畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

井伊谷城訪城記

2017-08-21 16:20:00 | 歴史

 今回は、2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台でもある浜松市引佐町にある「井伊谷城」(いいのやじょう)とその周辺を11年ぶりに訪問しましたので、その様子を紹介します。


 大河ドラマの舞台になると、近くの公民館が大河ドラマを紹介する施設になります。2017年は浜松市引佐町にある「みをつくし文化センター(細江協働センター)」が「おんな城主直虎 大河ドラマ館」になっていました。


 2016年の大河ドラマは「真田幸村」でした。昨年もその大河ドラマ館に行きましたが、大河ドラマ館というのは展示内容はそれほど変わらないものだと実感しました。写真は井伊家の初代が捨てられていた井戸で大河ドラマでよくみかけるシーンなのですが、このようなドラマの一場面になっている所だけ写真が可能なのも、昨年と同様。あとはストーリーの紹介。キャストの衣装やスタジオセットの作り方などが展示されています。どちらかというと、歴史的内容に迫るものはありません。



 ちょっと嬉しかったのは、エントランスが井伊氏館の入口のようなセットになっていることでしょうか。

 大河ドラマ館周辺はやけに整備されているのですが、「気賀の関所」が大河ドラマ館に隣接しており、元々歴史的観光地として整備されていました。


 せっかく来ても大河ドラマ館だけではもったいないので、史実に触れましょう。まずは井伊家の菩提寺の龍潭寺に行きます。その前に、寺から歩いて5分程の所にある井伊家初代が捨てられ拾われた井戸に行きます。大河ドラマ館で表現されていた井戸です。

「伝・井伊共保出生の井戸」ですが、大河ドラマと全然違います。それはそうで、江戸時代に井伊家は幕府に認められ、彦根藩主になります。その彦根藩がこの井戸をいつも整備をしていたようなので、このような江戸時代的な井戸になっているようです。


 至るところに井伊直虎の宣伝看板がありますが、大河ドラマも2017年11月までだし、大河ドラマ館も2018年1月まで。その後はどうなるでしょうか…。



 こちらは、ドラマで直虎役の柴咲コウさんが何度も出たり入ったりした龍潭寺の山門(入口)です。

 龍潭寺は733(天平5)年に始まると伝えられる古くからあるお寺です。立地的に井伊谷城の南にあり、大河ドラマでも度々登場するように、実際は砦のような役割を持っていたようです。建物は大きいです。江戸時代に建立されたもののようで、室町の面影はありません。

 龍潭寺の庭ですが、なんとなく浜名湖に似ている気がします。実際お寺でもそう呼ばれてるようですが、元々は違うようです。



 龍潭寺にある井伊氏歴代の墓です。初代共保から直虎の22代の父・直盛、23代の直親、そして女城主と言われる直虎の墓もあります。24代直政の墓もありました。
 またこの隣に井伊の与力となっていた菅沼・鈴木・近藤の墓もあります。井伊家の家老だった小野家もあますが、史実の資料としては小野家は井伊に反逆したとあり、小野政次の弟の小野玄蕃の墓はあっても政次の墓はありません。徳川に処刑された地の近くに地域住民が立てた供養塔があるようです。
 大河ドラマでは小野政次は良いイメージで描かれています。史実に資料では反逆者として散々な記述が書かれています。どちらが正しいかというのは実際のところわかりません。書かれていることが嘘か真実かわからないからです。確かなことは、「歴史上、井伊家にとって小野家は反逆者」という位置づけであるということだけです。



 きっと大河ドラマを見ている人は、次に井伊谷城に行くことでしょう。井伊谷城に行く前に、ぜひ史実の井伊氏を知ってほしい。ということで紹介するのは「浜松市地域遺産センター」2017年1月17日にオープンしたもので建物も新しいです。夏休みとは言え平日に行ったので、ほとんど人がいませんでしたが、ここはお勧めです。


 2018年1月14日まで企画展「戦国の井伊谷」というものをやっています。私的にはここがメガヒットでした。2006年に井伊谷城を訪れた時には資料館もないので、全体像がつかめませんでしたが、この企画展で史実に井伊氏とその生活空間がよくわかりました。

 写真は戦国の井伊谷模型です。大河ドラマでは井伊谷城の撮影に「高根城」(詳しくは義綱他国訪城館記「高根城」参照)が使われていますが、高根城はとても小さな城。井伊谷城ってそんなだったの?と思っていたのですが、どうやら本当にそうだったようです。
 模型を見ると写真左にあるのが山城の「井伊谷城」ですが、ほぼキレイな方形の質素な館程度のもので、麓にまあまあな規模の居館があります。これはまさに典型的な室町時代の国人の城と居館です。これを称してこの企画展では「井伊谷城は古い時代の方形居館的な特徴を残したまま、廃城となったとみられます。」とあり、納得。
 このような事実を元に井伊谷城に登ると、いっそう楽しめること請け合い。きっと企画展終了後も、この施設に井伊谷城の模型は残ると思うので、ぜひ井伊谷城登城の前に寄ることをお勧めします。


 では、ここに車を置いて(地図にあるように駐車OKです)、引佐図書館を横目に、井伊谷城を目指します。道筋は上記地図の通りです。駐車場から入口まで徒歩10分程です。



 11年前にはなかった大きな案内看板。そして綺麗な舗装された道。大河ドラマの舞台になるとこんなに整備されるのですね。

 綺麗に舗装されたとは言え、前と同じ道なのでかなりの急角度です。手すりがついたことがプラスですが、本丸まで徒歩15分。ちょっとキツいです。

 本丸到着です。本丸からは引佐の町が一望できます。井伊氏もここから領国を見渡したことでしょう。本丸の看板によると、本丸には土塁がわずかに残っていますが、そんなに広くはありません。ここを平時に居館として利用したとは考えにくく、やはり緊急時の避難用の城で、平時には麓の居館にいたのであろうと思います。となると、ここには倉庫などの単純な設備施設と、塀や物見櫓などの防御施設くらいしかなかったのだろうと思います。まさに高根城と同じです。う~むNHKの考証恐るべし。
 
 山頂には看板と直虎の顔はめパネルがあります(2017年8月現在)。11年前の2006年の8月の写真が下の様子です。

 看板も字だけのもの。顔はめパネルもないし、案内板も丁寧なものはありませんでした。大河ドラマも力を感じます。



 井伊谷城を降りて5分ほど歩いたところにある「井殿の塚」。24代直政の祖父・直満が家老の小野政直の讒言により今川家に対する謀反の疑いで駿府で打たれました。井伊氏歴代の墓に与するわけにも行かないので、供養塔として少し離れたところに立てられた塚です。


 井伊谷城から南東に推定される井伊氏館。第4区公民館の前に館の看板が立っていました。ここから井伊谷城を眺めるとこんな距離感です。

 はっきり山が見えますね。この居館と城の間に「井殿の塚」があります。

 公民館には「井伊家屋敷想像図」がありました。こういうのを見逃すと後で残念な気持ちになります。ちょっと足を伸ばして来てよかった。ちなみにこのあたりは宅地化されており、公民館や井殿の塚を見て回るには、地域遺産センターに駐車したまま歩いてくるのが良いかと思います。


 地域住民の町おこしのために作られた「井伊直虎像」結構な力作です。公民館に張り紙で宣伝してありましたが、詳細な位置が書かれていないので、見逃しがちです。さて大河ドラマが終わるとこの熱も冷めてしまわないか心配です。