2022(令和4)年10月1日に、「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」が開館した。その博物館にどうしても訪問したくて2023(令和5)年8月に訪問してきた。2008(平成20)年の訪問記と合体させて、2023年Verとして訪問記を記す。
2008(平成20)年には歴史友達の武藤様とご一緒して訪問。2023(令和5)年は我が正室と訪問。
一乗谷朝倉氏遺跡は1967(昭和42)年から発掘調査が行われた。1971(昭和46)年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定された。
上記写真には、新しい博物館である「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」(左)と、旧「一乗谷朝倉氏遺跡資料館」(右)がある。現在の旧資料館は、博物館の分館として「公開書庫・収蔵展示」や講堂などがある。
上記写真は2008(平成20)年当時の「一乗谷朝倉氏遺跡資料館」である。当時は入館料が100円だったが、現在の「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」の入館料は700円である。しかし値段にあった展示がある。
まず1つ目が、この「遺構展示室」である。博物館の建設に伴う事前発掘調査で見つかった石敷遺構をそのまま展示している。この博物館は一乗谷町の玄関である下城戸の外にある。このような屋内の露出展示(発掘された遺構をそのまま展示)は平城京の遺構資料館で見られるものと同じである。
2つ目は、充実した基本展示である。
写真は城下町のジオラマである。実物の1/30で作られており、低い所から写真を撮れば下の写真のように、当時の目線を感じ取れる。さらに手前のモニターではストリートビューのように360°視点で見られる資料もあり、ジオラマをふんだんに活用した展示が面白い。その他にも遺跡の出土品や、古文書資料などの展示もあり、朝倉氏と一乗谷の歴史を詳しく感じられる。古文書などだけの文書史料でも貴重なのに、これほど豊かな遺構や遺跡が出てくる中世遺跡はない。それゆえ、中世史跡でも最先端の発掘調査史跡と言える。
3つ目は、充実した義景館の部分再現である。
屋内に館の全てを再現するのは不可能であるので、部分再現になっている。安土城も部分復元されていて資料館に展示されているが、それと似たような展示の仕方である。
上記写真は義景館の内の中庭にあった花壇の再現である。
上記写真は義景館の会所である。この会所から花壇が見える設計になっている。ここには15代将軍になった足利義昭も訪れて、花壇を愛でていたのであろう。
写真中央が花壇。左側の建物が会所。そして屋内通路で続く場所が主殿である。
池庭は小座敷と泉殿に隣接している。会所で会う前に待たせる人を案内した場所だろうか。
これが義景館の全景模型である。義景館については別稿で述べるが、平面展示の館跡をこのように復元展示で見られることは実に中世の想像を豊かにしてくれる良い資料である。
そして4つ目が充実した企画展と刊行物である。
私が訪れた2023(令和5)年8月は「開館1周年記念 朝倉義景没後450年記念特別展 朝倉義景の一生~列島を俯瞰する外交戦略~」という企画展を行っていた。
企画展を行うと、その展示内容の図録をちゃんと刊行物として販売する。そして旧「一乗谷朝倉氏遺跡資料館」時代から合わせると上記の図録が並ぶ。参考にしたい図録が山ほど存在する。企画展の図録は残部があれば過去の分も販売されるが、すでにこの中の1/3は非売品になっていた。私は15年振りの再訪となったが、再び訪れて欲しい図録を買えてよかった。
この日は博物館に着いたのが丁度12時だったので、博物館のレストランで昼食。これがまた戦国っぽい豪華なメニューでした。
このようにお品書きまであると、まるで朝倉氏に歓待された客人のように思えます。ぜひ一度レストランにも立ち寄ってみて!
一乗谷朝倉氏遺跡博物館の最寄り駅は「JR九頭竜線」の一乗谷駅です。博物館開館にあたってリニューアルされ駅の柵や待合室もキレイになっていました。
ただし、電車の本数が1時間に1本なので電車で行く際には必ず行き帰りの時刻を計算しましょう。ちなみに博物館までは駅から歩いて2分の好立地。