僕の中では、世界を股にかける賭博師の森巣博、が、“日本のフェミニストが fack me shoes を履いて”という文章を書いていたよなあ、、、
ネットで調べると、そのシーンの設定が違っていたけど、まあいいか。
なぜこんなことを書きだしたのか?樹木希林を読み終わり、今日の午後から手にしたのは上野千鶴子の「女ぎらい~ニッポンのミソジニー」
フェミニストというと、真っ先に思い浮かぶのは上野千鶴子。
最初から、痛快爽快、あの吉行淳之介をめった切り(^^;;
自分の怒りや鬱屈のごみ捨て場として求めた女が、それを求めて享受すらしてくれれば、男は罪の意識を感じずにすむ。
玄人の女性だから演技ってのは十二分にあるけど、それでも、性産業の構図をものを見事に言い当てているかもしれませんね。
読み始めたばかりだから何が飛び出すのか?社会学者として、変なテーマに取り組む上野千鶴子、面白くないですか?
ミソジニー、直訳すると「女性嫌悪」、「女ぎらい」とも。ミソジニーの男には女好きが多いと。女ぎらいで女好き?一見矛盾しているようですが、、、
それは、ミソジニーには「女性蔑視」という意味がある、その辺りの意識を腑分けする格好の対象としての吉行淳之介。
そうそう、思ったのは、樹木希林とよく似ているということ。
勿論、何でも自分の中に取り込んでしまう融通無碍な樹木希林と、どこまでも切っ先鋭く fack me shoes を履いて切り刻む上野千鶴子。
対照的な二人ですが、絶対に自分を曲げずに力強く生き抜いている(ように見える)という女の強靭さを備えている点ではよく似ているのかも。
そんなたわいもないことを考えながら窓の外を見ると、いつもの?モズ君が投げっぱなしの三脚に陣取って周りを観察しています。
手前には可憐な花を盛りのように開いているボケ、向こうには赤と白の椿。
ひょっとして、泡沫のようなつまらないことを夢想していたのかもですね。