畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

201系中央線引退

2010-04-04 20:10:00 | 鉄道

 いよいよ~、という感じですね。1979年に初めて201系が中央線に投入されてから30年。後継機のE233系が投入されて、そろそろかも…と覚悟していたのですが
中央線の三鷹-立川間の連続立体工事の都合で、3編成だけ残されていました。しかし、昨年までに201系は僅か1編成となり、それもこの3月25日のダイヤ改正で定期運転から消えてしまったようです。
 最近は本当に201系に乗ることは少なかったのですが、この1月から3度ほど201系に乗車できる機会があり、嬉しく思っていました。しかしそのたびに「これが最後になるかも…」と覚悟もしていました。
 そして…やはり出ました「さよなら中央線201系H4編成」のパンフレット。4月11日から何個かイベント走行が行われ、最後が6月20日。最後は201系は東京都の豊田駅を出発し、長野県の松本駅へがラストラン。(豊田駅まで戻るのは特急電車)パンフレットには無常にも「松本駅までのラストランを終えた中央線201系H4編成はその後、廃車となります。」と書いてある。
 そのうちの1つに応募したが、抽選なので当たるかどうか。私が定期運行で最後に乗ったのが3月8日だった。その写真が上の写真です。これが最後の勇姿となってしまうのか。小さい頃から大好きだった中央線201系。とうとう引退。せめて青梅線で残って欲しかったな。

営団地下鉄丸の内線

2009-08-10 17:27:00 | 鉄道

 この赤に白のラインが入った電車をみてすぐ路線を思い浮かべる人はいますか?私も小さいときに乗った記憶がかすかにある程度なんですが(あまり地下鉄に乗る環境に住んでいなかったもので)、この車体は色鮮やかだったのでよく覚えています。

 この電車は営団地下鉄(現・東京メトロ)の丸の内線に投入されていた300系です。東京都八王子市(大横町)のサイエンスドームという科学館に子どもと遊びに行く予定で行ったのですが、これが駐車場に展示してあってもう興奮状態!子どもと科学館の展示と、プラネタリウム(いやこれが結構面白い。アイマックスシアターのような大画面の映画館って感じ。今度宮沢賢治原作の「銀河鉄道の夜」をこのプラネタリウムで上映するようですが、予告をみるだけでも大画面の超迫力。今度行って見たい。)を見たあと、いざ300系へ。


 土曜・日曜日のみ中に入れるらしいのですが、いや迫力があります。この車両の形式は1953年から製造が始まったらしいです。ここに展示してある車両も1965年に製造されたものと書いてありました。それが、1992年まで活躍したというので、実働およそ30年弱!すごい!ただ、非冷房車両なので夏は蒸し暑かったことでしょう。
 300系の晩年は路線引退後、アルゼンチンのブエノスアイレスに活躍の場所を移したことは一部のファンには有名ですね。今も現役で第一線で活躍しているとのことです。最近の電車は軽量化のためにアルミボディーが普及しており、みな銀色のボディーにカラーラインと味気なくなっている。私は音楽センスも90年代至上主義だが、電車の形式も90年代が好き。特に中央線で活躍した201系。そろそろ中央線の三鷹-立川間の連続立体工事も完成するとのことで、完全引退も間近。丸の内線300系のように引退後の引き取り手もなく、201系は廃車解体とのこと…無念。

関東史跡まわり~其の壱~

2008-07-30 18:57:45 | 鉄道
 「続・旅行に行きたい」で宣言していた「鉢形城」に行ってきました。ついでに深谷城にも行こうと思っていましたが、時間的に断念。今回は、鉢形城を中心に、関東の史跡を日帰りでまわりましたので、その様子をブロクにします。
 まずは、JR高麗川駅。…?史跡じゃないと思った方。その通りです。中世でもなければ史跡でもありません。現在走っている電車の駅です。私義綱は歴史マニアでもありますが、鉄道マニアでもあります。そこで高麗川駅の紹介です。

「高麗川」と書いてなんて読むか知っていますか?正解は…

「Komagawa.st」(こまがわ)でした。地元の人以外でこんなの読める人います?まさに難解地名ですね。さて、この高麗川駅はローカルながら八高線(東京都・八王子駅~群馬県・高崎駅)と川越線(埼玉県・大宮~埼玉県・川越駅~埼玉県・高麗川駅)の2路線が走っている駅です。

駅前は非常にローカルな雰囲気ですが、近年押し寄せる都市開発の波にさらされたのか、駅前のロータリーにわけわからないオブジェがありました。ロータリーはよく整備されていて、歩道もキレイ。近くに高層マンションが建っており、今後の開発が期待されます。

では、八高線を走っている列車を紹介します。写真をみると、2種類の電車があります。でも、左側の新しい電車が川越線で、右側のローカルな感じのディーゼル車が八高線?という単純な説明はできないのです。その理由を八高線の歴史とともに振り返ってみましょう。

 この写真は電化される以前に八高線を走っていた車両のキハ35系気動車です。行き先表示が「東飯能」となっているので、まさに八高線で活躍した気動車です(同写真は「碓氷峠鉄道文化むら」で展示されているキハ35系の写真です)。キハ35系は旧国鉄時代の1961(昭和36)年に初めて登場し、1966(昭和41)年までに258両も作られました。近郊非電化区域の通勤電車として利用されるため、オールロングシートを採用。車内にはトイレもあります。さらに車両の軽量化を目指すため、ドアを戸袋にしまう内包型のドアではなく外吊り式ドアとなっている珍しい車両。しかし、車両の色が赤一色であり、さらに形もいまいちなことから鉄道マニアの間では不人気の車両でありました。さらにキハ35系の不運は、後年になると近郊区間が次々と電化され、活躍の場を失った上、オールロングシートゆえに地方長距離ローカル線に不向きだった。また、非冷房車で後年は八高線でも評判が悪かった。私は何回か八高線でこのキハ35系に乗ったが、いつも103系か201系の電車に乗っていた小学生の頃の私はディーゼル車とこのボディーに強い衝撃を覚えた。(もっとも私は八高線では、ハイカラなデザインで冷房も完備しているキハ38系の方が好きだったが…残念ながら自前の写真がありませんので掲載できず。誰かキハ38系気動車の写真をくださいませ(懇願))
 さて、そんな事情もありようやく1996年八高線は電化されることになります。それではまず下の図をご覧ください。

 八高線は東京近郊区間にしては非常に電化されるのが遅かった区間です。しかも全線の電化は今でも達成されていません。八高線区間では八王子~高麗川までの区間で、しかも現在でも単線です。
 高麗川以北は非電化区間として、現在では110系という最新鋭ディーゼル車が投入されました(2つ上の右側の白と緑の列車)。そして高麗川以南にはこれまた当時の電車としては最新鋭の209系が投入されました(現在でも山手線に投入されている電車です)。こうして、八高線は南北に分断されました。そして、それだけでなく八高線のアイデンティティーを崩すことが起こりました。八高線の川越線への直通運転です。無論先に電化されている川越線に乗り入れることができるのは、八王子~高麗川を走っている209系です。
 したがって、209系は八王子~高麗川~川越を走ることになりました。川越線は、高麗川~川越~大宮を走る路線ですが、1985年に全線が電化して以来、川越~大宮で埼京線との直通運転を行っており、川越線も東西が分断されていました。そして、1996年南北に分断された八高線と乗り入れ。まるで寂しさをなめ合う子犬のように、分断された路線同士がくっついたのです(意味不明)。こうして路線を飛び越えた愛が生まれたのです(さらに意味不明)。
 ただ、この路線名。利用者にすごくわかりずらいと思いませんか?川越線は高麗川~大宮の全線直通電車はない。八高線も八王子~高崎の全線直通電車はない。これで同じ路線を名乗ってよいのか?例えば、1977年に開通した東急電鉄新玉川線(渋谷~二子玉川園)は、新玉川線だけを走る電車なく、全線が東急田園都市線の中央林間~渋谷で運転されていた。ほぼ、新玉川線は田園都市線に飲み込まれていたのである。そこで、利用者の混乱を避けるため2000年に新玉川線という名称は廃止され、田園都市線に吸収された。
 八高線・川越線も名称を変更した方がわかりやすいのではと思う。八高線が「八王子」と「高崎」の頭文字をとった路線であるから、この際、「八王子~川越」を走る路線を「八川線」(はちかわせん)とし、川越線は名称を廃止(「川越~大宮」は埼京線と統一する)。「高麗川~高崎」は「高高線」(こうこうせん)あるいは「崎麗線」(さきれいせん)としたらどうだろうか。
 最近は首都圏の私鉄は、乗り入れが複雑に行われおり、どの電車がどこにいくのかわかりずらくなっている。このような事態をぜひ、名称をそろえたり、わかりやす表示するなどして、超高齢化社会になるのに備えて解消して欲しいと思う。

関東史跡まわり~其の弐~は菅谷館をお送りします。

のと鉄道・能登線

2006-01-03 22:24:24 | 鉄道
2005年4月1日に廃線となったのと鉄道・能登線。
昨年の12月の地元住民アンケートによると、今でも9割の人が鉄道の復活を望んでいるという。なんとかして鉄道を復活できないものか…。
 それにしても、能登の鉄道をこんなにも愛した人がいたんなんて思いませんでした。
http://homepage3.nifty.com/restart-net/
司法書士の方のページですが、能登の鉄道に関するコンテンツをみると熱い想いが込み上げてくる。このコンテンツにある地元住民が主体の第4セクター会社「あすなろ鉄道」提言をみると本当に面白いものである。のと鉄道はしのごの言わずになんでこの“鉄道会社”に任せてくれなかったのだろうか。北陸新幹線ができると並行在来線である北陸本線も第3セクター化されるそうだ。そうなると現在のJR七尾線もどうなるかわからない…。能登の未来はどうなるのであろうか…。

のと鉄道・能登線

2005-12-17 22:17:21 | 鉄道
のと鉄道・能登線(穴水-蛸島間約60km)は2005年3月31日をもって廃線となった。理由は穴水-輪島間廃線後も経営が上向かず、来年度には債務超過に陥る状況となり、さらには県市町村もこれ以上の財政支援ができないというものである。
しかし、地元の石川県の新聞を取っている人以外にはしられないかもしれないが、この能登線存続を目指す動きが3月まで存在した。地元の有志が「あすなろ鉄道」を立ち上げ、のと鉄道からの経営譲渡を目指した。また、トラベルプランニングオフィス(以下ト社略)という東京の旅行会社が経営譲渡を申し出た。しかし、のと鉄道と石川県側は安全性の問題と廃線は「県の方針」であるということを楯に結局譲渡を拒んだ。存続に一縷の望みがあるのならト社に譲渡をすればいいのに…。このト社と言う会社は昨年は高千穂鉄道の経営譲渡を申し出ており、地方鉄道の存続に力を注いでいる会社である。京福電鉄なんてすごくいい加減な運転をしていたのだから、1回ト社に任せて見ればいいのに…。のと鉄道という第3セクター会社。なんか信用できなくなってきた…。鉄道維持のための3セク化だったはずなのにあっさりとし過ぎている…。