畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

武蔵国衙跡

2009-08-07 19:52:00 | 歴史
 江戸時代の史跡っていっぱい残っているので、中世以前の史跡をみたい。「東京で気軽に行ける距離で中世以前の史跡ないかな…」と思ってインターネットで検索していたら…ありました!今日は2008年に復元公開された東京都府中市の大国魂神社のすぐ近くにある「武蔵国衙跡」のご紹介。


 「府中市」の名前からもわかるとおり、府中市は武蔵国の中心となる「国庁」があったところである。「武蔵国衙跡」のパンフレットによると、「国庁」とは国司の中枢施設で現代で言うところの東京都なら「知事部局」。「国衙」とは国の役所郡で、現代なら東京都都庁舎。「国府」とは、国衙を含め役人の館や、兵舎、学校などを含む都市機能のことで、現代で言えば東京都の新宿副都心。ということで「武蔵国衙跡」は、武蔵国の役所であった場所である。

 上記の写真の「武蔵国衙跡」は国衙の中心的な建物の跡となる場所である。建物の場所は地面が灰色で平面展示されており、建物の柱が復元展示されている。建物の無い部分は普通の地面になっている。写真の地面をよくみると、建物の側溝が砂利で示されているのもわかる。

 また、公道があるため柱などを再現することができなかったところは、下記写真のように公道に赤丸で示している。


 「武蔵国衙跡」には、発掘調査の内容を展示する「遺構展示館」がある。柱がどのように発掘されたのか、よくわかるようになっている(展示館はクーラーが効いていないので暑かった…)。


 展示館にはこのように、わかりやすいように柱の復元を説明してくれている。展示館には「武蔵国衙跡」のパンフレットが無料でもらえるけれども、こういった専門的説明はなぜか掲載されていないので、ぜひ展示館の説明を写真撮影しておくことをお勧めする。ふむふむ、掘立柱は奈良時代、礎石柱は平安時代かぁ。時代によって建物の建築もずいぶん違っていることがわかるなぁ。

 しかし、この「武蔵国衙跡」非常に小さい範囲の復元に留まっているが、その場所は府中市の中心部であり繁華街である。そういった意味で、これだけの復元施設を作ったというのは、やはり府中市の国府たる意気込みを感じる(と同時に府中市は東京競馬場などの利益で税金が豊かという事情もあるが)。また「武蔵国衙跡」はその発掘調査の内容から大型建物が整然と配備される様子がわかるなど奈良・平安時代の特徴をよく現すものであり、国の文化審議会が「国指定史跡」に指定する見通しを示した。今後の「武蔵国衙跡」の保存・整備が期待される。

 
 ちなみに、大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)は府中市街にあるのに森林に囲まれている、大自然を感じることができる。きっと、市民の憩いの場所となっているのであろう。私が訪れた日はお祭りの露店の準備がされていた。


 なかなか歴史史跡めぐりは、お友達を連れて~なんてできない(歴史友達がそれほど近くにいない)。また、家族で歴史史跡といってもあまり奥さんが行きたがらないなど、史跡めぐりはどうしても、一人で行くことが多い。そこで、この「武蔵国衙跡」
に行くならお勧めのお店。「スパゲッティ武蔵野食堂」。府中駅からもそれほど遠くない場所で、店内も非常におしゃれ。といってもカウンターもあるので、一人でも入りやすい雰囲気である。私が頼んだのは「ゴルゴンゾーラのパスタ」とてもおいしかったし、店員さんの対応もすばらしくよかった。お勧めです!

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2 コメント

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Unknown (武藤舜秀)
2009-08-08 00:17:51
その、近くにいない歴史友達の一人です(笑)
東京にもこのように中世にまつわる遺跡を保存しようという動きがあるんですね。


しかし、電柱邪魔・・・
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Unknown (畠山義綱)
2009-08-08 06:42:39
このような保存例はごく僅かですよ。ほとんどは開発のために、簡単な調査をして(一般市民の見えないところでそれすら行われない例もあるでしょう)、保存報告書を出せばそれで終わり(報告書が出ればまだいいほうです)。府中市や八王子市などの財源が比較的余裕のあるところだけ史跡保存の動きがありますが、23区はほぼ壊滅状態ですね…。
 近江は旧・秀麗寺庭園や上平寺城庭園跡などなど(だいぶ挙げる史跡が偏っている)、遺構がよく残っているところが多くあっていいなあと思います。上平寺城庭園跡はぜひ行って見たい…。
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