのもめ事も避けたがった。
そのため、そのことを声を大にして言うことができなかったのだ。
それが子供とって、どんなに落胆と失望となってしまうかも、判り切っていたが・・・
結果として、何もできない学校側に自分たちは失望し、子供は東京からも離れて別の学校へ行くことになった。
このまえ、目黒区の某学校から、食育授業をしてもらえないかという連絡があったが、即答して断った。
学校に失望していること。教育に失望していること。区の対応にして失望していることを伝えて・・・
もう自分は、学校に対して、目黒区に対して、食育授業をすることはない。
もしも自分がまだ、こんなところに協力しているとなったら、子供のプライドはどうなるのだろうか。
たとえ、校長が辞めて、副校長が転校になって、担任も辞めて、クラスも入れ替えがあったとしても、子供が受けた傷は一生消えない。
その傷をつけた学校に対して、協力する気持ちなど、未来永劫、一切ない。