ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

乱能、勤めてまいりました!(その2)

2009-02-05 01:14:36 | 能楽
今回の乱能では、ぬえは一調「勧進帳」(謡:野村万作師、小鼓:武田宗和師)、一調「屋島」(謡:久田舜一郎師、小鼓:足立禮子師)、仕舞「船弁慶」(シテ:吉谷潔師)それに半能の『石橋・大獅子』(シテ:山本東次郎師、ツレ:山本則重/山本則孝/山本泰太郎の各師、ワキ:山本則直師、笛:山本則秀師、小鼓:味方團師、大鼓:柴田稔師、太鼓:山本則俊師、地謡:安福建雄師ほか)が印象的でした。

これらの番組はどれも本職顔負けの見事な謡・舞・囃子で、とくにお狂言の山本さんのご一家は、こんなに身体が動いていいの~?? というほど、シテ方も嫉妬しそうな出来映えでした。ほかにも舞囃子『吉野天人』の笛の新井麻衣子さんと太鼓の墨敬子さんが光っていましたし、この日は女流能楽師も面目躍如だったのではないでしょうか。

お客さまに笑って頂ける楽しい演目も結構ですが、ぬえはやっぱりこのように一生懸命・全力投球で最善の成果を目指す人が集まる舞台が好きです。この日は終演後に主催の中森氏によってパーティーも催されたのですが、このときに友人たちと話し合ったことには、やはり乱能と言えども、本来は専門の役目を離れてほかの役を勤めることで、より舞台に対する見識を深める。。結局は演者の勉強のためにあるのが本来の目的であり、あるべき姿であろう、ということでした。ぬえとしては、正直に言えばそこまで真摯に乱能の意義を考えたことはなかったのだけれども、やはり工まれた笑いよりは、専門以外のお役に果敢に挑戦して、それでもどうも勝手が違って。。という感じで笑える方が好きかなあ。

それから驚いたのが半能『融・十三段之舞』(シテ:一噌庸二師、ワキ:古賀裕己師、笛:鈴木啓吾師、小鼓:河村晴道師、大鼓:味方健師、太鼓:小島英明師、地謡:国川純師ほか)。開演直前に鏡之間に行ったところ、おシテは見慣れないお姿。。黒頭に初冠、白狩衣に大口、そして手には笏を持っておられます。この姿は観世流の『融』では「十三段之舞」ではなくて「白式舞働之伝」に近い姿のはず。。ここでようやく気づいたのですが、この日の上演は観世流にある小書「十三段之舞」ではなくて、これは金剛流の同じ名称の小書「十三段之舞」だったのですね。

催し自体が観世流の主催者でしたから、これは てっきり観世流の能かと思ったのですが、乱能ではおシテの注文により、他流の能が演じられることもあるそうです。まあ考えてみれば囃子を演じるシテ方も、それぞれが習ったいろいろな囃子のお流儀の組み合わせで上演されるのですから、乱能でおシテを勤められる方が観世流以外のお流儀で舞われても不思議はないのでした。実際乱能では、主催者が観世流であっても、お囃子方がシテ方のお役。。たとえば一調とか仕舞、舞囃子などを、宝生流や喜多流の謡、型で勤められることはそれほど珍しいことではないようです。

この時の『融』は、幕から出るところから観世流の「十三段之舞」とは違っていて、幕上げの段になったところでシテは幕から出て三之松(幕際)に止まり、両手に笏を構えた姿を見所に見せます。その後幕の中に一度退いて、幕は揚げたまま、再び舞台に向かって登場する、というものでした。このようにシテが一度姿を見せてから再び幕の内に戻る演出は、観世流では『船弁慶』などにもあるのですが、観世流では幕内にシテが退いたときには一旦幕を下ろし、改めて幕を揚げて登場するのが普通で、今回の『融』の登場の方法は、観世流に属する ぬえから見るととっても異質で、また新鮮でもありました。

。。さて、今回の乱能が終わってから開かれたパーティーで、主催の中森氏は、昨年父君の晶三氏が逝去されたのですが、乱能は故人も大切にされておられたので中止することなく思い切って開催された旨スピーチされました。ご心痛の中、そしてご多忙な中、演者にもお客さまにも心を込めて、あれほどの催しを開かれた事に、まずは敬服し、また滅多にないこういう経験の機会を ぬえにも与えてくださったことに、この場で失礼とは思いますが、改めて感謝申し上げます。またご来場頂きましたお客さまにもお目汚しの点があったと思いますが、ご寛恕頂きたく、また併せましてご声援に感謝申し上げます。 m(__)m