ぬえの能楽通信blog

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ふたつの影…『二人静』(その4)

2014-06-30 18:28:48 | 能楽
ツレ菜摘女の帰参を見てワキはその遅参の理由を問います。問われたツレはシテと出会った先ほどの事件を説明するのですが、これが『二人静』の最初のクライマックスですね。

ワキ「何とて遅く帰りたるぞ。
ツレ「不思議なる事の候ひて遅く帰りて候。
ワキ「さて如何やうなる事ぞ。
ツレ「菜摘川の辺りにて。何処ともなく女の来り候ひて。あまりに罪業の程かなしく候へば。一日経書いて跡弔ひて賜はれと。三吉野の人。とりわき社家の人々に申せとは候ひつれども。真しからず候程に。申さじとは思へども。なに真しからずとや。
 とツレは正面に向きうたてやなさしも頼みしかひもなく誠しからずとや。

「現実の事とは思えないので申しあげずにおこうと思ったのですっが。。」とツレが言ったとたん、前シテの女が菜摘女に取り憑く場面で、役者としてはガラリと人格を変えることを謡だけで表現するので。まあ難しい演技でもありますが、最高にやりがいのある場面でもあります。これ以後ツレはシテの位を持って謡い、舞うことになります。いわゆる「両シテ」の曲、と言われる所以ですね。ぬえは今回、この場面を演じてみたくて、後輩にシテの役を譲って、あえてツレの役を所望しました。

さてその憑依についてですが、前シテはすでに菜摘女に「もしも疑う人あらば、その時わらはおことに憑きて。委しく名をば名のるべし」と宣言しているのですが、その文言によればツレ菜摘女が前シテと会った事件を勝手宮で正直に話し、また彼女の伝言。。「一日経書いて我が跡弔ひて賜び給へ」を伝えるのが前提で、そのうえで菜摘女の言動を信用しない者があった場合には、自分が菜摘女に取り憑いて名前を明かし、菜摘女の言葉が真実である事を証明しよう、というものでした。

が、結果はメッセンジャーたる菜摘女その人が、前シテと会った事件そのものが夢ででもあったかのように確信が持てない、と言い出したのでした。前シテとしては裏切られた気分だったでありましょう。そうしてこの「なにまことしからずとや」という語は、古語特有の簡潔な言い回しに過ぎないながら、現代ではその簡潔性が怒りを含んだ表現に感じられますし、また役者の演技としてみてもどうしてもこの一語は声の印象を変えて、しかも低い調子に改めて謡うことになるので、どうもこの一語に限っては厳しい憤りの表現になってしまいやすいですね。

が、これに引き続く謡の文言は大変流麗で女性らしい表現だと思います。

ツレ「ただ外にてこそ三吉野の。花をも雲と思ふべけれ。近く来ぬれば雲と見し。桜は花に現はるゝものを。あら怨めしの疑ひやな。 と左手にてシオリ

「吉野山全体にあちらこちらと咲き誇る山桜を遠望すれば、それは遠山にかかる白雲のように見えると古来言われているが、近づいてよくよく見れば、それは はっきりと桜の花だと判るものなのに」と婉曲な表現で、間近に会って伝言を託した私の姿をなお疑うとは、と、菜摘女の疑問を悲しむ言葉や姿は「なに真しからずとや」という強い印象を与える表現とは対極にある感じです。自分の存在を菜摘女に疑われたことに対する一瞬の心のさざめきと、それから死後も成仏できずに影のようにこの世をさまよう亡霊の孤独がにじみ出るような文章で、役者としてはそういう心の起伏を表現する場面なのでしょう。

ところで桜の名所である吉野秋の春の景色を雲と表現するのは『古今和歌集』から続く伝統で、紀貫之が記した「仮名序」にはこのように書かれています。

夕べ竜田川に流るるもみぢをば 帝の御目に錦と見たまひ
春のあした吉野の山のさくらは人麿が心には雲かとのみなむおぼえける


歌聖・柿本人麻呂の歌として貫之が引き合いの出したもので、能『嵐山』のワキの道行にも「三吉野の花は雲かと詠めけるその歌人の名残ぞと」、『桜川』にも「雲と見しは三吉野の」と見えるのですが、じつは人麻呂には吉野山の桜を雲に見立てた歌は存在しません。人麻呂という人についてはほとんど史料が残されていないので、あるいはその歌が伝わっていないだけなのかもしれませんが。。

余談ですが、雲のほかにも桜の花盛りの遠景を「雪」と見立てるのも和歌の世界では広く行われています。紀友則の歌「みよし野の山辺に咲ける桜花雪かとのみぞあやまたれける」(古今集)がおそらくその嚆矢で、能『桜川』にも「波かと見れば上より散る。桜か雪か」「花の雪も貫之も古き名のみ残る世の」などと見えます。