ぬえの能楽通信blog

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翁の異式~父尉延命冠者(その12)

2009-02-14 01:35:51 | 能楽
「父尉延命冠者」に使われる面はとっても独特ですね。「翁面」として知られる「白式尉」「肉式尉」と同じ切り顎の造作ながら、目尻が釣り上がって、どうも福々しい相とは言いにくい「父尉」。そしてそれとは対照的に満面の笑み。。現代の感覚からすればそれはやや不気味な印象も与えるほどに笑った相好の「延命冠者」。

「父尉」はこの『翁』の異式「父尉延命冠者」だけにしか使われない。。ということは事実上どのおシテ方の家にあっても数十年に一度しか舞台に登場しない、という、それはそれは珍しい面です。前述のように「白式尉」と同じ造作を持った、すなわち「白式尉」と出自が同じ面で、さてその出自がどこ? と尋ねられると、それはまだ謎としか言いようがないと思いますが、室町時代の能楽の大成期よりは遙かに年代を遡った、原初の『翁』の発生と「父尉」は関連を持っていた可能性があるわけです。詳しくは後述したいと思いますが、その原初の『翁』には「父尉」も「延命冠者」も「翁」「千歳」「三番叟」の役とは別の一役として舞台に登場していたことが知られています。

言うなれば「父尉」(と「延命冠者」)は、本来『翁』とは切り離せない歴史的な経緯を踏んでいるのですね。現在の観世流の「父尉延命冠者」では「翁」「千歳」の代役として「父尉」「延命冠者」が登場するわけですが、歴史的に見れば「父尉」も「延命冠者」も「翁」「千歳」とはそれぞれ立場を異にしているはずで、これは誤解に類するものなのかもしれません。このあたり、なぜ三番叟が直面で「揉之段」を舞ってから、おもむろに黒式尉の面を掛けて、「この色の黒い尉が。。」と、まるで最初から老人の役であったかのような発言をするのか、など、『翁』に付随するあまりにも多くの謎とともに体系的な解明がいつの日かなされるのを期待を持って待ちたいです。

そして「延命冠者」の面。これまた能面(?)としてはほかに類を見ない特長を持った面で、なにしろこの面、能楽に使われる面としては唯一、シテ方と狂言方のどちらもが舞台で掛ける面なのです。

普通 能楽に使われる面はシテ方が使う「能面」と、狂言方が使う「狂言面」に厳然と区別されています。ところがこの「延命冠者」の面だけはそれに当てはまらない。それはなぜかと言うとじつは単純な理由で、この面を掛ける「延命冠者」の役が現在では常の『翁』の「千歳」の役の代わりとして「父尉延命冠者」の中に配置されてあって、その「千歳」の役が、シテ方の流儀により上掛りの流儀(観世・宝生)ではシテ方が、そして下掛り(金春・金剛・喜多)では狂言方がその役を勤める習わしになっているからです。

実態が分かってみれば「なあんだ」という感じでしょうが、さらに加えて言えば『翁』の異式として「父尉延命冠者」をレパートリーとして掲げているのは観世流と金春流のみなので、「延命冠者」の面をシテ方の役者として使うのは観世流のみ、そして狂言方がこの面を所蔵しているのは、もっぱら金春流で「父尉延命冠者」が上演された場合に備えて、ということになります。こう考えてくるとやはり「延命冠者」面はやはり特殊な面だということは間違いないでしょう。

ところが、先ほどシテ方として「延命冠者」面を掛けるのが観世流のみ、と書いたのですが、それは「父尉延命冠者」の中での使われ方。。すなわち本来的な使われ方の話で、じつは「延命冠者」面には それ以外にもう一つ変わった使われ方をする場合があるのです。それは能『鷺』で、この曲のシテが「延命冠者」を掛けることがあるのです。