さて、レストラン、お土産コーナー、書籍・図録販売コーナーで時間を消費してしまったので急いで次へ。レストランで話した通り「企画展示コーナー」へ行くことにしました。
「江戸の旅から鉄道旅行へ」の企画展示の一番最初は江戸時代ではなかった。何と1563(永禄6)年から始まるのであった。「永禄六年北国下り遣足帳」の展示であった。これは事前に予習していたから小島道裕氏の研究成果だとすぐわかった。室町時代の京都醍醐寺から僧侶が東北南部へ向けて旅した時につけていた小遣い帳が「永禄六年北国下り遣足帳」である。これを丹念に見ていくと、宿屋は一人24文とほぼ全国定額で泊まっており、旅行中昼食を食べたり、酒を飲んだりしている様子がこの帳から伺える。すなわち、室町時代は戦乱の世ゆえ、旅行するには危険だ、というのは固定概念であり、一般の人が旅行する旅籠(旅館)や道などがすでにかなり整備されていた、という研究発表である。
詳しくはこちらでみれます↓
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/kensokuchou.html#1
↑が難解でもうちょっと優しく!という方はこちら↓
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/journey.html
次は江戸時代の展示である。
旅の楽しみといえば、今も昔も変わることなく、やはりその地のおいしい食べ物である。写真はぼやけてみにくいが、川崎宿(現・神奈川県川崎市)の名物「奈良茶飯」である。なぜ川崎宿なのに「奈良」がと思いましたが、画像ボケしてみにくいかもしれませんが写真左上にあるのがおそらく奈良漬だからでしょう。手前左は茶飯。手前右はあさりのみそ汁。その他にも目川宿(滋賀県栗東市)は菜飯と田楽豆腐、草津宿(滋賀県草津市)姥ヶ餅の復元食品サンプル(?)が展示されていました。これらは安藤広重の「東海道五十三次」の絵で名物として描かれていたもの。これらの復元サンプルは豊橋市二川宿本陣資料館に展示されたものの複製らしいです。ここにも行ってみたくなったなぁ。ってゆーか、食べたばかりなのにお腹空いちゃった…。
http://www.toyohaku.gr.jp/honjin/
企画展示の「江戸の旅」の方は、後は東海道・中山道・甲州街道図屏風(篠山市立歴史美術館蔵)の展示や、個人の旅記録類を展示・紹介してあった。江戸時代は詳しくないので、「ふーん」という感じで見ていった。
企画展示の「鉄道旅行へ」は、先輩が言ったような「鉄マニ」を満足させるようなものではなく、やはり歴史好きのためのものでした。私はおそらくSLや駅の昔写真などを展示するのかな?と思っていましたが、よい意味で意外でした。鉄道をメインにした明治・大正・昭和初期の旅行案内・観光案内つまりパンフレットを展示してあったのです。大正10年に製作された「東海道パノラマ地図」なんかは現代のものと見まがうほどのできばえ。地方出身者のために作られたのか『だまされぬ東京案内』(大正10年刊)という題名の本。東京の人口など、こんな情報いるの?ってほどのことが書かれているらしい。大正年間も東京に観光にやってくる人、そして就職で東京に出てくる人が多かったのでしょう。今と変わらないですね。それから『実地調査大震大火の東京』(大正11年刊)という本。関東大震災の状況を書いた個人の本です。表紙が凌雲閣(浅草12階)で、この著者一氏義良氏は悲惨な爪あとの残る東京をどのような気持ちで歩いたのか、ぜひその本を見てみたかった。古書店によると同本は現在7800円で売られている。予算の制約上室町期以外で多額の投資はできぬ…。昔の色々なパンフレットをみてかなりおもしろかった。『企画展示の図録』のエピローグにこんなことが書いてある。「旅行がどのように変化しても、観光旅行では一つでも多くのものを見たいという気持ちは今も変わらない。知りたい見たいという欲求が今日の日本をつくり上げる原動力となり、海外旅行での見聞なども巧みに日本は同化させてしまっている。」と結んでいる。私は能登の中世史を勉強するには能登の事を知るだけ、能登に旅行するだけで十分だと思っていた。しかし、それはまったく違う。他の地域のことを知って、さらに旅行することで改めて能登のことを見直すことができるのである。周りのことを知った上で能登と比較する。それが一番大切なのだと思った。これからも「能登の歴史を知るために」全国に旅行に行って見聞を広めていこうと思う。まだ私は海外旅行に行ったことがないのだが、やはりそろそろ海外の見聞も必要かな…。
企画展示は、すぐに通り過ぎるはずがやっぱり1時間ほどいた。時間は16:00で、閉館まで後1時間半。とりあえず第5展示室の近代に行くことにした。
「江戸の旅から鉄道旅行へ」の企画展示の一番最初は江戸時代ではなかった。何と1563(永禄6)年から始まるのであった。「永禄六年北国下り遣足帳」の展示であった。これは事前に予習していたから小島道裕氏の研究成果だとすぐわかった。室町時代の京都醍醐寺から僧侶が東北南部へ向けて旅した時につけていた小遣い帳が「永禄六年北国下り遣足帳」である。これを丹念に見ていくと、宿屋は一人24文とほぼ全国定額で泊まっており、旅行中昼食を食べたり、酒を飲んだりしている様子がこの帳から伺える。すなわち、室町時代は戦乱の世ゆえ、旅行するには危険だ、というのは固定概念であり、一般の人が旅行する旅籠(旅館)や道などがすでにかなり整備されていた、という研究発表である。
詳しくはこちらでみれます↓
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/kensokuchou.html#1
↑が難解でもうちょっと優しく!という方はこちら↓
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/journey.html
次は江戸時代の展示である。
旅の楽しみといえば、今も昔も変わることなく、やはりその地のおいしい食べ物である。写真はぼやけてみにくいが、川崎宿(現・神奈川県川崎市)の名物「奈良茶飯」である。なぜ川崎宿なのに「奈良」がと思いましたが、画像ボケしてみにくいかもしれませんが写真左上にあるのがおそらく奈良漬だからでしょう。手前左は茶飯。手前右はあさりのみそ汁。その他にも目川宿(滋賀県栗東市)は菜飯と田楽豆腐、草津宿(滋賀県草津市)姥ヶ餅の復元食品サンプル(?)が展示されていました。これらは安藤広重の「東海道五十三次」の絵で名物として描かれていたもの。これらの復元サンプルは豊橋市二川宿本陣資料館に展示されたものの複製らしいです。ここにも行ってみたくなったなぁ。ってゆーか、食べたばかりなのにお腹空いちゃった…。
http://www.toyohaku.gr.jp/honjin/
企画展示の「江戸の旅」の方は、後は東海道・中山道・甲州街道図屏風(篠山市立歴史美術館蔵)の展示や、個人の旅記録類を展示・紹介してあった。江戸時代は詳しくないので、「ふーん」という感じで見ていった。
企画展示の「鉄道旅行へ」は、先輩が言ったような「鉄マニ」を満足させるようなものではなく、やはり歴史好きのためのものでした。私はおそらくSLや駅の昔写真などを展示するのかな?と思っていましたが、よい意味で意外でした。鉄道をメインにした明治・大正・昭和初期の旅行案内・観光案内つまりパンフレットを展示してあったのです。大正10年に製作された「東海道パノラマ地図」なんかは現代のものと見まがうほどのできばえ。地方出身者のために作られたのか『だまされぬ東京案内』(大正10年刊)という題名の本。東京の人口など、こんな情報いるの?ってほどのことが書かれているらしい。大正年間も東京に観光にやってくる人、そして就職で東京に出てくる人が多かったのでしょう。今と変わらないですね。それから『実地調査大震大火の東京』(大正11年刊)という本。関東大震災の状況を書いた個人の本です。表紙が凌雲閣(浅草12階)で、この著者一氏義良氏は悲惨な爪あとの残る東京をどのような気持ちで歩いたのか、ぜひその本を見てみたかった。古書店によると同本は現在7800円で売られている。予算の制約上室町期以外で多額の投資はできぬ…。昔の色々なパンフレットをみてかなりおもしろかった。『企画展示の図録』のエピローグにこんなことが書いてある。「旅行がどのように変化しても、観光旅行では一つでも多くのものを見たいという気持ちは今も変わらない。知りたい見たいという欲求が今日の日本をつくり上げる原動力となり、海外旅行での見聞なども巧みに日本は同化させてしまっている。」と結んでいる。私は能登の中世史を勉強するには能登の事を知るだけ、能登に旅行するだけで十分だと思っていた。しかし、それはまったく違う。他の地域のことを知って、さらに旅行することで改めて能登のことを見直すことができるのである。周りのことを知った上で能登と比較する。それが一番大切なのだと思った。これからも「能登の歴史を知るために」全国に旅行に行って見聞を広めていこうと思う。まだ私は海外旅行に行ったことがないのだが、やはりそろそろ海外の見聞も必要かな…。
企画展示は、すぐに通り過ぎるはずがやっぱり1時間ほどいた。時間は16:00で、閉館まで後1時間半。とりあえず第5展示室の近代に行くことにした。
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