金正恩政権が朝鮮労働党新聞に「大将」「最高司令官」と呼称され、徐々に全権を掌握したかに見える北朝鮮。しかし、ずいぶん不安材料がある。それを論じることで北朝鮮崩壊へのシナリオを考えてみたい。
1.金正恩政権初期(2012年6月まで)
政権発足後半年間は大きな不安はなさそう。金正恩も政治の表舞台に登場して3年しか経っていないので、新しい政策を打ち出すことはできないだろう。金総書記義弟の張成沢国防委員会副委員長を後ろ盾に、金正日体制を引き継ぐことで当面の安定は確保される。
唯一の不安材料とすれば、金正日の葬儀。金正恩が葬儀委員長とされているが、金正日の長男・金正男、次男・金正哲が参加するかどうかが分かれ目。参加できなければ、それほど金正恩の体制が固まっていて、割り込むすきがないということ。参加することがあれば、金正恩に不満を持つ勢力がどちらかに近づいて不穏な動きをする可能性もある。特に張成沢の政敵がいるとすれば、長男である金正男に近づく可能性は高い。金正男は金正恩と母親が違うので、近づきやす人物ではある。
2.金正恩政権前期(2012年6月~2013年1月)
金正恩政権が一番不穏当になるのがこのあたりではないだろうか。半年経てば正恩も政治のある程度がわかると思う。一方、後見人の張成沢が実権を掌握して対立する危険性もある。金正恩の自我が悪い方にでて、周囲の反感を買い体制が崩壊するというのが一番高い崩壊過程。その場合、張成沢が金正恩に味方するか、敵対するかで大きく違う。もし敵対したら、崩壊のスピードは一気に早くなる。張成沢がクーデターを起こして金正恩を追放したり暗殺して全権を掌握しても不穏な空気は収まらない。金ファミリーに抑えられていた北朝鮮国民が、「アラブの春」のように政権に抵抗を始める可能性も否定しきれない。
しかし、金正日の一周忌を迎えるまで金正恩政権が無難にいけば、そう簡単にクーデターは起きないかもしれない。そのためには、祖父・金日成が着いた国家主席も、父・金正日が着いた国防委員長も永久欠番として、国民や軍などを祖父・父の威光を借りて治めるのが手っ取り早い。
3.金正恩政権序盤(2013年2月以降)
金正日死去から1年経つと、序盤の大きな体制危機は去る。その代り、金正恩体制が具体的な成果を上げ、国を豊かにしていかないと確実に北朝鮮国民の感情が離れ、いつしか大きい「アラブの春」が起こる可能性がある。金正恩が国政を大胆に変えるには、祖父・父の政策を否定する必要がある。そのためにはやはり肩書がものを言う。つまり、金正恩が「国家主席」になり、祖父と同等になり、父を超える存在になる必要が生じる。
ただ、その大胆な改革も具体的成果を上げるには相当の時間がかかる。中国も1970年代後半に改革解放を初めて効果が出てきたのは2000年代。経済開放の効果が出るには20年以上かかる。北朝鮮の国民の状態は相当な窮状であるので、20年間の解放に耐えれるか疑問がある。その大胆な解放に異を唱えるものがでて、北朝鮮そのものが旧ソ連のように崩壊する可能性もある。
結論を言うと、北朝鮮にあまり明るい未来はない。このままの軍事優先主義を貫き通し、クーデーターが起こるのを待つか。地道に経済開放を行い長い年月をかけて経済力を高めていきが、その間の反体制派の攻撃をかわし続けることができるか…。どちらにしても北朝鮮の将来は難しいかじ取りである。
2011年12月19日。北朝鮮の支配者である金体日の死去が発表された。1994年に同氏の父金日成が死去して、実質的に後継者となってから17年の金正日体制の政治的不備を論じてみたい。
金正日体制の疑問は金日成が死去した頃からあった。94年に父が死去してから、3年間の喪に服する時を経て、公式に朝鮮労働党の総書記となり実質的に国家元首となったのが97年。翌98年には国家の国防委員長に就任し、そのポストを国家の最高ポストに位置付け、「国家主席の地位は永遠に金日成」とした。
なぜ、3年もの空白期間があったのか。なぜ国家最高地位に着かなかったのか。3年間の権力の空白というのは普通の国家であれば由々しき事態である。その空白期間は、金正日が後継者としての地位を固めるために、政敵を排除していたための期間だったとも言われる。確かにそれも正解のひとつかもしれない。私はもうひとつの見方をしたい。それは「金正日は自信がなかった」という説だ。
今回、金正日死去で多くの北朝鮮国民が泣いている。しかし本当の悲しみなんだろうか。テレビのアナウンサーも涙はなかったような気がする。嘘泣きかもしれない。報道で「泣く振りをしないと連行される」「表向きは悲しんでいるが、裏では日常の生活を送っている」とも言われている。
ではなぜ嘘泣きをするか。それは悲しんでいる振りをしないと反体制派と見られるから。悲しんでいるほど体制派としての忠誠心を証明することになる。だから、北朝鮮国民も「いつまで悲しんでいればいいのか…」と時期を伺っていることだろう(これは日本における東日本大震災の自粛ムードをいつ終えるか、という雰囲気にも似ている)。これは金日成の死去の時にもあてはまる。金正日は金日成が死去したとき、国で一番の金日成への忠誠心を見せるために3年間も喪に服したのかもしれない(北朝鮮国民自体も金日成死去の時には本当に泣いていたとも言われる)。そしてその忠誠心を自分に向ける作戦を練った。
金日成を永遠の国家主席とし、自分はその地位より低い国防委員長になり、それを実質的な国家元首とした。つまり金日成を死去後も変わらず精神的な主柱と位置付けることにより、その威光を借りて金正日は国家元首になったと言える。この作戦は前権力者を崇拝し続けることで、新たな権力を崇拝する抵抗感が比較的少なくなるという効果があり、スムーズに権力移行を進めることができる利点がある。それを金正日は利用したのだろう。
しかし、これには大きな死角がある。前権力者を主柱に据えると、どうやっても金正日は金日成の地位を越えられなくなる。権力移行直後は金日成の威光も通用するが、国民が金日成を知らない世代に交代すると権威も衰えてくる。だから、金正日は国家主席になり金日成と同等の存在になる必要があった。それをしなかったために17年間の間に権威が衰えてしまった。金正日にしっかりとした自信がなかったために引き起こされた体制の不備だ。
日本史に例えると、権力移行の前に死去してしまった例として鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝や、権力を移譲するには後継者が幼すぎた豊臣秀吉政権があげられる。どちらもその政権を中心となる人物が個人的な力で支えていたため、次世代の権力者が継承する準備を整えられず、周囲の実力者に乗っ取られてしまう結果とになった。反対にそれと違う権力継承が徳川家康-秀忠である。家康は征夷大将軍就任からわずか数年で将軍職を秀頼に継承した。相変わらず家康が大御所として権力を握っていたが、最高権力者として周囲が秀忠を見ていたため、比較的スムーズに権力移行が行われた。例はちょっと違うが、足利義満-義持も義持を早々に将軍に就任させたため(義満にとっては義持に継がせるつもりはなかったのではあるが)、突如義満が死去しても、幕府体制に揺らぎはなかった。このように突然権力者が死去しても、準備があるとないとではずいぶんと違う気がする。無論、どれほど準備したとしても、後継者が無能では話にならないが…。
そして問題は、金正日の後継者である金正恩に続く。金正恩はどのように権力を継承するのだろうか。父と同じくらいの年月を喪に服したり、国防委員長より下の地位に着くとしたら、「金日成を精神主柱とする、金正日体制を精神主柱とする金正恩体制」となる。ますます権力の精神的主柱の存在は遠くなり権威が後退する。すると北朝鮮社会はますます混乱する。少なくとも金正恩は、金正日と同等の国防委員長に就任すべきで、さらに上を行くならば、金日成と同等の国家主席となったらなかなかの政治手腕をもっていると言える。
カリスマなき独裁ほど厳しい政治はない。金正恩がどのくらいで喪からあけるか。国家体制の中でどんな地位に着くのか注目したい!
金正日体制の疑問は金日成が死去した頃からあった。94年に父が死去してから、3年間の喪に服する時を経て、公式に朝鮮労働党の総書記となり実質的に国家元首となったのが97年。翌98年には国家の国防委員長に就任し、そのポストを国家の最高ポストに位置付け、「国家主席の地位は永遠に金日成」とした。
なぜ、3年もの空白期間があったのか。なぜ国家最高地位に着かなかったのか。3年間の権力の空白というのは普通の国家であれば由々しき事態である。その空白期間は、金正日が後継者としての地位を固めるために、政敵を排除していたための期間だったとも言われる。確かにそれも正解のひとつかもしれない。私はもうひとつの見方をしたい。それは「金正日は自信がなかった」という説だ。
今回、金正日死去で多くの北朝鮮国民が泣いている。しかし本当の悲しみなんだろうか。テレビのアナウンサーも涙はなかったような気がする。嘘泣きかもしれない。報道で「泣く振りをしないと連行される」「表向きは悲しんでいるが、裏では日常の生活を送っている」とも言われている。
ではなぜ嘘泣きをするか。それは悲しんでいる振りをしないと反体制派と見られるから。悲しんでいるほど体制派としての忠誠心を証明することになる。だから、北朝鮮国民も「いつまで悲しんでいればいいのか…」と時期を伺っていることだろう(これは日本における東日本大震災の自粛ムードをいつ終えるか、という雰囲気にも似ている)。これは金日成の死去の時にもあてはまる。金正日は金日成が死去したとき、国で一番の金日成への忠誠心を見せるために3年間も喪に服したのかもしれない(北朝鮮国民自体も金日成死去の時には本当に泣いていたとも言われる)。そしてその忠誠心を自分に向ける作戦を練った。
金日成を永遠の国家主席とし、自分はその地位より低い国防委員長になり、それを実質的な国家元首とした。つまり金日成を死去後も変わらず精神的な主柱と位置付けることにより、その威光を借りて金正日は国家元首になったと言える。この作戦は前権力者を崇拝し続けることで、新たな権力を崇拝する抵抗感が比較的少なくなるという効果があり、スムーズに権力移行を進めることができる利点がある。それを金正日は利用したのだろう。
しかし、これには大きな死角がある。前権力者を主柱に据えると、どうやっても金正日は金日成の地位を越えられなくなる。権力移行直後は金日成の威光も通用するが、国民が金日成を知らない世代に交代すると権威も衰えてくる。だから、金正日は国家主席になり金日成と同等の存在になる必要があった。それをしなかったために17年間の間に権威が衰えてしまった。金正日にしっかりとした自信がなかったために引き起こされた体制の不備だ。
日本史に例えると、権力移行の前に死去してしまった例として鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝や、権力を移譲するには後継者が幼すぎた豊臣秀吉政権があげられる。どちらもその政権を中心となる人物が個人的な力で支えていたため、次世代の権力者が継承する準備を整えられず、周囲の実力者に乗っ取られてしまう結果とになった。反対にそれと違う権力継承が徳川家康-秀忠である。家康は征夷大将軍就任からわずか数年で将軍職を秀頼に継承した。相変わらず家康が大御所として権力を握っていたが、最高権力者として周囲が秀忠を見ていたため、比較的スムーズに権力移行が行われた。例はちょっと違うが、足利義満-義持も義持を早々に将軍に就任させたため(義満にとっては義持に継がせるつもりはなかったのではあるが)、突如義満が死去しても、幕府体制に揺らぎはなかった。このように突然権力者が死去しても、準備があるとないとではずいぶんと違う気がする。無論、どれほど準備したとしても、後継者が無能では話にならないが…。
そして問題は、金正日の後継者である金正恩に続く。金正恩はどのように権力を継承するのだろうか。父と同じくらいの年月を喪に服したり、国防委員長より下の地位に着くとしたら、「金日成を精神主柱とする、金正日体制を精神主柱とする金正恩体制」となる。ますます権力の精神的主柱の存在は遠くなり権威が後退する。すると北朝鮮社会はますます混乱する。少なくとも金正恩は、金正日と同等の国防委員長に就任すべきで、さらに上を行くならば、金日成と同等の国家主席となったらなかなかの政治手腕をもっていると言える。
カリスマなき独裁ほど厳しい政治はない。金正恩がどのくらいで喪からあけるか。国家体制の中でどんな地位に着くのか注目したい!
高速道路会社から、こんな案内が届きました。
被災地支援・観光振興の無料措置
■実施期間
平成23年12月1日〜平成24年3月31日
■無料措置となる通行料金
被災地支援により、全車種について下記の無料区間分の通行料金が
毎日無料となります。(ETC車、ETC車以外ともに対象)
≪被災地支援による無料区間≫
・東北道(白河〜安代)
・常磐道(水戸〜広野、山元〜亘理)
・磐越道(いわきJCT〜西会津)
・山形道(村田JCT〜笹谷)
・秋田道(北上JCT〜湯田)
・仙台南部道路、仙台東部道路、仙台北部道路、
三陸道(仙塩道路、仙台松島道路)、釜石道、八戸道、百石道路の全区間
●観光振興により、[軽自動車等(二輪車含む)][普通車]のETC車について、
休日等※のみ下記の無料区間が追加されます。
※休日等とは、土日祝日、平成24年1月2日・3日、3月19日を指します。
≪観光振興により追加する無料区間≫
・磐越道(西会津〜新潟中央)
・日本海東北道(新潟中央JCT〜荒川胎内、岩城〜河辺JCT)
・山形道(笹谷〜月山、湯殿山〜酒田みなと)
・秋田道(湯田〜秋田北、昭和男鹿半島〜琴丘森岳)
・東北道(安代〜青森)
・米沢南陽道路、東北中央道、秋田外環状道路、琴丘能代道路、
湯沢横手道路、青森道の全区間
被災地支援のための高速道路無料。うむむ。また旅行に行きたくなってきた。どうしよ。今度は秋田とか山形でも行きたいなあ…。でも1泊2日じゃあ遠いんだよね…。
被災地支援・観光振興の無料措置
■実施期間
平成23年12月1日〜平成24年3月31日
■無料措置となる通行料金
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毎日無料となります。(ETC車、ETC車以外ともに対象)
≪被災地支援による無料区間≫
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・山形道(村田JCT〜笹谷)
・秋田道(北上JCT〜湯田)
・仙台南部道路、仙台東部道路、仙台北部道路、
三陸道(仙塩道路、仙台松島道路)、釜石道、八戸道、百石道路の全区間
●観光振興により、[軽自動車等(二輪車含む)][普通車]のETC車について、
休日等※のみ下記の無料区間が追加されます。
※休日等とは、土日祝日、平成24年1月2日・3日、3月19日を指します。
≪観光振興により追加する無料区間≫
・磐越道(西会津〜新潟中央)
・日本海東北道(新潟中央JCT〜荒川胎内、岩城〜河辺JCT)
・山形道(笹谷〜月山、湯殿山〜酒田みなと)
・秋田道(湯田〜秋田北、昭和男鹿半島〜琴丘森岳)
・東北道(安代〜青森)
・米沢南陽道路、東北中央道、秋田外環状道路、琴丘能代道路、
湯沢横手道路、青森道の全区間
被災地支援のための高速道路無料。うむむ。また旅行に行きたくなってきた。どうしよ。今度は秋田とか山形でも行きたいなあ…。でも1泊2日じゃあ遠いんだよね…。
「伊国債利回り7.3%に上昇」
自力で資金調達が困難になるとの7%超え。ギリシアよりも危険になってきた。ギリシアは国際支援を受け入れたし…。イタリア規模で国家財政が組めなくなる国債の調達が不可能になると、その支援は相当なレベルになる。だからこそ
「今週行われたドイツの10年物国債入札では、応札額が募集額を下回る“札割れ”」
が起こった。イタリアを支援することになったら、フランス経済もドイツ経済もただでは済まない。危険な市場からはすぐに撤退する「ファンド系」の投資家がたちが一目散に逃げ出すリーマンショックのような危機。
アメリカの低所得者の経済危機である「リーマンショック」ですら、第2次世界恐慌を引き起こしそうになったのに、イタリア国債の危機ならば、さらに大きなショックを与えるかも。
自力で資金調達が困難になるとの7%超え。ギリシアよりも危険になってきた。ギリシアは国際支援を受け入れたし…。イタリア規模で国家財政が組めなくなる国債の調達が不可能になると、その支援は相当なレベルになる。だからこそ
「今週行われたドイツの10年物国債入札では、応札額が募集額を下回る“札割れ”」
が起こった。イタリアを支援することになったら、フランス経済もドイツ経済もただでは済まない。危険な市場からはすぐに撤退する「ファンド系」の投資家がたちが一目散に逃げ出すリーマンショックのような危機。
アメリカの低所得者の経済危機である「リーマンショック」ですら、第2次世界恐慌を引き起こしそうになったのに、イタリア国債の危機ならば、さらに大きなショックを与えるかも。
最近のファミレスってホントにホールスタッフが少なく感じる。
ホールスタッフのアルバイトが少なければ少ないほど、人件費が削れる。
その分、ホールスタッフが忙しく働いている。時給もそんなに高くないのに相当忙しそう。
まあ、ごはん時以外はそれほどでもないのかもしれないけど。
ホールスタッフが忙しくなった結果、デザートを頼んでも食事が終わったのを見計らって出す、という美徳は失われた。
外食産業のバイトは疲れるうえ、時給が安くてやだなあ…。
ホールスタッフのアルバイトが少なければ少ないほど、人件費が削れる。
その分、ホールスタッフが忙しく働いている。時給もそんなに高くないのに相当忙しそう。
まあ、ごはん時以外はそれほどでもないのかもしれないけど。
ホールスタッフが忙しくなった結果、デザートを頼んでも食事が終わったのを見計らって出す、という美徳は失われた。
外食産業のバイトは疲れるうえ、時給が安くてやだなあ…。