朽木の庭園の次に行ったのが、高島市マキノ町海津にある宝幢院。ここには小浜城主で若狭武田氏最後の当主・武田元明の墓がある。朝倉氏に元明が拉致されたことは知っていたが、朝倉滅亡後に小浜に帰っていることは知らなかった。さらに宝幢院が立てた看板によると、「羽柴秀吉が元明の妻龍子へ横恋慕から、元明は、秀吉によって海津宝幢院に呼び出され、明智光秀の謀反に味方したという口実で、無理に切腹をさせられたと伝えられている。この時元明は三十一歳であった。」と記されている。写真が武田元明の墓である。廟もなくひっそりとしたものである。滅亡した大名家の悲哀さを物語る。このようなスポットは見逃しがちだが、訪れると感慨深いものがある。
ただ、このようにしっかりと説明の看板も建ち、現にこのように花まで添えられているというのはうらやましい気がする。畠山義綱の墓はどこにあるか一般には知られていない。どこにあるんだろう?
確かに義綱公のお墓ありませんよね。
一条兼定みたいに後世の地元有志によるお墓建立が必要になるのではないでしょうか?