次に復元街並みの町家群に行く。
中世史を語る上で忘れられがちな視点。それが庶民の力である。私も最初のころは、政治史だけで物事を捉えていて、それゆえに見落とすところが多々あった。政治は経済なくして考えられない。そしてその経済を支えているのは一般の庶民である。この一乗谷史跡の復元では、中世の町並みが体感できる貴重な場所だ。
まずこの町並みをみて感心するのは、道路に石組みの側溝があること。武家屋敷に町屋敷にも各戸に井戸があり、上水と排水がよく考えられている町並みである。また、建物にある窓の突き上げ戸も、それに伴う金具などが発掘されており、当時実際にあった光景といえる。
この屋敷は上記「染」の文字が書かれている店の中。大きな甕跡が何個も発掘されたことから、おそらく紺屋(染物屋)ではなかったかとされている。
これは町屋敷にある商家の1つ。ちなみに、この家が陶磁器を売っているのも、再現にあたって考察された上のことのようである。紺屋の写真と同じように土間が建物の約半分を占めているので板の間のスペースは小さい。しかもその床のあるスペースも2/3が店舗に使われてしまっているからさらにプライベートスペースは小さい。都市であるがゆえに家の狭さなのか、それともこの時代だからこそ、こんな広さなのかしれないが、ひょっとすると今も昔も狭い家に住む日本人の住宅事情はあまり変わらないのかもしれない。
町屋敷の裏手にも小さなスペースがある。ここは厠(トイレ)などがあったり、小さな物置き場などがある。やはり当時も、限られたスペースで快適に暮らすために置く物や間取りを工夫したのであろう。また、家と家を区切る茅があり、明確な敷地が分かれていたことが示されている。
こちらのスペースは竹垣がある。柱跡や礎石がない場合は、茅や竹垣のようなもので区切っていたのではないかと遺構調査の考察から考えられた物なのであろうと思う。
この側溝の石は発掘された本物を露出展示している。本物を使ったからこそ国の指定史跡になったと言う。室町時代の住民が歩いていた空間と同じ空間を平成時代に歩く。なんとも考え深いものである。この道路の側溝があるからこそ、大雨でも床下浸水を防げる。また、大通りが直線でなく曲がっていたり、建物で直角な角があるのも、侵入者にたやすく町を占領されないための工夫であると言う。戦乱の多い室町時代らしい工夫である。
ここで復元街並みは終わり。復元街並み南側の出入口に向かう。
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