百翔

あした天気になぁれ!

 好み

2006-01-31 | Weblog
 
世代のせいか基本的に演歌系が
余り好きでありません。
「神田川」世代で
丁度あの頃、洗面器持って銭湯に通ったり
写真撮ったり絵を描いたりしてましたから。

それと、あの紅白歌合戦の常連さんの
雰囲気がどうも?
言葉がやけに上滑りした感じが?
今一です。その点フォーク系は
気安そうで好感持てます。

それなのに、昨日、ラジオで聞いて
しまいました。
箱崎晋一郎の「熱海の夜」
感動しました。良い歌です。歌い方が良い。
誰かのカラオケは聴いた事あったけど
本人さんのは格別でした!

今、世の中は涙ブームとか
だからか、連ドラで良く泣いてます。
泣く事で、ストレスがやわらげられるとか。
それと、耳垢の湿ったタイプと乾いたタイプが
存在し、湿った方が、排出力が強く
アジア系は乾いた方が多いとか。
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 人生無一文

2006-01-30 | Weblog

今月の22日午前一時過ぎに松江市内の病院で
ヨゼフ稲村重清さん97歳が亡くなられた。
稲村さんは、雲南市木次町平田の出身で
近所では腕の良い大工さんと言う事で通っていた。

そして、自分の死が近づいた頃になって
ようやく、自分の過去を語られた。
戦前の昭和10年に松江でカトリック信者として洗礼を受け
広島市郊外に住まいを移す。
そして、昭和二十年の原爆投下

大八車を引いて広島市内に入り
多くの重傷者を医師であったアルペ神父の居る
長束修道院に運び命を取り留めた人も居た。

そして、戦後の資材の乏しい中
津和野カトリック教会のパウロ・ネーベル神父の
招きを受け、乙女峠記念聖堂の建設に取り掛かる。
マリア聖堂は、幅6メートル奥行き8メートルの
小さなものだが、今でも乙女峠を登った場所に現存する。

その後、稲村さんは故郷の木次町に帰って
昼は大工、夜は午前二時頃まで聖書や建築の本
仏教美術の研究を深め、仏壇の製作も手がけられた。
木次町の「石照寺」の観音堂も現存する。

そして、稲村さんが亡くなられた後
松江カトリック教会に寄贈された
ぼろぼろになった聖書の最後のページに
「人生無一文」とあった。

<島根日日新聞1月28日の記事より要約して記載>
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 もう少し

2006-01-28 | Weblog

もう少しで、睦月の一月が終わります。
如月の二月になります。(これが又短い)
年度末にもなるし、昨年の締めも必要になる。

雪の方は、クリスマスの豪雪の後は
「どうなるのか?」と心配していましたが
今のところ、小康状態を維持して今日に至って居ます。
ただ、気になるのは、亡くなられる方が、最近多い事です。

人と言うのは、生まれた月日に
近い月日で亡くなられる方が、多いとも聞きました。
出来ますれば、気候共々、おだやかに
春を迎えたいと思います。

春の来ない冬もないし
朝の来ない夜もない
温かい、冬や夜を過ごしたいものです。
 
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 おや

2006-01-27 | Weblog
 「国家」とは、我々国民にとっては
 親に当たるのではないかと思います。
 幕末までの長いゼロ成長時代を
 色々の創意工夫で乗り切り
 やって来た明治維新
 
 そして奇跡的に、揃って居た人材のお陰で勝てた
 日露戦争。何故勝てたかを総括しない内に
 (アメリカはしっかり研究して居た)
 貴重な人材も引退して行き
 浮かれて居る内に世界は変わっていった。
 
 そして先の大東亜戦争の敗戦。
 さる新聞も戦争の事を書かないと
 売れないので戦争を勇ましく報道したのに
 負けた途端に、親の悪口ばかりを、書くようになった
 
 国民は国民で、何でもかんでも
 国にやってもらおう
 まるで、子供が母親に甘えるように
 国は国で、子供を甘やかす母のように
 何から何までしてくれた。
 
 そこで出来た子供が
 もらえるものは、何でももらい
 出す事は何も出さない
 言う事は、国家、国民を唱え、
 する事は、我が身我が身のがりがり亡者!
 
 今からの日本国家は、母親から父親に
 替わって、言いにくい事もはっきり言い
 目標を立てて、苦難を乗り越えて行くしかないと思う。
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定義

2006-01-26 | Weblog
 「国家とは」と言う事で
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6)
 より抜粋させていただきました。

 我々は、縁あって、世界で一番シンプルな
国旗と国歌の国に生まれ
 平気で、為政者の悪口を言える国に住んで居る訳であり
 ふと、「国家」と言う言葉を思いつき、載せて見ました。

 法学・政治学においては、以下の「国家の三要素」を持つものを「国家」とする。
 これは、ドイツの法学者・国家学者であるゲオルク・イェリネックの学説に
 基づくものであるが、今日では、一般に国際法上の「国家」の承認要件として
認められている。
 国家の三要素
* 領域(Staatsgebiet:領土、領海、領空)- 一定に区画されている。
* 人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり
復したりはしない。
* 権力(Staatsgewalt)ないし主権- 正統な物理的実力のことである。
 この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければ、
 つまり、主権的で(souvera"n)なければならない。

 このモデルにおいては、国家とは、権力が領域と人民を
 内外の干渉を許さず統治する存在であると捉えられているのである。
 領域に対する権力を領土高権(Gebietshoheit)、
 人民に対する権力を対人高権(Personalhoheit)という。
 国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、
 満たさないものは国家として認められない。
 この場合、認めるか認めないかを実際に判断するのは他の国家なので、
 他国からの承認を第四の要素に挙げる場合もある。
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やさしさ

2006-01-25 | Weblog
「○○してあげる」
テレビに出る人間が、やたら使う言葉
前は「○○する」とか「○○してやる」と
 言っていた言葉が置き換わって居る。

 なるほど言葉は優しそうだが、心はどうだろか?
 報道を賑わす事件は、弱いものを傷める方向に行き
 言葉だけが、やけに優しい(よそよそしい?)
 昨日書いた食糧自給率にしても
 政府発表は、希望的データも入れて
 無理やり40%台にして居る(国民にショックを与えない為とか)

 農村においても人口が減り
 何かと「協働」とか「地域」とか「組織」とか
 話に出て居るが、個人の尊厳と言うか、立場を尊重してもらいたい。
 入って良いところと、入ってはいけないところの
 けじめは大切だと思う。
 こう言うところで「やさしさ」を使って欲しい。

 「思いやりとは譲ること」ー桂小金治氏ー
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 寿命

2006-01-24 | Weblog
 前にも書いた事がありますが
 人類が住める地球の寿命は
 後50年と言われています。
 そして、それを裏付けるように起こる
 異常気象

 熱帯地方の地下水を汲み上げて
 無理やり作っていた穀物が
 地下水の枯渇で出来なくなって居る現状は
 NHKなどのメディアも流して居ます。
 水問題と言われるものです。

 そして日本は、先進国で唯一の
 食糧自給率が低い国であり
 それも終戦当時の80%や北朝鮮の70%を軽く凌ぐ
 30%台である

 そして、2,010年から2,012年頃には
 この日本でも食糧危機が来ると
 世界事情を知って居る人は断言して居ます。
 後五年したら、餓死者の出る世界に
 日本も仲間入りするのです。
 もう、政府からの補助金を当てにして
 農業を考えて居る時代では無いと
 私は断言します。
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初詣

2006-01-23 | Weblog
  
今年は、飯南町の地図持って
大元の伊勢神宮に
お参りさせていただきました。
出不精なので、これで二度目のお伊勢様

80人の団体に参加させてもらい
正式参拝です。
簡単な服装で行って居たら
正装までは行かなくても
ジーンズに赤の綿シャツでは駄目と
言う事になり、シャツやスラックス段取

先ず最初に驚いたのが
沿道の石灯篭に刻まれたダビデの星(六望星)
いざなぎ・いざなみを始め
日本とユダヤの関係は多くの謎があり
ノアの箱舟は日本に着いたとの説もある
「日猶同祖論」は新渡戸稲造だったか?

正式参拝で神楽を見せていただき
垣内参拝もさせて頂いた中
木造の垣の連なりを見てふと思ったのが
これは木造ではなく、石造りを模しているのでは?
と言う事でした。

神は風として人間に感じる形で存在を示すと言われるように
本殿からは風が吹いている中
対面させていただきました。
詳しい知識は持ち合わせて居ませんが
彼の地は、「違う!」としか言えない
感動を受けた次第です。
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相手

2006-01-20 | Weblog
この度の大雪騒動で我が飯南町は
東京の知合いもテレビで見たと言うくらい
全国的に有名になったにも係らず
上からの補助に付いて手を打たない内に
大雪の主役は新潟、長野に移ってしまった。
(予算を取るにはパフォーマンスが必要では?)

建設課や社共など関係課は
大真面目に雪対策を講じたが
横の繋がりが全く無く
役場全体の危機意識に欠け、町民には懸命さが見えなかった。
せめて、独居老人宅くらいは
町の職員のボランティアで除雪する等の
取組が欲しかった。

雪落としに付いてこそ
業者でなく公共と住民の
「協働」が第一ではないか
思い出したように降った雪で
事前の準備が無かった事が一番痛いが
その辺が、この度の、雪害の教訓として大切な事と思う。
(私も、設計物件を壊してしまいました)

県の担当課でも
当地の実情に無理解な発言があったと
聞くが、向うは埃が立って居るのにこちらは雪の世界(別世界)
理解しろ!と言うのが無理かも知れない。
それから勘案すると、当地の実情を理解できる
相手は仁多、横田の奥出雲町しかないのでは?
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風格

2006-01-18 | Weblog
国際紛争の場に乗り込み
紛争解決している日本人
(武装解除 -紛争屋が見た世界 伊勢崎 賢治著)
面子ばかり気にするのは
何処の国の政治家も同じで
自分は死んでも、あんな風になりたく無いと。

だが、外国の政治家は中身は日本と同じだが
極端に違うのが、日本の政治家の風格の無さ
その原因が、選挙で土下座しないと
票をもらえないから
心が卑屈になると

私は新米なので、何とも言えないが
確かに、人の顔と票が同じに見えるように
選挙が近づくとなるのでは?
と思う。上記の論で行くと日本の政治家は
何時までたっても
ジャパンオンリ~!
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