ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

翁の異式~父尉延命冠者(その16)

2009-02-24 01:17:52 | 能楽
「父尉延命冠者」の上演史の話題の前に、脱線ついでに『鷺』の話題をもう一つだけ。

この曲って、ぬえ、ずっと不思議に思っているんですけれども、なんで白式の装束にするのでしょうね。。じつは「ともになさるる五位の鷺」と詞章にあり、『平家物語』に延喜帝の勅命に従ってかしこまった鷺に対して五位の位を授けられたのがこの鷺ならば、それは。。いまの「ゴイサギ」ではあるまいか?

ところが能『鷺』のシテが頭上に頂く鷺の建物は、あきらかにゴイサギではなく白鷺ですよね。細かいことを言えば、シラサギという種類の鳥は存在せず、体色が白い鷺をシラサギと総称するのですが、少なくとも ぬえの師家の鷺戴の建物は、後頭部に冠羽をつけた夏の「コサギ」さんです。これに対して「ゴイサギ」というのは羽がグレー、背中と頭が黒、そして腹部が白い鷺なのです。能の『鷺』のシテが白式の装束に身を包むのも、あきらかに白鷺を意識してのことだと思いますが、現代はともかく、往時には白鷺とゴイサギの区別は常識的についたと思うし、まして『平家物語』に出てくるこのお話がさす鳥がゴイサギのことであるのは自明だったと思うのですが、なぜ能は白鷺の姿になるのだろう。

これは ぬえがずっと抱いている疑問なのでした。やっぱり黒とグレーのゴイサギじゃ幽玄にならないから、本説には頓着せずにあえて白鷺の姿にしたのかなあ。こういう例は『遊行柳』のクセに「手飼にの虎の引き綱も、長き思ひに楢の葉の、その柏木の及びなき。。」とあるのが同じような感じではないかと思います。この場面は『源氏物語』の「若菜上」にある、柏木が女三の宮の姿を見初めたシーンが下敷きになっていますが、『源氏』ではここは虎、ではなくて猫ニャンなんですよね。『遊行柳』のクセに虎が出てくる必然性もないわけで、ましてやこの場面では後シテが柳の徳を述べる、その例証として蹴鞠のコートを区切る四本の木の中に柳が含まれていること→『古今集』春上の素性法師の歌で都の美しさを柳の緑と桜の薄紅色を混ぜたようだと形容されたこと→その都の公達が六条院で蹴鞠を楽しみ、そして柏木が女三の宮を見初めたこと、と話題が発展してゆく中での話なので、本説『源氏』の通りの猫ニャンを登場させても何の不都合もないはずなのですが。。これはやはり猫ニャンでは幽玄にならない、と作者。。観世小次郎信光が判断したのだと思うのです。

『鷺』も、帝の勅命に従った鳥類の姿に、ある種の神性を感じ取った作者が、その鳥が舞を見せる、という独特の趣向の能に仕立て上げたもので、その神性の表現には純白の白鷺の姿がふさわしかったのでしょう。とすればシテ方の流儀により「老い鷺」の表現として尉面を使う場合、そのために選ばれるのが「石王尉」や、そしてこれはまた寂昭さんから ぬえに寄せられた情報なのですが、「小尉」という選択肢もあるらしいことも納得できます。これらはどちらも老神または神の化身としての尉の面ですね。女面を使う場合も「増」を使うのは、これまた女神としての性格を意識してのことに他なりません。そしてまた「延命冠者」を使う場合も、この面は『翁』のツレとしての若い神仏の姿。すべて鷺の神性の表現と考えれば辻褄が合うのですね。これらは当然、「元服前および還暦後の役者のみが直面で勤める」という『鷺』本来の上演の決マリが存在する理由にも投影されているのでしょう。

さて次回こそ~「父尉延命冠者」に戻りまして、この『翁』の異式がどのように上演されてきたかを見てみましょう。今度こそ~