ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

ふたつの影…『二人静』(その1)

2014-06-25 00:43:15 | 能楽
さて毎度 ぬえがシテを勤めさせて頂く祭に行っております上演曲についての考察ですが、例によって舞台の進行を見ながら進めてゆきたいと考えております。しばしのお付き合いのほど。

お囃子方の「お調べ」が済み、お囃子方と地謡が舞台に登場、所定の位置に着座すると、すぐにワキは幕を揚げて橋掛かりに登場します。幕が開くのを見て笛が吹き出します。ワキの登場の代表的な演出で、「名宣リ」と呼ばれるこの登場の方法はワキの登場に限って用いられる決まりになっています。笛が吹き出すと大小鼓はすぐに床几に腰掛けますが、打ち出すことはなく、あくまでワキの歩みの彩りをするのは笛方の役目。「次第」や同じくワキの登場で用いられる「一声」など登場の囃子にはそれぞれの特徴がありますが、「名宣リ」はその中ではもっとも情緒的な印象を受けますね。

『二人静』のワキは勝手宮の神主で、風折烏帽子、長絹、白大口の姿です。神主の出で立ちとしては翁烏帽子、白の縷狩衣、白大口の方が一般的ではありますが、ときにこのような貴人の扮装になることがあります。

またワキのあとに続いて間狂言が登場します。神主の従者または下人の役で、狂言肩衣の姿で右手に太刀を提げています。太刀持ちの役どころで、これによっても神主の身分が高いことが象徴されています。なおこの間狂言の役は能の冒頭で神主に命じられてツレの菜摘女を呼び出すセリフを言うだけなので、省略して出さない場合もあります。

シテ柱に立ったワキは「名宣」を謡います。

ワキ「これは三吉野 勝手の御前に仕へ申す者にて候。さても当社に於き御神事さまざま御座候中にも。正月七日は菜摘川より若菜を摘ませ。神前に供へ申し候。今日に相当りて候程に。女どもに申しつけ。菜摘川へ遣はさばやと存じ候。

ワキは舞台の中の方へ歩み出しながら間を呼び出し、以下問答となります。

ワキ「いかに誰かある
間「御前に候
ワキ「菜摘みの女に疾う疾う帰れと申し候へ。
間「畏まって候。


シテ柱にて下居し左手をついてワキの用件を聞いた間は幕に向き、菜摘女に早く帰参するよう呼び掛けます。
間狂言を省略する場合はこの問答と次の呼び掛けの場面がなくなり、すぐにツレの登場になります。

間「いかに菜摘みの女。今日は何とて遅く候ぞ。とうとう罷り帰り候へや。

この間にワキは脇座に着き、間はツレの登場音楽「一声」の間に切戸口より退場します。

「一声」は大小鼓がリズミカルに演奏し、笛は拍子に合わないアシライ吹きで彩りを添える登場音楽です。ワキに用いる例はそれほど多くありませんが、シテ方にとってはおなじみでシテにもツレにも、さらに子方にも広く登場の場面で用いられます。

ツレの菜摘女の装束は唐織着流しの姿で、面はツレ用の小面、摺箔、唐織、鬘帯という取り合わせで、左手に手籠を持っています。じつは前シテも唐織着流しで、ツレと同じ装束なのですね。本来こういう場合、ツレはシテよりも品位を落とした装束の選択をします。たとえば摺箔はシテが金箔のものを、ツレは銀箔のものを着たり、唐織もシテが地紋が段になっているものを使えばツレは赤地一色のものを用いるなど。

ところが『二人静』の場合、それでは困ることもあります。後に相舞を舞うときに、まったくの同装である方が似つかわしく、摺箔もシテと同じ金箔のものを用いるのは普通に行われますね。先ほども言いました通り『二人静』は両シテの曲なので、ツレの装束の品位を落としてしまうと相舞の映りが悪くなってしまうのですね。

もっとも唐織に関してはそういう心配は無用です。後にツレが舞の装束を着る「物着」の段になったとき、ツレはこの唐織を脱いでしまうのです。そのために唐織の中にもう1枚、縫箔を着込んでおりまして、これは後シテとまったく同じ文様の縫箔です。物着で唐織を脱いでしまって、その下に着込んでいた縫箔と、それからワキから渡された長絹を羽織った、それまでとはまったく違った姿になり、そうして楽屋ではシテがツレと同じ文様の縫箔と長絹を着て、さて登場するとまったく同じ扮装の二人が舞台に並ぶことになります。

。。ここまで書いて、お気づきになった方もあると思いますが、師家には『二人静』専用の、同じ文様の長絹・摺箔・縫箔の1セットの装束があります。これは『二人静』のときにしか使用しません。

話は戻りますが、ツレの装束と前シテの装束は同じ唐織着流しであるのですが、近来それを嫌ってツレの装束を替えることがしばしば行われています。

すなわちツレの装束を縫箔を腰巻きに着けて、その上に白水衣を羽織る、というものですが、『求塚』の例に倣ったものでしょう。この装束にはいくつかメリットがあって、まずは物着の手順が簡略になり着替えの時間が短くて済むこと。それからもちろん前シテとの同装を避けることで、これにより後に長絹を着た後シテが登場したときに初めてシテとツレがまったく同じ装束になり、お客さまの印象が深くなる事を意図していると思います。

もっともデメリットもありまして、水衣を着た場合、下半身に着けている縫箔は最初から丸見えになるので、後の物着で初めてシテと同装になる、という事と矛盾を来します。菜摘女は前シテと出会う前からこの縫箔を着ているのですから、これと同じ縫箔を着た後シテ。。静の霊が登場するのはおかしなことです。言うなれば菜摘女の縫箔を模倣した縫箔を後シテが着て登場することになってしまうので。。

とはいえ、それは理屈でして、実際には膝から下しか露出していないツレの縫箔が前シテとの問答の間にお客様に特別な印象を残すことはないでしょう。それよりも前シテとツレが違う扮装をしていることが、仕事をしているツレ菜摘女と、得体の知れない里女たる前シテとの性格の違いを際だたせますし、後の装束のシンクロを引き立たせることにもなり、これらのメリットが舞台効果として断然有利なので、ツレが水衣を着る工夫は半ば公式に近い演出になっていると思います。