畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

四国遠征記12~土佐中村~

2007-08-29 22:41:27 | 旅行・観光

 一条教房の墓はちょっとわかりずらいところにあった。それでも、土佐一条氏の開祖ということもありこのように地元の人からも(多少なりとも)気をつかってもらって、墓があるというのは中世マニアとしては嬉しい。畠山義綱の墓も能登にあればどんなに嬉しかったか…。


 一条房基もなかなかの武将(?)だったらしいが、戦いに疲れ自殺したという。房基の墓がないので供養塔を地元の人が建てたと言う。郷土史を大切にする地元の人がいるというのは、なんとも嬉しいことです。


 そして、中村観光の最後に、一條神社に行く。とても大きな神社だと思っていたのに行ったら実際には結構小さかった。神社の目の前には少し大きなスーパーがあり、車が大混雑。訪れるのも大変だった。この一條神社のある丘陵は土佐一条氏の居館のあった場所と推定されており、「中村御所跡」と呼ばれている。そこに、土佐一条氏をしのぶ有志によって建立された神社だと言う。一条氏は中村の人たちに大切にされていたんだなということを再確認し、一條神社でお守りを購入して次の目的に高知は桂浜へと向かう。

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2 コメント

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Unknown (巣鴨介)
2007-09-01 14:10:24
懐かしいッ!・・・と言っても数ヶ月前ほどなのですが(笑)。

思った以上に‘小京都’の風情があまりかんじられなかったり、一條家関連の郷土史関連本も見当たらなかったりでちょっとがっかりしたのが自分でした。実際、市教委と市役所に行って伺ったのですが無駄足でした。義綱殿はいかが感じられましたか?
でも羨ましい事に一條家含む戦国期の特別展をやっていたとの事。図録とかはあったのでよしょうか。正直、通常展示物では物足らなさ過ぎでした→資料館。
でも、義綱殿が訪問された場所、自分も行きまして思いを馳せる事ができたのはやっぱり現地だからこそだと感じました。

閑話休題
先日島根県益田市に行ってきました。目的は益田家関連の情報収集。こちらは益田家文書が残っている事もあり、きちんとした資料が編纂されておりました。一條家と異なり、織豊期以降は毛利傘下となり以後毛利家永代家老の家として残った分だけ資料が多いのでしょう。逆に冨樫家もそうですが、江戸期に残れなかった家の魅力を改めて感じる旅でもありました(笑)。
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Unknown (畠山義綱)
2007-09-01 21:39:31
巣鴨介様、コメントありがとうございます!
確かに中村は小京都と言われるような歴史が感じられませんでした。よくある地方都市という感じでしたね。一條神社ももっと緑に囲まれたところかと思いきや、町の中心にありました(中村御所跡なので当然といえば当然ですが)。確かに一条氏の墓や供養塔などもあり、歴史を感じることができますが、やはり文献的な研究は進んでいないのが実感と思います。私のような四国素人の者でも、少し調べたら「本当は一条兼定は、世に言われるような暗愚な当主でなかった可能性が大きい」と思ったのですが、そのような研究本や雑誌、資料館の図録などもありません。確かに企画展はやっていたのですが、図録のようなものはなく、パンフレットのようなもので終わりでした(もともと県立博物館のような大規模な企画展ではないですし…)。ただ、巣鴨介様のおっしゃるように、現地に行きますとやはり歴史をじかに感じることができ、身近に思え、調べる意欲も沸いてきます。これが旅行の良いところでしょうか。
益田市といえば、そちらにも「七尾城」があるところですね。意外と能登の七尾城より、石見七尾城の方が発掘調査なども進んでいるようです。調査報告書のようなものも出ているみたいですし。文献資料も豊富にあるみたいで、うらやましい限りです。よろしければ、益田訪問記をお聞かせくださいませ!
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