すごい!絶妙ともいえるタイミングってありますね。
一昨日のブログに、古事記ってなかなか面白い!という記事を投稿し、女性が軽く扱われ過ぎだし、倭政権は切った張ったがまかり通る、まるでやくざ屋さんの世界のようだと書きました。
今日、ある勉強会に参加したら、まさにこのことに対する答えや、長い間学んできた仏法の世界観や近年興味を持って読んできたことなどが、絶妙にクロスする上古代の人たちの考え方に驚きました。
民族性が違う?
まず女性の扱いは、そもそも女性が始めで男は後から生じたので、自ずと女性性は尊ばれていた。
そういえば、生物学的にもこうだったよなあと思って首を縦に振っていました。
また、倭政権などの好戦的な民族は渡来人の権力闘争を好むDNAを持ち、もともと日本列島に土着していた民族は穏やかな暮らしをしていたが、好戦的な民族に東の越え難い地に追いやられた。
まあ、徹底して戦わずして国譲りするような穏やかなお国柄、民族性だからなあ。
そういえば、越の国というし、不思議な力を持った人たちを徹底して迫害し続けたと聞いたなあ。
今こそ必要な直観力
上古代という考え方、縄文期1万年、弥生期2千年、少なくとも1万2千年より前の時代で、自然も格段に厳しく鋭い直観力を持っていないと生きれなかった時代。
彼らの直観力は、直感力と抽象化力、判断力を兼ね備えた力であり、天然自然の物理を人々に分かりやすく表象物として造形化していた。
しかし、豊かになって定住化できるようになると、自然からの脅威も少なくなり、その直観力が落ちてきて、古事記編纂当時には上古代の人たちの知恵を理解し得なくなっていたのでは?
社会の様々な仕組みが行き詰っているように思える昨今、人が育つべき環境の現状を見るにつけ、もともと人が持っていた直観力の重要性や磨く必要性が高まっていると思えました。
講師の方が、食料的には縄文中期以前は穀類と山菜やキノコなど、とてもミネラルが豊富な食生活だったから、ダウン症や発達障がいなどのさまざまな現代的疾病はあり得なかっただろうと。
食、人の身体を作り、心を育む源ですから、さもありなんと思いました。
私たちの身の回りの豊穣にも、もっと目を向けたいものですね。
それにしても、上古代の人々の知恵はアナスタシアの話ととても響き合いますね。