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本日の産経新聞に掲載された「曾野綾子の透明な歳月の光」より
■428 聖パウロ「ローマの信徒への手紙」
「災害の中で胸に迫る言葉」
東日本大震災によって2万人を超す死者・行方不明者が出たということは、
2万例を超すそれぞれの深い悲しみがあったということで、その重い現実の
前には私は言葉もない。
しかし一方で国民として、人間として、別の視点を持たなければならないこ
ともほんとうである。
新約聖書におさめられた聖パウロの「ローマの信徒への手紙」の中には、
まさにこの悲しみの多い災害の時を見越して書かれたかのような文章が
あって驚かされる。
「希望を持って喜び、苦難を耐え忍び(中略)貧しさを自分のものとして
彼らを助け、旅人をもてなすように務めなさい。(中略)喜ぶ人と共に喜び、
泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにして・・・」(12・15)
「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。(中略)あなたの
敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ(中略)悪に負けること
なく、善をもって悪に勝ちなさい」(12・18~21)
救援と復興の過程の作業は決しておきれいごとだけでは済まない。つらい任務
に携わっている人たちは、目の前にいる相手に時として怒りや悪意を持つ瞬間
があるはずだ。
しかしキリスト教では、神はどこにいるかという点について、恐ろしい真実を
述べている。神は決して天の高みや人の心の中にいるのではなく、今私たちの
眼の前にいる人のなかにいると規定する。その人というのは、時には、病み傷
つき、貧しく惨めな姿の人、歪んだ心根の人で、その中に神がいるということだ。
だから救助者が弱い人に仕えるのは、その人の中に潜む神に仕えることなのだ
という解釈である。神は教会だけにではなく、私の眼の前の人の中にいるという
思いこそ、安定した神と人との関係だ。
パウロはまた、私たち一人一人の体は、多くの部分から成り立っているが、その
一部が苦しめば体全体が苦しみ、その一部が尊ばれれば、すべての部分が共に
喜ぶと考える。これも救援や援助の思想の神髄をつく感覚だろう。
有名な「コリントの信徒への手紙」(13・4以下)で、パウロはたった10行の
短い文章で愛を定義する。
愛の条件は、忍耐と情に深くあること、ねたみを持たず、自慢や高ぶりを示さ
ないこどである。無礼な行動をせず、自分の利益を求めず、恨みを抱かず、不義
を排し、真実を尊ぶことだという。
また愛は、母が地震の時、子供を自分の体で覆って守るのと同じ姿勢で他者を
守り、信じることをやめず、望みを失わず、しかしそれでもことが好転しない
場合には、神話の巨人が天を支えているように、自分を必要とするものを下から
支え続けることだ、と定義している。
震災の中で読み返すと、胸に迫る言葉ばかりである。

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「使命感持って行く」=電力会社社員、福島へ―定年前に自ら志願
福島第1原発の事故で、情報提供の遅れなど東京電力の対応に批判が集まる
一方、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の
社員もいる。地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年
後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。
会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、
9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人
の応援派遣に応じた。
男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」
と家族に告げ、志願したことを明かした。話を聞いた娘は、家ではあまり話
さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになったという。
東京電力側の受け入れ体制が整った15日朝、男性は自宅をたった。特別な
ことにしたくないと考えた娘は見送りはせず、普段通りに出勤した。「最初は
行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いは
ないと思った」と話し、無事の帰宅を祈る。
男性の妻(58)は「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきた。
一番安全なものをやっているという自信があったんだと思う」と話す。
出発を見送り、「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声を
掛けたという。
エキサイトニュースより<時事通信社伝>

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東北・関東大地震で被災されたみなさまに
哀悼の意を表します。
尚、画像は山本大成「かわら屋の雑記帳」の中から使用させていただきました。