青い空が大好きな゛bluesky531゛の徒然日記

日常の出来事を日記風に徒然なるままに書いています。

思い出の蒸気機関車≪東北本線小午田~仙台間をSL快走(2008.10.4)≫

2015-08-18 06:56:55 | 車/バイク/乗り物

  今日のブログは、昨日に引き続き、「思い出の蒸気機関車」第5回目、最終回として、当時、私のホームページに掲載した内容と写真をご紹介します。

  第5回目は、2008年10月4日、「仙台・宮城ディステネーションキャンペーン」が1日から始まり、開幕を記念して蒸気機関車が東北本線小牛田駅~仙台駅を運行した内容でした。

 表題は、『SL快走』と短く、内容も凄く簡単に記したものでしたが、SLの姿は、カーブした線路を力強く疾走し、蒸気機関車の魅力をたっぷり味あわせてくれました。

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 ■『SL快走(08.10.04

  

  

  「仙台・宮城ディステネーションキャンペーン」が1日から始まり、開幕を記念して蒸気機関車が東北本線小牛田~仙台駅を運行しました。早速、10月4日に出かけてきました。

  田園地帯を走る写真をと思いましたが、行き着いたところは松島方面。既に鉄道ファンのカメラマンがスタンバイしていました。

 皆さんカーブを選んで客車まで撮るという構図のようでした。


思い出の蒸気機関車≪33年振りに走った石巻線の蒸気機関車(07.10.20)≫

2015-08-17 06:40:58 | 車/バイク/乗り物

 日のブログは、昨日に引き続き、「思い出の蒸気機関車」として、当時、私のホームページに掲載した内容と写真をご紹介します。

 第4回目は、2007年10月20日、33年振りに石巻線を走る蒸気機関車のイベントがあるということを知り、何処で撮ったら良いかと思い巡らせて現場にかけつけた内容でした。

 石巻線は、2011年3月11日に発生した東日本大震災で全線不通となっていましたが、2013年3月16日までに小牛田駅~ 浦宿駅間が復旧し、浦宿駅~女川駅を残して一部区間で運行していた石巻線は、2015年3月21日に全線復旧しました。

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■『石巻線を走る蒸気機関車(07.10.20)

■北上川の鉄橋・松島湾の海岸を走る蒸気機関車

 

 

■女川のさんま

 

 

 10月20日、石巻線で33年ぶりに蒸気機関車が走るという情報を知り行ってきました。
 写真を撮るため何処の場所が良いのか地図を出し下調べをしました。

 石巻線は田園地帯が多いことから変化に飛んだ場所を探すことにしました。

 北上川にかかる鉄橋と海辺を走る蒸気機関車は絵になるのではないかと思い午前と午後にその2箇所で撮ることにしました。当日は秋晴れの良いお天気で電車好きのカメラマンが多くかけつけていました。

 SLホエール号と名前をつけた蒸気機関車は広々とした北上川の鉄橋と海辺の側をもうもうと煙を吐きながら通り過ぎていきました。

 その足で女川まで行き旬の秋刀魚の塩焼きを食べて帰ってきました。

 


思い出の蒸気機関車≪北上線(北上~横手)を走る蒸気機関車(2007.7.1~2)≫

2015-08-16 06:27:54 | 車/バイク/乗り物

 今日のブログは、昨日に引き続き、「思い出の蒸気機関車」第3回目として、当時、私のホームページに掲載した内容と写真をご紹介します。

 第3回目は、2007年7月1日・2日、秋田県横手市の実家へ帰った時、兄から北上線を走る蒸気機関車のイベントの話を聞いて、急遽、駆け付けた内容で、黒煙を上げて走るD51を追っかけしながら撮った記念すべき蒸気機関車「D51-498」でした。

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 ■『D51が黒煙を上げて北上線を走った!!(07.7.1~2)

 

  

 

  

 6月30日、同窓会へ出席のため郷里に帰ってきました。
 タイミングが良いことに7月1日と2日の2日間限定でD51が北上線を走るという情報を得ました。北東北デスティネーションキャンペーンを記念してのイベントでした。

 1940年11月にD51、デゴイチ498号が産声をあげたそうです。以来、多くのファンの声に支えられ、現在も動態保存をされているそうです。そのD51が北上線を疾走しました。

 当日は、北上を午前9時11時に出発し、横手には午前11時29分に到着、2時間18分の運行でした。北上線は田園、鉄橋、湖、山河とD51が走るためには絵になる風景ばかりです。それに合わせたように鉄道ファンのカメラマン達が思い思いの場所で待ち構えていました。そういう私もディジカメ持参で駆けつけました。

 北上線で初めて見るD51のため何処のポイントがカメラアングルに良いのか全く分かりませんでした。唯一、カメラマンが多くいる場所が絶景かなと思いながら車を走らせました。

D51と赤い鉄橋
 ほっとゆだ駅を過ぎて暫く走ると道路脇に沢山の車が駐車していて警備員が交通整理をしていました。

 車だけが見えてカメラマンの人影が見えません。警備員に尋ねるとこの先に赤い鉄橋があるのでみんなそちらに行っているということでした。

 行ってみると既に沢山のカメラマンが三脚を立てて陣取っていました。

 遠く錦秋湖に架けられた赤い鉄橋が見えました。カメラマン達は太くて大きい立派な望遠レンズをつけて構えていました。

 私の小さなディジカメではD51が走っているという雰囲気だけしか撮ることができないと思いつつその場所で1枚撮ることにしました。

  汽笛がこだますると一斉にカメラを構えていました。

 私も固唾を呑んで緊張しながらカメラを構えました。もうもうと黒煙をあげて走ってくるD51は鉄橋に差し掛かるとバシャバシャとシャッターの音が鳴り響きました。

 あっという間にD51は疾走していきました。走りすぎていった後の余韻は何とも言われぬ何かに解放された安堵感が漂っていました。

トンネルを抜けたD51
 ほっとゆだ駅では約30分の停車がありました。その時間を利用して次のポイントへ車を走らせました。

 絶景のポイントを調べた訳では無く皆が車を走らせて行く後をついて行くことにしました。次のポイントはトンネルから抜け出たD51を撮る場所でした。遠くにトンネルが見えました。

 D51が来る間もなくトンネルの傍に一人の人影が見えました。カメラマン達は異口同音に「邪魔だ!!」と叫びました。

 余計な人物が写っては台無しと思ったのでしょうか。それは鬼気迫るものがありました。

 D51を追い続けながら小さなディジカメで良くも撮れたと感心しています。連写の機能があればもう少しシャッターチャンスを逃さずに撮れたかもしれないと思いました。

 タイミングよく故郷に帰ってきたものと喜んだ1日になりました。


思い出の蒸気機関車≪陸羽東線を走った「SL義経号(D51-498)」』(04.9.20)≫

2015-08-15 06:27:07 | 車/バイク/乗り物

今日のブログは、昨日に引き続き、「思い出の蒸気機関車」第2回目として、当時、私のホームページに掲載した内容と写真をご紹介します。

 第2回目は、2004年9月18日から20日、陸羽東線の小牛田~新庄間に蒸気機関車(SL)がけん引するイベント列車「SL義経号(D51-498)」を走らせたという内容でした。

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■『奥の細道湯けむりライン陸羽東線「SL義経号(D51-498)」運転(04.9.18~20) 』

■「SL義経号(D51-498)」を待つ鉄道ファン・鳴子御殿湯駅ホームと「SL義経号(D51-498)

  

■「SL義経号(D51-498)」

 

 

 JR東日本仙台支社は、9月18日から20日、陸羽東線の小牛田~新庄間に、蒸気機関車(SL)がけん引するイベント列車「SL義経号(D51-498)」を走らせた。


 陸羽東線のSL走行は、1999年12月の山形新幹線新庄延伸を記念した運行以来という。  12月の当日は、雪の降る日だったそうだ。あれから5年。今回は、稲刈りもたけなわの季節。

 私は、運転の最終日である9月20日、鳴子御殿湯駅付近の鉄橋と稲刈りの終わった川渡温泉駅付近で写真を撮りながら見てきた。
 どちらもSLファン、SLマニアのカメラマンで賑わっていた。それぞれ、SLの本にも紹介されている格好のスポットらしい。


 初めてSLを撮ってきたが、皆、立派なカメラを数台三脚に備え付け、大きな脚立にのぼりながら撮っていた。そういう私は、ディジカメに小さめの三脚、何とも違和感を持つ雰囲気だった。それでもいっぱしのカメラマンのような気分で撮っていた。

 いつも思っているが、写真を撮るのは難しい。一瞬のシャッターチャンスを逃すと後の祭り。悔いても悔やみきれないとはこのことか。それでも、どうにか頑張って撮ってきた。車窓から手を振る子供達に応える余裕も無く・・・・。


思い出の蒸気機関車≪『奥の細道湯けむりライン陸羽東線「SL義経号」に試乗』(04.9.14)≫

2015-08-14 09:18:13 | 車/バイク/乗り物

 

 昨日のブログは、友人からいただいたメールから、磐越西線で週末に運行されている蒸気機関車についてご紹介しましたが、今日から5回にわたり、私が、過去にマイホームページに掲載した蒸気機関車についてその文章と新しい写真等を交えて「思い出の蒸気機関車」としてご紹介したいと思います。

 第1回目は、2004年9月14日、陸羽東線「SL義経号」へ乗った蒸気機関車や車内の様子、機関車から見た田園風景について、当時、私のホームページに掲載した内容と写真をご紹介します。

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■『奥の細道湯けむりライン陸羽東線 「SL義経号」に試乗』(04.9.14)

 

 

 

 

 

 

 

 9月14日、秋風が吹く良く晴れた日、「SL義経号」試乗会に参加した。

 試乗会は、JR東日本仙台支社が、9月18日から20日の3日間、奥の細道湯けむりライン陸羽東線の小牛田駅―新庄間に、蒸気機関車(SL)がけん引するイベント列車「SL義経号」を走らせるため沿線沿いの住民や関係者を招待して行われた。

 陸羽東線にSLを運行するのは、5年ぶりなそうだ。
 そのためか、沿線住民はもちろんのこと、鉄道ファンやSLマニアにとっては、待ちに待ったイベントと拝見した

 試乗区間の指定があり、陸羽東線上り鳴子温泉駅から小牛田駅までの約54kmを乗った。
 「SLといったらこれ!!」という人気№1のデゴイチで、D51-498号に旧型客車が4両連結していた。

 鳴子峡の山あいを走ってきたD51は、午前10時36分鳴子温泉駅に到着した。
 いよいよ乗車の瞬間を迎えて子供のようにドキドキした。
 客車へ一歩足を踏み入れるとそこは別世界だった。
 懐かしい石炭の匂いがプーンと鼻をついた。
 座席は、木の枠で、窓枠も木に覆われていた。
 向かい合わせて座ると相手の膝があたるような狭い空間だった。
 車窓から見る風景もいつになく違って見えた。

 蒸気機関車に乗ったのは、いつのことだったろうか。

 遠い昔の故郷を思い起こした。
 小学校の校舎からは、田んぼの中を走る蒸気機関車を見ることができた。
 モウモウと黒い煙を吐き、白い蒸気を撒き散らし、気高い汽笛を響かせ走り去っていく蒸気機関車を横目で見ながら受けた授業。 全て懐かしい思い出だった。

 D51は、鳴子温泉駅で水や燃料の補給をした後、午前11時02分に出発した。
 途中、鳴子御殿湯駅、岩出山駅、古川駅に止まり、一路、小牛田駅へと走った。
 午後12時23分、終点、小牛田駅に到着した。

 沿線には、大勢の鉄道ファンやSLマニアがあちこちでカメラを構えていた。更に、自治体関係者が、沿線の要所要所で、警備をしている様子が見えた。
 このイベントは、多くの人たちの協力を得て開催されていると実感した。 

 D51は、稲の収穫が間近い黄金色の田園の中を力強く走っていた。
 しばしタイムスリップして懐かしい時間を過ごしたような試乗会だった。

   ★SL義経号運転   
    *運転日:9月18日(土)~20日(月)
    *区 間 :新庄―小牛田(1日1往復・全席指定)
     ・新庄から運転  新庄(9:00)― 小牛田(12:23)
     ・小牛田から運転 小牛田(14:44)― 新庄(18:12)