ご無沙汰していました。
といってもほぼ毎日更新していたわけですが、普通記事は2週間ぶりとなります。
実は2週間前の同じ木曜日(10日)の午後、私はモデルルームのイベントで都内へ出かけていました。
イベント中に夫から着信が入っていて、気付いて折り返すと・・・・
入院中の義母の容体が急変し、急にどうこうという事態ではないらしいけれど
会わせておきたい人がいれば、早めに会っておいたほうがいいという連絡が義兄から入ったとのこと。
その連絡を受けてから、30分ぐらいでイベントは終了したので
急いで家に戻り、家にいた息子を連れて病院に向かいました。
着いてみると今までいた大部屋ではなく、個室に移動していて
意識はなく、酸素ボンベを付けられていました。
そこにいたのは義兄2人で、同居の兄嫁と義母の妹は一度来たものいったん帰ったとのこと。
私と息子で呼びかけても、反応はないものの心電図もはっきりしているし
顔色も赤味があるし、呼吸も荒いけれどしっかりしていて
まだヤマだという状態ではないように思えました。
でもその後、どんどん呼吸がかすれるようになっていって
途中で息が止まったような瞬間が何度か訪れ、私が着いて1時間後にとうとう帰らぬ人となってしまいました。
息子は見舞ったあと、バイトに出かけてしまったので
臨終に立ち会えたのは義兄2人と私の3人で、夫は間に合いませんでした。
まさかと思っている間の、あっという間の出来事で
前日の夜まで、車いすに乗せられて食堂へ行き普通に食事をしていたそうで
意識がなくなって、わずか12時間後の臨終でした。
そばで見ていて、特別苦しんだ様子もなく最後の顔はとても穏やかで
87歳、大往生だったと思います。
リュウマチがあって、5~6年前くらいから一人で外に出かけたりはできなくなっていたのですが
家の中で、好きなことをしながら暮らしていた義母。
それが、1年4か月ほど前に朝ベッドから落ちて骨折し
救急車で運ばれて急きょ入院手術となってから、一度も家に帰ることが出来ませんでした。
当初医者には、歩けるようになるといわれていたのですが
年齢的にも性格的にも、リハビリを頑張る気力のなかった義母は
そのまま寝たきりになってしまって、それと同時に痴呆も進み
その後2度の転院を経て、最後の日を3つ目の病院のベッドで迎えました。
1年4か月の入院生活の中で、まだ気持ちが少し元気だったころは
自分をこんなところに追いやって・・・と、激しいことばをぶつけることもあったのですが
最近は見舞いに行くと、ほとんどうつらうつら寝ていることが多くなり
弱ってきたな~、という印象を感じずにはいられない状態になっていました。
話すことも現実に沿わないことが多くなり、「あなたのところの下の赤ちゃん(息子のこと)どうしたの?」と聞いたり
うちの息子を夫の年下の従弟の若いころと間違えたり、私を自分の弟のお嫁さんの若いころと間違えたり
とっくに亡くなった自分の両親がまだ生きているようなことを言ったり、少しずつ昔にかえって行っていたようです。
夫と二人で最後に見舞った時には、親戚一同が賑やかに集まっている夢を見ていたようで
うつらうつらしてふと目を覚ますと 「みんな来ているんでしょう?」とか「おいしいものがいっぱいあったでしょう?」と
幸せそうに話して、またすぐに眠ってしまうという状態を繰り返していました。
今思えば、天国から自分の父母や亡くなった兄弟が迎えに来ていたのかもしれないですね。
いい夢を見て、多分とってもしあわせな最後だったと思います。
嫁いで27年、同居の嫁と違って着かず離れずの適度な関係だったおかげもあり
一度もケンカしたこともなく、いつもやさしく接してくれていて
最後まで私をいい嫁だと思ってくれていた義母でした。
息子ばかり3人で、孫も5人のうち男4人という中で
唯一の女の子を生んであげられたことが、私の最大の親孝行だったのではないかと思っています。
娘は本当にかわいがってもらって、小さいころはおばあちゃん手作りの洋服ばかり来ていました。
お葬式も無事終わり、その翌日に後片付けに実家に行ったときに
兄嫁とまたいずれゆっくり遺品を整理しなくては、と話しながら
開いた引き出しに入っていたのが、画像のピルケースです。
きれいな赤とバラ柄と程よくくたびれたレトロ感が気に入って、兄嫁に許しをもらって私がもらってきました。
今はずっとこのピルケースを眺めながら、元気だったころの義母のことをたくさん思い出しています。
そんなことでブログはしばらくお休みしたかったし、するべきだったのかもしれませんが
何しろモニターをいっぱい抱えていたので、コメント欄を閉じてモニター記事だけ続けることにしました。
モニターはビジネスだと割り切れたので、日常を語らないで書く分には問題はなかったのですが
義母の死という現実を言葉にするのは、とても怖くてなかなか書けずにいて
一方で、きちんと書き留めておかないのも申し訳ない気持ちもしていて
葛藤しながらですが、ここに記事として報告させていただきました。
コメント欄は開けますが、重たい内容ですから読んでいただけるだけで十分ですよ。
いつもありがとうございます
といってもほぼ毎日更新していたわけですが、普通記事は2週間ぶりとなります。
実は2週間前の同じ木曜日(10日)の午後、私はモデルルームのイベントで都内へ出かけていました。
イベント中に夫から着信が入っていて、気付いて折り返すと・・・・
入院中の義母の容体が急変し、急にどうこうという事態ではないらしいけれど
会わせておきたい人がいれば、早めに会っておいたほうがいいという連絡が義兄から入ったとのこと。
その連絡を受けてから、30分ぐらいでイベントは終了したので
急いで家に戻り、家にいた息子を連れて病院に向かいました。
着いてみると今までいた大部屋ではなく、個室に移動していて
意識はなく、酸素ボンベを付けられていました。
そこにいたのは義兄2人で、同居の兄嫁と義母の妹は一度来たものいったん帰ったとのこと。
私と息子で呼びかけても、反応はないものの心電図もはっきりしているし
顔色も赤味があるし、呼吸も荒いけれどしっかりしていて
まだヤマだという状態ではないように思えました。
でもその後、どんどん呼吸がかすれるようになっていって
途中で息が止まったような瞬間が何度か訪れ、私が着いて1時間後にとうとう帰らぬ人となってしまいました。
息子は見舞ったあと、バイトに出かけてしまったので
臨終に立ち会えたのは義兄2人と私の3人で、夫は間に合いませんでした。
まさかと思っている間の、あっという間の出来事で
前日の夜まで、車いすに乗せられて食堂へ行き普通に食事をしていたそうで
意識がなくなって、わずか12時間後の臨終でした。
そばで見ていて、特別苦しんだ様子もなく最後の顔はとても穏やかで
87歳、大往生だったと思います。
リュウマチがあって、5~6年前くらいから一人で外に出かけたりはできなくなっていたのですが
家の中で、好きなことをしながら暮らしていた義母。
それが、1年4か月ほど前に朝ベッドから落ちて骨折し
救急車で運ばれて急きょ入院手術となってから、一度も家に帰ることが出来ませんでした。
当初医者には、歩けるようになるといわれていたのですが
年齢的にも性格的にも、リハビリを頑張る気力のなかった義母は
そのまま寝たきりになってしまって、それと同時に痴呆も進み
その後2度の転院を経て、最後の日を3つ目の病院のベッドで迎えました。
1年4か月の入院生活の中で、まだ気持ちが少し元気だったころは
自分をこんなところに追いやって・・・と、激しいことばをぶつけることもあったのですが
最近は見舞いに行くと、ほとんどうつらうつら寝ていることが多くなり
弱ってきたな~、という印象を感じずにはいられない状態になっていました。
話すことも現実に沿わないことが多くなり、「あなたのところの下の赤ちゃん(息子のこと)どうしたの?」と聞いたり
うちの息子を夫の年下の従弟の若いころと間違えたり、私を自分の弟のお嫁さんの若いころと間違えたり
とっくに亡くなった自分の両親がまだ生きているようなことを言ったり、少しずつ昔にかえって行っていたようです。
夫と二人で最後に見舞った時には、親戚一同が賑やかに集まっている夢を見ていたようで
うつらうつらしてふと目を覚ますと 「みんな来ているんでしょう?」とか「おいしいものがいっぱいあったでしょう?」と
幸せそうに話して、またすぐに眠ってしまうという状態を繰り返していました。
今思えば、天国から自分の父母や亡くなった兄弟が迎えに来ていたのかもしれないですね。
いい夢を見て、多分とってもしあわせな最後だったと思います。
嫁いで27年、同居の嫁と違って着かず離れずの適度な関係だったおかげもあり
一度もケンカしたこともなく、いつもやさしく接してくれていて
最後まで私をいい嫁だと思ってくれていた義母でした。
息子ばかり3人で、孫も5人のうち男4人という中で
唯一の女の子を生んであげられたことが、私の最大の親孝行だったのではないかと思っています。
娘は本当にかわいがってもらって、小さいころはおばあちゃん手作りの洋服ばかり来ていました。
お葬式も無事終わり、その翌日に後片付けに実家に行ったときに
兄嫁とまたいずれゆっくり遺品を整理しなくては、と話しながら
開いた引き出しに入っていたのが、画像のピルケースです。
きれいな赤とバラ柄と程よくくたびれたレトロ感が気に入って、兄嫁に許しをもらって私がもらってきました。
今はずっとこのピルケースを眺めながら、元気だったころの義母のことをたくさん思い出しています。
そんなことでブログはしばらくお休みしたかったし、するべきだったのかもしれませんが
何しろモニターをいっぱい抱えていたので、コメント欄を閉じてモニター記事だけ続けることにしました。
モニターはビジネスだと割り切れたので、日常を語らないで書く分には問題はなかったのですが
義母の死という現実を言葉にするのは、とても怖くてなかなか書けずにいて
一方で、きちんと書き留めておかないのも申し訳ない気持ちもしていて
葛藤しながらですが、ここに記事として報告させていただきました。
コメント欄は開けますが、重たい内容ですから読んでいただけるだけで十分ですよ。
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