畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

関東史跡まわり~其の壱~

2008-07-30 18:57:45 | 鉄道
 「続・旅行に行きたい」で宣言していた「鉢形城」に行ってきました。ついでに深谷城にも行こうと思っていましたが、時間的に断念。今回は、鉢形城を中心に、関東の史跡を日帰りでまわりましたので、その様子をブロクにします。
 まずは、JR高麗川駅。…?史跡じゃないと思った方。その通りです。中世でもなければ史跡でもありません。現在走っている電車の駅です。私義綱は歴史マニアでもありますが、鉄道マニアでもあります。そこで高麗川駅の紹介です。

「高麗川」と書いてなんて読むか知っていますか?正解は…

「Komagawa.st」(こまがわ)でした。地元の人以外でこんなの読める人います?まさに難解地名ですね。さて、この高麗川駅はローカルながら八高線(東京都・八王子駅~群馬県・高崎駅)と川越線(埼玉県・大宮~埼玉県・川越駅~埼玉県・高麗川駅)の2路線が走っている駅です。

駅前は非常にローカルな雰囲気ですが、近年押し寄せる都市開発の波にさらされたのか、駅前のロータリーにわけわからないオブジェがありました。ロータリーはよく整備されていて、歩道もキレイ。近くに高層マンションが建っており、今後の開発が期待されます。

では、八高線を走っている列車を紹介します。写真をみると、2種類の電車があります。でも、左側の新しい電車が川越線で、右側のローカルな感じのディーゼル車が八高線?という単純な説明はできないのです。その理由を八高線の歴史とともに振り返ってみましょう。

 この写真は電化される以前に八高線を走っていた車両のキハ35系気動車です。行き先表示が「東飯能」となっているので、まさに八高線で活躍した気動車です(同写真は「碓氷峠鉄道文化むら」で展示されているキハ35系の写真です)。キハ35系は旧国鉄時代の1961(昭和36)年に初めて登場し、1966(昭和41)年までに258両も作られました。近郊非電化区域の通勤電車として利用されるため、オールロングシートを採用。車内にはトイレもあります。さらに車両の軽量化を目指すため、ドアを戸袋にしまう内包型のドアではなく外吊り式ドアとなっている珍しい車両。しかし、車両の色が赤一色であり、さらに形もいまいちなことから鉄道マニアの間では不人気の車両でありました。さらにキハ35系の不運は、後年になると近郊区間が次々と電化され、活躍の場を失った上、オールロングシートゆえに地方長距離ローカル線に不向きだった。また、非冷房車で後年は八高線でも評判が悪かった。私は何回か八高線でこのキハ35系に乗ったが、いつも103系か201系の電車に乗っていた小学生の頃の私はディーゼル車とこのボディーに強い衝撃を覚えた。(もっとも私は八高線では、ハイカラなデザインで冷房も完備しているキハ38系の方が好きだったが…残念ながら自前の写真がありませんので掲載できず。誰かキハ38系気動車の写真をくださいませ(懇願))
 さて、そんな事情もありようやく1996年八高線は電化されることになります。それではまず下の図をご覧ください。

 八高線は東京近郊区間にしては非常に電化されるのが遅かった区間です。しかも全線の電化は今でも達成されていません。八高線区間では八王子~高麗川までの区間で、しかも現在でも単線です。
 高麗川以北は非電化区間として、現在では110系という最新鋭ディーゼル車が投入されました(2つ上の右側の白と緑の列車)。そして高麗川以南にはこれまた当時の電車としては最新鋭の209系が投入されました(現在でも山手線に投入されている電車です)。こうして、八高線は南北に分断されました。そして、それだけでなく八高線のアイデンティティーを崩すことが起こりました。八高線の川越線への直通運転です。無論先に電化されている川越線に乗り入れることができるのは、八王子~高麗川を走っている209系です。
 したがって、209系は八王子~高麗川~川越を走ることになりました。川越線は、高麗川~川越~大宮を走る路線ですが、1985年に全線が電化して以来、川越~大宮で埼京線との直通運転を行っており、川越線も東西が分断されていました。そして、1996年南北に分断された八高線と乗り入れ。まるで寂しさをなめ合う子犬のように、分断された路線同士がくっついたのです(意味不明)。こうして路線を飛び越えた愛が生まれたのです(さらに意味不明)。
 ただ、この路線名。利用者にすごくわかりずらいと思いませんか?川越線は高麗川~大宮の全線直通電車はない。八高線も八王子~高崎の全線直通電車はない。これで同じ路線を名乗ってよいのか?例えば、1977年に開通した東急電鉄新玉川線(渋谷~二子玉川園)は、新玉川線だけを走る電車なく、全線が東急田園都市線の中央林間~渋谷で運転されていた。ほぼ、新玉川線は田園都市線に飲み込まれていたのである。そこで、利用者の混乱を避けるため2000年に新玉川線という名称は廃止され、田園都市線に吸収された。
 八高線・川越線も名称を変更した方がわかりやすいのではと思う。八高線が「八王子」と「高崎」の頭文字をとった路線であるから、この際、「八王子~川越」を走る路線を「八川線」(はちかわせん)とし、川越線は名称を廃止(「川越~大宮」は埼京線と統一する)。「高麗川~高崎」は「高高線」(こうこうせん)あるいは「崎麗線」(さきれいせん)としたらどうだろうか。
 最近は首都圏の私鉄は、乗り入れが複雑に行われおり、どの電車がどこにいくのかわかりずらくなっている。このような事態をぜひ、名称をそろえたり、わかりやす表示するなどして、超高齢化社会になるのに備えて解消して欲しいと思う。

関東史跡まわり~其の弐~は菅谷館をお送りします。