30代の頃、それ程大きくないレストランで洗い場のパートタイムをした。
ママさんが、ポットを前にこう話す。
どこか壊れてから、使うほいが長いね。
すぐに、壊れやすいといいたかったのかもしれない。
外仕事をすると腰が痛くなる。
これからもずっと、この体を使うんだよね。
あの時の話題のポットと同じかな。
痛いと思いながら、この先、30年位この体を使うんだよね。
腰が痛む度にポットを思い出す。
面白いな、いつも思い出す。
ポットも頑張っていたんだ。
もう、あのポットは寿命つきたであろうなあ。
右足を引きずっている猫の一日
ミィヤァ、とないて、同室の人間の顔色を見て、
あちらにこちらにと、居を変え、
なんとか、かんとか声を掛けられ、
居心地の良いところでごろん
ちょと居眠り体制
次ぎに顔をうずめてしっかり眠りの体制
今度は、おもいっきり両手、足をのばし天下の体制
かなり、いやかなりおもうぞんぶん解放されている様子
そんなに安心していて大丈夫かしら?
陽はすっかり傾きかけている。
外に出るとあたりをウロウロ
またもや、暖かそうなBOXの上
大あくびをして、眠りの状態に入る
今度生まれ変われても、猫だけは嫌だ
寝てるだけの人生はゴメンだ。
早く、足が治ってくれますように。
20才まであと一年とは10代最後の一年ということである。
あの当時、私は何を考えていただろううか。
早生まれの私にとって、高校を卒業して2年目。
心はもやもやとしていて大きな黒っぽい雲の様。
そう、夏の午後の夕立前のあの雲、積乱雲。
今にも泣き出しそうな感じかな。
四方を山に囲まれた環境から、少し都会の住宅街に
一人移り住み毎日、目の前スケジュールどうりは
行動していたが、「心」ここにあらず
まるで、小椋佳さんの「青春時代」のように
青春時代の真ん中は♪、道に迷っているばかり♪♪
青春時代の真ん中は♪、胸にとげさすことばかり♪♪♪
青春とは「あおい、はる」、親の庇護から離れ、
まさに青い春を過ごしていたなあ。
10代の頃といって今、思い出すのは
高校2年生の時の夏休み、
ブラウン管に映る高校球児の熱い熱戦を
家で一人羨ましく見ていた自分だ。
「自分も、何か熱くなれるものが欲しい」。
今は、少しは手に入れたような気がするが、
「自分も、何か熱くなれるものが欲しい」
綾瀬はるかちゃんと呼びたくなるのは、
私もかつては広島県人であった為か。
会津の地が生まれ故郷と近いせいか。
日曜の夜が待ち遠しい。
あこがれの同志社大学創立者の新島襄のお嫁さんだからかなあ。
広島弁と会津弁ではかなりの違いがあるであろうが、良く覚えられたなあ。
それにしても、はるかさんは、他の出演者と比べ断トツ
生々しい会津弁を喋っておられるような気がする。
武士の娘としての凜とした態度に、好感度、バッチリ!
やはり、脚本も良いのでしょう
戦いの場面では目を伏せながらの鑑賞。
歴史にうとい所は、お隣りの解説を伺いながら。
もうすぐ、桜の開花がやってくる。
3月の初めよりそこかしこに顔を出した蕗のとう
まずは、天ぷらを頂いたのは、地区の集まりのお弁当の
おかずとしてである。
お弁当には開き加減の蕗のとうの天ぷらが入ってあったなあ。
数日後、いよいよ自作の天ぷらに挑戦だ。
小麦粉を水で溶いて、塩をパラパラッと入れ、
サッと揚げる、これで十分美味しい。
この楽しみを2回味わった。
次は、蕗のとう味噌だ。
検索の結果、蕗のとうを刻んで
炒めるレシピを選び賞味した。
昨日は、昨年初めて経験した「茎を食べる」事に挑戦した。
20センチほどに成長した蕗のとうの茎を無造作に折り、
サッと洗い2センチほどに切り、熱湯でサッと茹でる。
熱くなったフライパンに小口切りにしたネギ、
冷めて絞った蕗のとう、酒、塩こしょう、鰹節を順番に入る。
仕上げは、フライパンのふちに醤油を廻し入れ出来上がり。
まるで、野菜炒めのように、豪快に食べた。
今朝、蕗のとうをカラ煎りして作る「蕗のとう味噌」のレシピを見つけた。、
この柚マーマレードを一度、口にした私には、忘れられない味
になりました。
知人よりお土産に頂戴したもので、味は勿論ですが、
柚の食感が絶妙。
7ミリ角ぐらいであると思われる柚の皮に,
ほんのちょっとの噛み応えがあり
ほんのちょっとの塩味の塩梅{ふりがな: あんばい }が絶妙、ナイッス!。
出身は高知県香美市物部町、
製造者、奥ものべじじばばあんぜん会
あまりにの美味しさに、ついお便りをしてしまいました。
奥ものべじじばばあんぜん会の会長さんが、心苦しくも、
お返事と新商品のしおゆずおかず(佃煮)、しおゆずぴーる
物部町のパンフなどを、送って下さいました。感激!感激!
町は山林90%、人口2000人、鹿4000頭とお手紙には書いてありましたが、
「しおゆず」は素敵に美味しい。四角い瓶、蓋についている黄色いラベルがまたいい。
塩を背負った馬と手綱を引いた人がカッコよく印刷されています。
お手紙より一部抜粋させて頂きます。
「高齢者の集まりの小さい私たちの組織ですが、夢と希望は大きく
これからの日本は田舎元気、故郷再生なくして日本の発展はない」
会長さんの意気込みも素敵です。
ほっとな交わりに大感激です。
日本バンザイ! 田舎バンザイ!
1
まずはパソコンのキーボードを打てなくてはと、e-typing,
「インターネットでタイピング練習」をするように言われる。
タイピングの後、カラオケの歌い終わったあとの採点のように、
スコア(レベル、入力時間、ミス入力字数、正解率苦手キー等)が、
画面に写し出される。これがなんともやる気を出させてくれる。
初めの頃は、スコアが50とか、なかなか100代にならず
孤軍奮闘した。記録によると平均100代になったのは、1月末。
目指すは、満点200点、レベルA、ミス入力字数0、
しかし、道は険しい。
3/8スコア・172、ミス入力字数・1、レベル・B、
が今までの最高得点である。
殆ど、毎日欠かさずに、はまってしまうのは、
打ち込む文章の内容である。
腕試しレベルチェックのチャレンジでは、食感ことば、擬音語、
夏のおやつなど、月に2,3回に打ち込むことばが変わる。
タイピングバラエティの項目には、ビジネス、スポーツ、長文、
百人一首などがあり、これらの項目の下にまた、
幾つかに別れた練習ことば(文章)がある。
1時間ぐらいは、十分に楽しめるのである。
先日よりBOOKラックが角に置かれている。
おもむろに座りパラパラとページをめくる。
A4サイズ4ページだが斜めに視線を走らせる。
なるほど成るほど,葬儀屋さんの記事だ。
仙台の葬儀屋さん!
東日本大震災のご遺体の仮埋葬というのをなさったそうで、
それは建設会社の方々が穴を掘って下さり棺を
その穴に入れていく。
それはまあ良いとして、掘り起こしというのもあったそうで、
仮埋葬したご遺体を火葬にする為,
埋めてあった棺を掘り出し、開けて新しい棺に入れる。
棺の中には水や血液、体液などが溜まり外にまで染みている。
700体近くを毎日10体づつ掘り起こす。3ヶ月ほどかかる。
感染症の恐れもあるので防御服を着て、手袋、ゴーグル、マスクをつけ、、、。
重労働で精神的にもきつい。けれども、社員でやり通した、
社訓のどんな仕事でも「ノー」とはいわない、を通すことができ、
これからもどんなことにもトライする。というような内容でした。
私の、内容をかい摘んでの説明で、文章から受ける現場の大変さを
十分にお伝えできてないと思いますが、震災直後のまだ知らなかった様子
を知ることが出来た様に思え、とても良かったと思う。
亡くなられた方の魂に平安を、復旧にあたられた方々に
ねぎらいと感謝の気持ちを送らせて頂きます。
そして、私自身、震災から3年目に入り、被害の凄さを落ち着いて
受け止められる様になった気がする。
つまみ食いの様な読書であるが、イイ感じだ。
この番組のタイトルは、「里山資本主義」国境なき田舎連帯ネットワーク拡大!
と四角ばったものであったが、尾道市向島の草木染めの場合は、
自然な形での広がりに思えた。
一人の草木染めの好きな人が、向島の桃作りの農家に
選定した後の小枝をもらいに行き、
草木染めに必要な鉄粉を向島の産業である製鉄所に貰いに行き、
同地に帆布の織物工場もあり、
手織りと機械織りの作品、商品に結びつき、 今注目を浴びている。
その行き着く先はアパレルのメッカ、パリに結びついていく。
さらには、向島は、戦前綿花の生産地であったそうで、
少しずつ栽培をする人達が増えているそうだ。
草木染めをしているその女性が、初めからいわゆるこの大型プロジェクトを
自分なりに組んで居られたかは、テレビからの内容では見受けられなかった
ように思える。やっていくうちに展開していったのではないか。
私たち一人一人が、小さな種を持っていて、そこから沢山の花を咲かせることが
出来る、と思った時、嬉しさがこみ上げてきた。
岡山県西粟倉村は、旦那様によると有名な所だそうである。
以前、旦那様は、知人の情報により粟倉村を訪ねたことがあり、
二人で、身を乗り出して、テレビを見た。
テレビでは、ラオスの官僚が日本政府を通さずに直接に
粟倉村を訪問するところを映しだしていた。
廃材を利用し割り箸にする機械、山の様子、
有機肥料の加工所なども興味深いものがあった。
ラオスの森林はかなり、伐採されているが豊かな森林に
戻したいみたいであった。
そして、役場のパソコンから直接ラオスの官僚に
接続できるようになっていた。凄い。
西粟倉村の自然も凄い!自然の大好きな私はぐっと惹かれた。
行って見たい西粟倉村!
まだまだ、ガンバレ!西粟倉村!
声援を送らせていただきます。