温暖化を考えて、産地の将来を考えて、担い手の将来のために、さらに、産地で誇れるお米、消費地が求めるお米、流行にあったお米等を考えて、長い時間と苦労を重ねて、やっと新品種は生まれ出る。
なので、そういう新品種を生み出した全ての産地は、その新品種が、より産地の将来のためになるようにと、コシヒカリを超えるブランド米に育つようにと、ブランド戦略というものを考えて、実行していこうとする。
なのに、地域の経済連と地域農協や全農が、せっかく生まれた新品種を潰そうとしている事例が、全国で溢れている。
それも、コシヒカリを主力商品として栽培して販売しいる産地に多いというもの、共通している。
其処には、どういう理由があるのだろうか。
品種も生き物である限り、永久にあり続けるという事は不可能。
何時かは限界と言うものが来る。
それが昭和の時代に生まれた品種であるのなら、なおさら。
今の温暖化や異常気象には耐えられない。
幾らコシヒカリであっても、品質が良くないのであれば、高く売れる筈もない。
消費者も「おいしい」とは言わない。
「また食べよう」とも思はない。
新潟県や魚沼という産地であれば、消費者が知っている産地である事から、まだ買ってくれるかもしれない。
しかし、「〇〇県って、どこ?」「お米作ってんの?」と言われてしまう程度の産地であれば、買ってくれる事は、殆ど期待出来なくなる。
だからこそ、新品種をシッカリと地域の誇れるブランド米に育てていかなければ、その産地の将来は期待できないのではないだろうか。
なのに、産地の経済連と地域農協や全農は、コシヒカリだけを売りたいというか、コシヒカリしか売るノウハウを持っていないからか、新品種を高く売る自信が無いからなのか、新品種を徹底的に批判し、「コシヒカリでなければ駄目だ」みたいな説明をする。
それを消費地で、産地に愛情を持たず、産地を助けるという考え方も無く、無くなっても構わない産地だという考え方で、冷ややかに見ていると、時代の乗り遅れた、昭和の時代のボケた頭の偉い人たちが、威張りくさって指示しているのが、滑稽でしょうがない。
県がブランド戦略を作らなければならないのは、産地の経済連と地域農協や全農が、自分たちの新品種をブランド米にする事が出来ず、全て業務用米にしてしまったという、今までの繰り返しの失敗があるからである。
もしも、この意見に反対出来るのであれば、魚沼を超えるブランド米を、産地の経済連と地域農協や全農は「いくつも作り上げた」と言えるはずである。
しかし、そんなブランド米は、何処を見渡しても無い。
平成になってからも、各産地から毎年、新品種は生まれ続けた。
高品質の品種もあれば、良食味の品種も沢山あった。
なのに、何一つブランド米にはなっていない。
消費者は、その品種の存在すら知らされていない。
酷い場合は、数年間で新品種が消えてしまっている事もある。
そうしてしまったのは、本当に県なのだろうか。
県がブランド戦略と言い始めたのは、山形県「つや姫」や北海道「ゆめぴりか」が初めだろう。
それまでは、経済連や全農が、全てを仕切って新品種を動かしていた。
県が意見を言おうとすると「口出しをするな」と怒鳴り散らした、経済連や全農の偉そうな担当者を、実際に自分は、その場で何度も見ている。
今迄の自分たちの事を、棚に上げるのではなく、よりによって神棚に上げて、県が地域の将来のために、担い手のために、ブランド米にしようとしている新品種の足を、徹底的に引っ張り、県の些細なミスであっても、「それ見た事か」と大声で批判して、県の努力を無にしようとする。
そして、もしも失敗したとしたら、「全ては県が悪いんだ」と、自分たちの失敗ごまかし、そしてを消すように、声高らかに言い回る。
元々、県に販売する権利は無い。
今も昔も、お米を動かしているのは、新品種を流通にのせているのは、産地の経済連と地域農協や全農なのだ。
つまり、自分の産地のお米が売れないというのは、産地の経済連と地域農協や全農の販売が、間違っていて下手だという事なのではないのだろうか。
そんな事だから、頑張る生産者や努力を惜しまない生産者は、産地の経済連と地域農協や全農を、全く信用しないで、「自分で頑張らなければ」と考えるのではないのか。
これってなんだ。
いったい、いつの時代なんだ。
もうじき新しい年号に代わる。
TPPも動き、国内産米だけの戦いではなく、世界のお米との戦いとなる。
パンドラの箱は、まだまだ幾つもあって、これからも開き続ける。
それなのに、お米の消費はさらに減り続ける。
1つや2つの産地のお米が無くなっても、国内産米は溢れかえってしまう。
今は情報社会の時代。
どんな些細な発信であっても、あっという間に広がってしまう。
経済連と地域農協と全農を批判した、この投稿も。
あっという間に全国に知れ渡ってしまう。
そして、ブランド米を潰しているのが、産地の誰だったのかと言う事も、県内だけでなく、全国に知れ渡ってしまう。
今迄は出来ていたとしても、もう「失敗させて、知らん顔」をする事は出来ない。
犯人は直ぐに特定されてしまう。
それが今という時代。
多分この投稿は、物凄い事になってしまうかもしれない。
SNSを終わらせなければならない事態となるかもしれない。
それでも、言う時は「今」なのだと思う。
新品種をブランド米とさせずに、失敗させようと考えている偉そうな人たちは、「自分の首をかけて、全力で失敗させる」必要がある。
そうしなければ、今度は自分が追い込まれていく事になるのだから。