畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

修善寺にて

2009-03-20 09:40:00 | 歴史
 職場のグループ旅行で西伊豆へ行った。まあ楽しくもある一方で、どうせ飲まされて先輩方の愚痴やら指導やらを聞いてゆっくり眠れないので、そんなに好きでもない。ただ、修善寺に行ったときにちょっと歴史ロマンが渦巻いた。
 看板で、「源頼家の墓 70m先」というのが見えた。俄然歴史魂が沸く。職場の先輩にちょっと寄り道していいですか?と食後の時間を使って行くことに。
 そういえば、頼家は修善寺に幽閉されて殺されたって話をどこかで読んだなと、もうすでに心ウキウキ。
 1199年に父頼朝が死去してから家督を継いだけれど、主導力を発揮できず重臣たちの合議政体を許し、幕政の揺らぎから母の家族である執権北条氏の手によって修善寺に幽閉され、1204年に頼家わずか23歳で入浴中に祖父北条時政の手によって殺された。という時点で、私の「傀儡人物魂」(何だソレ?)に火がついている。


 看板の前に立った。おばちゃんたちの軍団が看板をみてなかなかどいてくれない。
「頼家さんは、おじいちゃんに殺されたんだってよ。」
「あらまあ、普通孫ってのは一番かわいいものなのにね~」
おいおい現代的価値観を鎌倉時代に持ってくるなよ、と思ったが、面倒くさいので心で思うだけにした。


 おっなかなかでかい墓だなあ。ちょっとごついけど。って中世の墓って五輪塔が一般的じゃなかったっけ?


 ん?大きな石の後ろに小さな五輪塔がある。看板をよくみると頼家の墓は小さな五輪塔であり、大きな石は江戸時代の1704年の頼家の500回忌に修善寺の和尚が作った供養塔であるらしい。日本の武家の頂点である征夷大将軍である墓がひっそりとあるのが、なんかわびしいというか…。傀儡の哀れを感じますね。(そんなことを言えば四国にあった室町幕府10代義稙と14代義栄の墓もわびしかったですが…)こういう小さくても歴史の趣あるスポットを見逃すと非常に悔しい思いになる。気づいてよかった。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (隊長ハヤト)
2009-06-14 18:38:47
こんにちは
頼朝の遺跡ならこちらもどうぞ^^
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Unknown (畠山義綱)
2009-03-21 20:01:20
あれっ?20日の18:44に返信しましたがメール届きませんでしたか?
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Unknown (武藤舜秀)
2009-03-20 20:22:57
お昼に携帯の方へメールへ入れましたけど、どうでしょう?堀越御所跡行けましたでしょうか?
修善寺で源範頼?(頼朝の弟)も殺されていませんでした?
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