京都。船岡山。それほど高くない山ではあるが、その山頂に登ると京都市街が一望でき、戦況を見るには適した山でである。そのため、応仁の乱では西軍の大内氏の本陣が置かれていた(現在でも一部の京都の人は「先の戦いでは大変どしたなぁ。」という時、1467年の応仁の乱をさすとも言われ、それだけ京都の人にとって応仁の乱は被害の大きかった戦いであると言える)。また、永正年間にも将軍足利義稙とそれに対する勢力が対立するとき、細川方(反義稙方)の本陣が置かれた。戦略的にも重要な地であったのであろう。
現在は「船岡山公園」となっている。公園内に空堀のようなものがあり、最初は公園として整備されるときに作られたものかと思ったが、写真で見てわかるとおり、人がおよそ通らないようなところまでくぼみが続いており、公園整備時に作られたとは思い難い。従ってこれは戦国時代に本陣が置かれた時に作られた空堀だと思われる。
次は12代将軍・足利義晴が近江に逃れた時によった朽木にある庭園を紹介します。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます