◆気仙沼のサンマの宅急便
◆「サンマの刺し身の作り方」ちらし
◆気仙沼のサンマ
◆サンマの蒲焼丼
◆「サンマの刺し身の作り方」ちらし
◆気仙沼のサンマ
◆サンマの蒲焼丼
気仙沼から産直のサンマ第4弾が届きました。
今回は、若かりし頃にお世話になった下宿先の娘さんから届きました。
思いがけずのサンマの贈り物は理由がありました。
私にとって気仙沼は、社会人として第一歩を踏み出した第二の故郷でした。
丁度、会社の寮が満杯で寮へ入居することができず下宿をせざるをえず、気仙沼へ来て最初にお世話になったのが下宿先のおばさんでした。
お世話になったおばさんが、今年の5月に99歳の天寿を全うしお亡くなりになりました。
友人から訃報のお知らせをいただきご葬儀に参列してご焼香をしてきましたが、娘さんが、わざわざ仙台からお出でいただいたのに何のお構いもなく失礼していたことから何かお礼をしなければと思い、旬のサンマを送ったという旨のお話をしていました。
青春時代を気仙沼で生活した思い出は尽きません。
下宿先のおばさんの家からは気仙沼湾が一望にできました。
漁船が船出する時は、軍艦マーチや都はるみの「涙の連絡船」がスピーカーからありったけの音量で流れていました。
おばさんのご主人が遠洋漁業の機関士をしていたことから長期間にわたり留守をしていました。
おじさんが帰った時には、夕食に美味しいマグロの刺し身が食卓にのっていました。その量は半端でないと思いながら食べたことがありました。
会社には食堂がありましたが、毎日、弁当を作って持たせてくれました。
就職して間もない頃、母と姉が気仙沼へ遊び来ました。その時は、下宿先にあった空き部屋に泊めさせていただきました。
慣れない土地でホームシックにかかりかねない中、母と姉がタイミング良く遊びに来てくれたことにホッとした思い出が蘇ってきました。
今回、送っていただいたサンマは、あの大震災で大きな被害を受けた「阿部長商店」の気仙沼産直でした。
「さんま刺身の作り方」のレシピが同梱され、美味しそうなお刺身や塩ふり焼きの写真も掲載していました。
海と共に生きるABESHOの心意気が伝わってくるものでした。
食べきれないサンマは、友知人へお裾わけし旬のサンマを味わっていただくことにしました。
友人宅では早速、刺身にして食べたとお礼の電話をいただきました。次の日は、塩焼にし、3日目は、サンマの蒲焼丼にすると言っていました。
我が家では、早速、サンマの蒲焼丼にして食べました。
新鮮そのもののサンマは甘辛く煮て山椒を振りかけてご馳走になりました。
旬のものを至福の境地で食べられることに幸せを感じています。
これも健康ならではのご褒美と思うと健康管理には十分気をつけていきたいと思っています。
今回は、若かりし頃にお世話になった下宿先の娘さんから届きました。
思いがけずのサンマの贈り物は理由がありました。
私にとって気仙沼は、社会人として第一歩を踏み出した第二の故郷でした。
丁度、会社の寮が満杯で寮へ入居することができず下宿をせざるをえず、気仙沼へ来て最初にお世話になったのが下宿先のおばさんでした。
お世話になったおばさんが、今年の5月に99歳の天寿を全うしお亡くなりになりました。
友人から訃報のお知らせをいただきご葬儀に参列してご焼香をしてきましたが、娘さんが、わざわざ仙台からお出でいただいたのに何のお構いもなく失礼していたことから何かお礼をしなければと思い、旬のサンマを送ったという旨のお話をしていました。
青春時代を気仙沼で生活した思い出は尽きません。
下宿先のおばさんの家からは気仙沼湾が一望にできました。
漁船が船出する時は、軍艦マーチや都はるみの「涙の連絡船」がスピーカーからありったけの音量で流れていました。
おばさんのご主人が遠洋漁業の機関士をしていたことから長期間にわたり留守をしていました。
おじさんが帰った時には、夕食に美味しいマグロの刺し身が食卓にのっていました。その量は半端でないと思いながら食べたことがありました。
会社には食堂がありましたが、毎日、弁当を作って持たせてくれました。
就職して間もない頃、母と姉が気仙沼へ遊び来ました。その時は、下宿先にあった空き部屋に泊めさせていただきました。
慣れない土地でホームシックにかかりかねない中、母と姉がタイミング良く遊びに来てくれたことにホッとした思い出が蘇ってきました。
今回、送っていただいたサンマは、あの大震災で大きな被害を受けた「阿部長商店」の気仙沼産直でした。
「さんま刺身の作り方」のレシピが同梱され、美味しそうなお刺身や塩ふり焼きの写真も掲載していました。
海と共に生きるABESHOの心意気が伝わってくるものでした。
食べきれないサンマは、友知人へお裾わけし旬のサンマを味わっていただくことにしました。
友人宅では早速、刺身にして食べたとお礼の電話をいただきました。次の日は、塩焼にし、3日目は、サンマの蒲焼丼にすると言っていました。
我が家では、早速、サンマの蒲焼丼にして食べました。
新鮮そのもののサンマは甘辛く煮て山椒を振りかけてご馳走になりました。
旬のものを至福の境地で食べられることに幸せを感じています。
これも健康ならではのご褒美と思うと健康管理には十分気をつけていきたいと思っています。