それに対して何らの「活動」をしていない役…多くの場合は閑居している、といった風情の役の登場に、この「出し置き」と呼ばれる手法が使われます。緞帳のない能舞台に、「あらかじめそこに居た」という印象で登場する、という感じでしょうか。
この登場の仕方、ワキでは珍しいのではないかと思います。ほかにも『西行桜』とか前述の『現在七面』など、類例はないわけではないのですが、あまり多くの例はないのではないかと思います。逆に、この「出し置き」で登場するのは、多くはツレであるように感じます。『清経』とか『葵上』『善知鳥』など、ぬえも何度も「出し置き」のツレをやった事がありますが…それだからツレが「出し置き」で出る事が多いように思うのかなあ。
ちなみに「出し置き」で登場する役は、幕から登場して着座するまで…正確にはその役が謡い出したり、他の役から声を掛けられるまでの間、お客さまの目には見えない、というか開演準備の範囲にある、というか、能の進行とは切り離して考えられているようです。その証拠には、この「出し置き」の役が着座するまでの間、囃子方は床几に掛けず、地謡も扇を前へ出しません。作物を冒頭に出すのと同じ扱い、とも言えますね。もっとも、だからと言って無頓着な登場は許されず、その役の「位」を考えて橋掛リを運ビます。こういうところは日本人的な発想ですね~
さて、そのようにあまり人格も認めてもらえないような登場をする「出し置き」ですが、実はシテの登場にも使われる事があります。それが『柏崎』で、やはり閑居の態で能が始まり、そこに夫の死と一人息子の出奔という悲報を携えたワキが訪れる場面から能は始まるのです。あとは…『二人静』の「立出之一声」の小書の時かなあ…この小書にはいろいろな演出があるのですが、ぬえの師家では常のシテとツレが逆転して菜摘女がシテ、静の霊がツレになり、能の冒頭では菜摘女(=シテ)が「出し置き」で登場する事もあります。
…話がそれましたが、『大会』では比叡山の庵で一人修行を続ける僧というのがワキの役です…もっとも『大会』の後場ではワキはみずから「僧正その時たちまちに」とみずから「僧正」と名乗っていますから、それによればかなり高位の僧…比叡山の座主である可能性がありますが。(僧正は僧の最高位で、上代では朝廷の任命により国家にただ1人、平安期でも3人しかいませんでした。後には増えたのですが、鎌倉期には10人程度と、それでもかなりの重職であることは確か。)…もっとも『大会』のワキはそこまで高位の僧ではなく、身の回りの世話をする小坊主が1人いるかどうか、の、清貧な僧が孤独に草庵を営んでいる、という感じでしょう。「僧正その時…」は語調を整えるための修飾と解しておきます。
静寂の中を歩んだワキはやがて脇座に着座し、サシを謡い始めます。
ワキ「それ一代の教法は。五時八教をけづり。教内教外を分たれたり。五時と云つぱ華厳阿含方等般若法華。四教とはこれ蔵通別円たり。遮那教主の秘蔵を受け。五相成身の峯を開きしよりこの方。誰か仏法を崇敬せざらん。げにありがたき。御法とかや。
ああ…『現在七面』と同じような大変難解な法語・仏語の数々…現代語に訳してみれば次のような感じでしょうか。
「そもそも釈尊一代の教えというものは五つの時、八つの内容に配分され、仏の教えに触れて悟りを開くことと、自らの仏性をもって悟ることとを区別された。五時とは華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華涅槃時であり、化法四教とは蔵教・通教・別教・円教である。大日如来の秘法を伝え、五相の観法を通じて如来身を成就する如くにこの比叡山が開山されて仏法が広められて以来、仏法を崇めぬ人とていない。まことにありがたい教えであることよ」
この登場の仕方、ワキでは珍しいのではないかと思います。ほかにも『西行桜』とか前述の『現在七面』など、類例はないわけではないのですが、あまり多くの例はないのではないかと思います。逆に、この「出し置き」で登場するのは、多くはツレであるように感じます。『清経』とか『葵上』『善知鳥』など、ぬえも何度も「出し置き」のツレをやった事がありますが…それだからツレが「出し置き」で出る事が多いように思うのかなあ。
ちなみに「出し置き」で登場する役は、幕から登場して着座するまで…正確にはその役が謡い出したり、他の役から声を掛けられるまでの間、お客さまの目には見えない、というか開演準備の範囲にある、というか、能の進行とは切り離して考えられているようです。その証拠には、この「出し置き」の役が着座するまでの間、囃子方は床几に掛けず、地謡も扇を前へ出しません。作物を冒頭に出すのと同じ扱い、とも言えますね。もっとも、だからと言って無頓着な登場は許されず、その役の「位」を考えて橋掛リを運ビます。こういうところは日本人的な発想ですね~
さて、そのようにあまり人格も認めてもらえないような登場をする「出し置き」ですが、実はシテの登場にも使われる事があります。それが『柏崎』で、やはり閑居の態で能が始まり、そこに夫の死と一人息子の出奔という悲報を携えたワキが訪れる場面から能は始まるのです。あとは…『二人静』の「立出之一声」の小書の時かなあ…この小書にはいろいろな演出があるのですが、ぬえの師家では常のシテとツレが逆転して菜摘女がシテ、静の霊がツレになり、能の冒頭では菜摘女(=シテ)が「出し置き」で登場する事もあります。
…話がそれましたが、『大会』では比叡山の庵で一人修行を続ける僧というのがワキの役です…もっとも『大会』の後場ではワキはみずから「僧正その時たちまちに」とみずから「僧正」と名乗っていますから、それによればかなり高位の僧…比叡山の座主である可能性がありますが。(僧正は僧の最高位で、上代では朝廷の任命により国家にただ1人、平安期でも3人しかいませんでした。後には増えたのですが、鎌倉期には10人程度と、それでもかなりの重職であることは確か。)…もっとも『大会』のワキはそこまで高位の僧ではなく、身の回りの世話をする小坊主が1人いるかどうか、の、清貧な僧が孤独に草庵を営んでいる、という感じでしょう。「僧正その時…」は語調を整えるための修飾と解しておきます。
静寂の中を歩んだワキはやがて脇座に着座し、サシを謡い始めます。
ワキ「それ一代の教法は。五時八教をけづり。教内教外を分たれたり。五時と云つぱ華厳阿含方等般若法華。四教とはこれ蔵通別円たり。遮那教主の秘蔵を受け。五相成身の峯を開きしよりこの方。誰か仏法を崇敬せざらん。げにありがたき。御法とかや。
ああ…『現在七面』と同じような大変難解な法語・仏語の数々…現代語に訳してみれば次のような感じでしょうか。
「そもそも釈尊一代の教えというものは五つの時、八つの内容に配分され、仏の教えに触れて悟りを開くことと、自らの仏性をもって悟ることとを区別された。五時とは華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華涅槃時であり、化法四教とは蔵教・通教・別教・円教である。大日如来の秘法を伝え、五相の観法を通じて如来身を成就する如くにこの比叡山が開山されて仏法が広められて以来、仏法を崇めぬ人とていない。まことにありがたい教えであることよ」